伊丹さんは、機嫌のいい人だったんですか?

第3回 それが伊丹十三だから。

糸井 ぼくは映画関係の人たちと話しているとき、
「伊丹さんの映画をよく観たでしょ?」っていう
言い方をしちゃうときがけっこうあるんですよ。
そう訊くときって、だいたい当たってる。
伊丹映画に影響されてる人って、多いと思うなぁ。
玉置 そうですね。
かといって、同じ日本の映画監督でも
たとえば黒澤明さんとは、
ぜんぜん違う影響の仕方をしているというか。
糸井 ああ、ぜんぜん違いますね。
玉置 黒澤さんの場合は、
かかわる人たちがみんな、
黒澤さんの中に入り込んじゃう
という印象があるんです。
糸井 その点、伊丹さんの場合は、
みんなのなかに伊丹さんが活きるというような。
玉置 ええ。
糸井 おもしろいですね。
でも、そういうのって
伊丹監督はどう感じてたんでしょうね。
つまり、自分の映画に影響された監督の作品が
出てきたりしていたわけでしょうから。
そのあたりは、個人的に興味があるなぁ。
あれだけ個人というものを大切にしてきた人だから
うれしがるにせよ、悔しがるにせよ、
まったく気にしない、
というわけじゃなかったと思うんですよね。
玉置 まぁ、でも、
そういう弱みみたいなところは
決して見せない人でしたね。
糸井 ああ、そうですか。
たとえば、手塚治虫っていう人は、
才能ある新人が出てくるたびに、
対抗心を燃やしたっていいますけど(笑)。
玉置 (笑)
糸井 意識はしても、弱みは見せない、
という感じだったんですかね。
玉置 そうですね。
だから、たとえば三谷幸喜さんのことなんかは、
伊丹さんはすごく評価していて、
「いっしょににやろう」って
声をかけたりしてたんですけど。
でも、けっきょくは、やらなかったんです。
糸井 ああー。
玉置 手伝ってもらいましたけど、
やっぱり、最終的には、
「ぼくがやった方がいいや」
っていうことになったんです。
それはもう、はっきりとしてましたね。
途中まではいいんだけど、
けっきょく最後は、自分でやっちゃう。
糸井 それは、よくないことでもあり、
いいことでもあるんですよねぇ。
あの、長くキャリアを積んでいく人って、
「なにもかも自分でやる」っていう状況から、
どこかで抜け出すものだけど、
伊丹さんは最後までそうだったわけですね。
それはもう、そういう「意思」ですよね。
玉置 そうですね。
だから、ふつうの人だったら、
伊丹さんとはつき合いきれないっていうか(笑)。
糸井 (笑)
玉置 だって、いっしょにやって、
最終的にクレジットに自分の名前が出たとしても、
伊丹さんが「あれはぼくがやったんだ」って
言えばそうなっちゃいますからね。
糸井 うーん、なるほど(笑)。
玉置 ですから、ほんとに、
最後までいっしょにやるのが
難しい人だったんだろうなと思います。
典型的なのは、俳優さんですね。
けっきょく、自分の演技をしようとすると、
ぜんぶ‥‥。
糸井 伊丹さんのかたちに直されてしまう。
玉置 ええ。だから、1回目はいいんだけど、
つぎの作品‥‥ってなると、だんだんと(笑)。
糸井 (笑)
玉置 けっこう、そういう問題はありましたね。
でも、ぼくらにしてみると、
やっぱり、それが伊丹十三だから。
糸井 「それが伊丹十三」(笑)。
玉置 うん、それでイヤだったら、
その人とはもう、しょうがないよね、
またいつか、っていうことで。
伊丹さんとのおつき合いを
最後までプラスに受け取ってくださったのは、
たとえば、津川(雅彦)さんでした。
糸井 ああー。
玉置 津川さんは、つねに前向きに。
けっきょくそうやって残ってくださった
津川雅彦さんと宮本信子さんのふたりが
伊丹作品を支えていった。
糸井 ずーっと、軸ですよね。
スタッフの方たちに対しては
どうだったんでしょう。
玉置 まあ、苦労した人もいるでしょうけど、
関係は比較的よかったと思います。
「伊丹さんの下でやってたから
 いまのオレがあるんだ」みたいなことを
いまでも言う人が多いですしね。
糸井 ああ、それはいいですね。
若い人たちは、たいへんだったろうけど、
さぞかし勉強になったんだろうなぁ。
玉置 伊丹さんって、
あんまり年齢によって人との接し方を
変えるっていうことはなくて。
年上だろうが、ダメな人はダメだし、
よければ年下でもきちんと認めるし。
やっぱり、自分の持ってないものを
持ってる人に対してのリスペクトみたいなことは、
ちゃんとしてたと思うんです。
(続きます)

コラム 伊丹十三さんのモノ、ヒト、コト。

17. 『伊丹十三の映画』「考える人」編集部編。

『伊丹十三の本』で伊丹さんの、
おもに著述家としての魅力を探究した
新潮社・「考える人」編集部から、
2年後に出た兄弟のような本が、
この『伊丹十三の映画』です。

発刊は2007年、
ちょうど伊丹さんがなくなられて10年目でした。
10年の時を経てなお、
伊丹映画に関わった人がインタビューや寄稿で
驚くほど多くこの本に参加し、14年間に10本の映画で
日本の映画界を駆け抜けた伊丹さんの、
監督としての姿をいろんな方向から照らし出しています。

巻頭には、第一作の『お葬式』から
最後の『マルタイの女』まで製作として全作を支えた
玉置泰さんのインタビューが掲載されています。

そして続くのは、出演された俳優の方々のお話です。
努さん、津川雅彦さん、大滝秀治さん、菅井きんさん、
奥村公延さん、小林桂樹さん、宝田明さん、役所広司さん、
大地康雄さん、益岡徹さん、村田雄浩さん、六平直政さん、
伊集院光さん。

みなさん、伊丹監督の映画に参加できたことを喜びつつ、
その厳しさを語ったり、その後の自分の俳優人生に
道をつけてくれたと感謝を述べられていたり。
自らが俳優出身である伊丹さんが、
演技に対して厳しい持論がありながらも、
俳優を生かし、おもしろい映画を作るために
どんなに心を砕いていたか、胸が熱くなるような
お話が続きます。

また、努力家であり、労をいとわない伊丹さんは、
スタッフにも高い水準を求めたようで、
伊丹さんのほとんどの映画の撮影を担当された
前田米造さんのお話をはじめ、
記録、編集、美術、プロデューサー、メイク、
フードコーディネーター、デザイン、
そのほかたくさんの方々の証言も圧巻です。

とくに「われら伊丹組助監督!」と題された
3人の助監督さんの鼎談は、苦労話の連続です。
しかしやはり、伊丹さんが愛されていたことは
隠しようもないらしく、つい微笑んでしまうような
エピソードがいっぱいです。

伊丹さんのお父さん、映画監督の伊丹万作さんは
映画論を著した文人としても有名で、
伊丹さん自身も若い時から
エッセイ『ヨーロッパ退屈日記』などで映画を撮る技術の
巧拙について語っていたことがありました。
そんな伊丹さんが実際の現場でどんな監督だったのか、
知ることができて、楽しいですよ。

この本の一番最後、伊丹映画で多く主演を演じ、
人生のパートナーであった宮本信子さんの
伊丹さんへの手紙では、
「観客を楽しませる映画を作りたい」という
伊丹さんの思いがつづられています。

「賞狙いや、批評家にほめてもらいたいなんて、
 思わないよ。大切なのは劇場に来てくれる沢山の
 お客さんだよ。時間をさいて、お金を出して‥‥‥。
 エンターテイメントの映画が一番だよ。」

伊丹さんの映画がいま観てもおもしろく楽しいのは、
なるほどそれだからか、と確信させてくれる一冊です。
(ほぼ日・りか)

『伊丹十三の映画』表紙(社内撮影)
『伊丹十三の映画』。Amazonではこちら。

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2009-07-08-WED