やあ、いらっしゃい ― 中村好文さんと歩く、伊丹十三記念館

糸井重里が、松山の伊丹十三記念館を訪れました。設計のみならず、キュレーターとしても活躍した建築家の中村好文さんと、館長の玉置泰さんの案内で、じっくり、見て回ります。どうぞ、ごいっしょに。

第10回 ぐるっと回ったあとに。その1

常設展示室の13のブースと、
企画展示室をゆっくりと回ったあと、
中庭のベンチやカフェ・タンポポでひと休み。
そのあとまだ公開されていない収蔵品のある
収蔵庫をご案内いただきました。
(いつか公開される時まで、こちらはお待ちくださいね。)

さいごに、見終わってからの
中村好文さんと玉置泰さん、糸井重里の話を
3回に分けて、ご紹介します。

糸 井 いやあ、いつも印象が一緒だなあ。
伊丹さんという人は。
ああ。大変だ。“伊丹をやっていく”のは(笑)。
中 村 ああ、伊丹をやっていくのは
大変だったでしょうね。
糸 井 ね。本当に、俺は正反対だわ(笑)。
本当に大変だ。
中村さんは伊丹さんがもし友達だったら、
どうだったですかね?
中 村 どうだったでしょうかねえ。
玉置さん、僕よりちょっと年下なのに、
ちゃんと友達みたいになってたでしょ。
糸 井 同年代だと、結構付き合うの大変でしょうね。
子分になっちゃったほうが楽ですよね。弟に。
中 村 結局、ぼくも、
きっとそうなっちゃったと思う(笑)。
だって頭上がんないもの、伊丹さんには。
糸 井 ああ〜。
その意味では、伊丹さんご自身が
もしこの記念館に関わったら、
こんなに伸び伸びとは
しなかったかもしれないですね。
中 村 ああ、ぼくは多分
これほど自由にはできなかったと思う。
伊丹さんの顔色を
うかがうことになっちゃいますから、
きっとうまくできなかったと思いますね。
玉 置 結局、記念館が、亡くなった後
ずっとできなかった理由って2つあって、
宮本さん自身の気持ちが
まだ整理できなかったことと、
伊丹万作さんの記念館の時から
設計を誰に頼もうかっていうんで
ストップしてしまっていたこと。
で、ちょうど宮本さんが作ろうと思った時期に、
中村さんのことを紹介していただいて、
もうそこからは脱兎のごとくって言うか。
中 村 もう、坂道を転げ落ちるようでした(笑)。
玉 置 すぐできちゃったっていう感じですからね。
中 村 早かった。すごく早かった。
もう、ほとんどの仕事を投げ打って
やってましたもん。
最後は事務所のスタッフ総出、
友人の職人たち総出の戦闘状態(笑)。
糸 井 なるほどね(笑)。
中 村 だから、「二」のコーナーは誰、
「三」と「四」は誰とかって担当決めて、
スタッフとアイディアを出しながら、
材料集めをし、展示デザインをしましたから、
それこそすごく大変だった。
糸 井 ただ、なんかその、なんて言うの、
切迫した感じが全然ないものができて、
素晴らしいですね。
中 村 そうなんですよね。(笑)
切迫してたんだけど、
目が血走ってたはずなんだけど完成してみたら
その大変さが、あまり感じられないんですよね。
糸 井 きっと予算も納期も全部ですよね。
中 村 そうですね。
糸 井 うーん。
中 村 もうオープンの日は決まっちゃってるしね。
オープンは伊丹さんの誕生日(5月15日)で、
動かせなかったし。
糸 井 そうか、そうか、そうか。
中 村 でも、3月の中旬になっても
全然アイディアが出ないものがあって。
その時のスケッチがあるけれども、
その日の日付を見るとゾッとする(笑)。
糸 井 そうなんですか。
中 村 でも、ぼくは割合、
能天気というか、
楽天的な性格だから大丈夫だったんだと思う。
計画性がないのがね、逆によかった。
糸 井 組み合わせとしてよかったんですね。
中 村 そうそう。
自分に計画性がある人間だったら、
そら恐ろしくなって、絶対できなかった。
追いつめられてもパニックにならない性格だから、
できたと思うけど。
糸 井 ある種の、偏執狂的なところが
伊丹さんにはあるから。
中 村 そうですよね。ある種の完璧主義ね。
糸 井 どんどん追い詰めていくというか。
だから、そういう同じタイプの人同士だと
きついですよね、きっとね。
中 村 伊丹さんがいたら
きつかったかもしれないですね。
でも、そういうぼくも伊丹さんと
どこか似てるところあるんだと思うんですよね。
似てるんじゃなくて、
影響を受けたんでしょうけど。
糸 井 中村さんはその後も自分がこう、
伊丹さんに影響を受けたな、
みたいなことは思うことありますか。
中 村 ありますね。すごくあります。
文章を書いたりしているときなどに、
結局これは伊丹さんの真似だなと思ったりする。
そう自分で意識してなくても。
染み付いちゃっているんだと思いますよね。
糸 井 伊丹さんの真似をして
普通のことになっちゃったものを
また真似してってこともありますよね。
中 村 例えば──?
糸 井 テレビの作り方なんていうのは。
中 村 ああ〜。そうですね。
糸 井 あれ、伊丹さんがいなかったら
やらなかったことだよなって
今になってわかって。
中 村 ああー。それはあるでしょうね。
糸 井 この間も、「これはおもしろいよ」って言ってた
NHKの番組で、
歴史の中に取材者が入って行くんですよ。
で、後はドキュメンタリー映像にしてるんですよ、
その取材者が行ってるという方法は。
中 村 やってますね、伊丹さん、あれをね。
もうね(笑)、既に。
糸 井 そういうの多いですよねえ。
あと、「そもそも」の話をしたがるのも
そうですよね。
中 村 ああ、そうね。
糸 井 この記念館、
実現していく途中で予定通りに進まないことも
あったと思うんですけど。
中 村 そうですね。まあ、建築は
結構そういうこと多いですけどね。
糸 井 慣れてるんですか。
中 村 はい、多いんですよ、
予定通りにいかないことも。
でも、そこを乗り切るのは割合臨機応変に
やっていけるかどうか、が決め手になりますね。
こうと決めたものができないと
絶対にだめ、ってもんじゃないんで。
映画なんかも似てるんじゃないですか。
糸 井 ああ、そうか。
さっきの、中庭の、
2本になってる木が欲しかったっていう言い方は、
相当その後の自分の仕事を楽にしますよね。
中 村 決めすぎなければ、ですね。
糸 井 種類を決めずに大きさも決めずに、
2本のっていう。
だけど、厳しくしないといいものは見つからないし。
その辺が中村さんの自由さっていうか。
中 村 まあ、いい加減って言えば
いい加減なんですね(笑)。
自由といえば自由なんだけど。
糸 井 後でバトンタッチする自分が楽になるように、
いまは一所懸命にやっておくという。
中 村 そうです、そうです。
だから、時間がタイトで厳しいと言いながらも、
そこでできる最良のものをすれば
いいというような感じですかね。
糸 井 いや、感心したな、その木の話は。
そういう仕事の仕方はいいなと思って、
しみじみ聞きましたね。
他にも難しそうなことはしてないのに、
全部揃えるとここしかできませんよっていう。
中 村 そうそう(笑)。そうかもしれませんね。
糸 井 一番難しいと思ったのはどこですか。
中 村 うーん、一番難しい・・・・。
一番難しいと思ったのは、
仮に、伊丹さんに見てもらえたとして、
「ナカムラくん、これでいいよ」と
言ってもらえるかどうか、
「いいよ」と褒めてもらえないとしても
「まずまずだね」ぐらいは
言ってもらいたいわけです。
果たして、そこまでいけるかどうか、
そこが難しかったですね。
それから、現実的には
自分の考えていることが予算の範囲に
ちゃんと納まるかなあと、そのことも難しかった。
糸 井 ああー。
中 村 (笑)限られた予算の中に
入れなければならない。
住宅の場合はだいたい、
この住宅はいくらぐらい掛かるって
予想がつくでしょう。
糸 井 はいはい。
中 村 ところが、これは、全然予想がつかないんですよ。
ある時、大規模な美術館建築などを設計している
建築家が見学に来て、この総工費を聞いて、
すごくびっくりするわけ。
「え? そんな金額でできたんですか?」ってね。
自分のところでやったら、
少なくとも倍ぐらい掛かるって。
なぜそういう金額でできたかっていうと、
スーパーゼネコンと呼ばれる
大手のゼネコンではなく、
地元の業者でやってもらったことがひとつと、
展示専門の業者を入れてないからなんですよ。
普通はね、ミュージアムって、
ほとんど展示専門の業者が入るんですよ。
糸 井 特別なノウハウが
やっぱりあるんですか。
中 村 そうそう。
あるんですけど、ステレオタイプの
変わり映えのしない展示デザインになっちゃう。
糸 井 ああ、そうですか。
それを自分でなさったわけですね。
それは愛情ですね、一種のね。

工費みたいなのは発表してないんですか。
中 村 してないです。
糸 井 それは興味ありますね、とてもね。
もし聞けたらそれは、
なんて言うんだろう、励みになりますよね。
そういうこともね、ドラマだと思うんですよ。
玉 置 そうですよね。
糸 井 うーん。
中 村 ただ、この金額というのが
あまり参考にはならないんですよね。
みんなが力を合わせて採算度外視にやって
奇跡的に成立した金額ですからね。
もう二度と同じことはできないと思う。
糸 井 過剰にそういう理由をつけたら?
ここは奇跡ですって。
中村さんも、資金を出したのと同じ
結果を出したっていうことですよね。
中 村 ああ、そうですね。
ぼくだけじゃなく、関わった工事の人たちも、
お金以上のものを
みんなで出し切った現場でした。
糸 井 手弁当でね。
中 村 それはもう本当に
現場で働く職人衆全員が
一丸となってやる熱気はすごかったですねえ。
糸 井 だから、結局見えないお金を足すと、
その何倍かと言われた工費と
同じになってるんでしょうね。
中 村 ええ、でもお金には換算できないってのが
正直な感想ですね。
糸 井 そうだと思うな。
中 村 たとえば回廊のボールド天井、
少しアーチ型をしたカマボコ天井ですが、
この天井の直角に折れ曲がる部分を張るのが
ものすごく難しい仕事なんですよ。
それを担当したのは髪を茶色に染めた
あんちゃんでね、
それがもうあんちゃんなんですよ、
正真正銘のあんちゃんなの。
糸 井 (笑)。
中 村 最初は「こんな難しいことやってられるか」
みたいな感じでやってたんだけど、
だんだん「よし、やるぞ」みたいな感じに
なってきてね、ぼくが
「もうちょっとなんとかなんないかな」って
言うと、何度でもやってくれるわけ。
で、終わった時に、
「ああ、終わったね。すごくうまくいったね」
って褒めたら、
仕事をやり遂げた人間のすばらしい笑顔を見せて、
「親戚連れてきます」って言ったんです。
親戚にこの天井を見せてやりたいって。
糸 井 ああー!
中 村 それくらい職人たちに
なにかが乗り移ってました。
糸 井 映画ですね。
中 村 すっごい熱かった。
それが1つの例だけど、
そういうふうにしてみんなが
一丸となってやったんだね。
その代わりね、現場が終ると、
街へ繰り出して、呑みましたよ(笑)。
(つづきます)
2009-10-19-MON
前へ このコンテンツのトップへ 次へ
コラム ようおいでたなもし、松山
  伊丹十三記念館のスタッフが、
記念館に来たついでによってもらいたい、
松山近辺の見どころや、おいしいもののお店を
ご紹介します。
第10回 内子エリア(2)

図版:トリバタケハルノブ