やあ、いらっしゃい ― 中村好文さんと歩く、伊丹十三記念館

糸井重里が、松山の伊丹十三記念館を訪れました。設計のみならず、キュレーターとしても活躍した建築家の中村好文さんと、館長の玉置泰さんの案内で、じっくり、見て回ります。どうぞ、ごいっしょに。

第7回 「十三:映画監督」〜年表

伊丹十三記念館見取り図

十三:映画監督

1981年から、それまでの人生を総合するもののように、
伊丹さんは映画監督という職業にはまり込んでいきます。
社会的でありながらユーモラスで、毎回ヒットとなった、
伊丹監督作品は、全部で10編。
ここでは凝って作った台本や
自らすべて描いたという絵コンテを見ることができます。

中 村 で、最後が、十三になります。
糸 井 ああー。そうか、そうか!
中 村 フィルムがいっぱいありましたから、
ガラスの表面に貼りつけて
うしろから照明を当てて展示しました。
糸 井 なるほど、なるほど。
ここでまた、中村さんが出るんですね。
中 村 出てますかね(笑)。
糸 井 出ますね、やっぱり。
中村さんを出しちゃうんだなあ、同時に。
しょうがないですよね(笑)。
中 村 しょうがないなあ。
どうもスイマセン(笑)
それで、ここの場所に
ポスターとパンフレットを。
玉 置 ちょっと中村さんは映画には冷たいんです!
なんて言ったりしてね(笑)。
中 村 そんなことないですよ(笑)!
玉 置 僕ら、伊丹さんのこと、
これしか知らないから、逆に。
糸 井 そうか、映画しか知らない人には、
この時間が長いんですもんね。
玉 置 このカチンコ、
湯布院の映画祭で
『お葬式』が上映されたときに、
チャリティーオークションで
伊丹さんが出したやつを僕が落札したの。
後で怒られちゃった。
中 村 関係者が買っちゃまずいと(笑)?
玉 置 でも欲しかったんです。
それに、その頃僕の意識は
素人ですから。
糸 井 で、形式的にはここに寄付してあるわけですね。
玉 置 そうです、はい。
ほぼ日乗組員 これ、台本ですか。
中 村 そうですね。台本です。
ほぼ日乗組員 台本の表紙ってこんなふうに
凝るものなんですか。
糸 井 伊丹さんは、凝ってますね。
玉 置 処女作の『お葬式』の時からね、
こういうふうにしましたからね。
別にお金が入ってからじゃなくて。
中 村 予算のない時からやってたんだから
すごいですね。
玉 置 それで、表紙も、改稿するたびに
何回も作り直してて。
その度に結構本当に、お金が。
中 村 かかったでしょうねえ、
ハタ目にはムダなお金が、ねえ(笑)。
糸 井 ヒヤヒヤですね。


伊丹十三記念館見取り図

年表

1933年5月15日に生まれ、
1997年12月20日に亡くなるまでの、
64年間の年表が
展示室の壁を囲むように書かれています。
多くのことをなした伊丹さんの人生を、
1年1年、じっくりご覧ください。

糸 井 そして、この年表も。

年表は、展示室のすこし高いところにあります。
中 村 これはね、裏に全部照明が仕込んであって、
展示室の全体照明にもなっているんです。
糸 井 ‥‥参ったな。
亡くなられたの、64でしたか。
中 村 そう。早かったですね。
糸 井 ひえ〜。まずいな(笑)。
そんなに先じゃないな。
中 村 そんなに先じゃない。
もうすぐだよ、糸井さんもぼくも。
糸 井 どうしよう!
中 村 どうしよう?
もうあと4年しかないぞ(笑)!
糸 井 あれだけたくさんの仕事をして、
まだ64ですか。
中 村 そう。ねえ?
糸 井 ひっどいなあ〜。
あんまりだな、そりゃ。
中 村 あんまりだね(笑)。
糸 井 はい。そうかー。イタタタタタ。
伊丹さんは五十代が
映画の季節なんですね。
中 村 そうですね。
糸 井 なんか、踏ん切ったんですね。
もう俺も50だしと思ったんでしょうね。
年表に、はっきり見えてますね、それが。
中 村 51歳で『お葬式』ですもんね。
糸 井 そうか〜。
玉 置 クランクインした時は、
ちょうど51になった。
糸 井 だから、その前に動いてるわけですよね。
玉 置 ご飯食べながら、「もしかしたら映画を」
っていうのがあって、ちょうど1年ぐらいです。
中 村 ああ、そうですか。早かったですね。
玉 置 早かったですよ。
(つづきます)
2009-10-14-WED


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コラム ようおいでたなもし、松山
  伊丹十三記念館のスタッフが、
記念館に来たついでによってもらいたい、
松山近辺の見どころや、おいしいもののお店を
ご紹介します。
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図版:トリバタケハルノブ