HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

憧れていた教師から、
「好き」が生かせる
ヴィレヴァンへ。

超マジメな小学校の非常勤講師が、
「ヴィレッジヴァンガード」に転職。
優等生タイプだった長谷川朗さんは、
なんとなく決めた将来の夢に流されるまま
社会へと漕ぎ出して大苦戦します。
「もう嫌だ、好きなことやりたい」と、
逃げるようにしてたどりついた場所が
書籍・雑貨店のヴィレッジヴァンガード。
自分の「好き」を生かせる仕事と出会って、
ようやくおもしろく働けるようになった
長谷川さんの「なるべく無理しない」働き方。
インタビュアーは、ほぼ日の平野です。

1

先生になる、
と思い込んでいた。

長谷川朗さん画像
――
長谷川さん、ごぶさたしてます。
以前お会いしたときに、
小学校で先生をやっていたというのが
意外と言ったら失礼ですけど、
教師からヴィレッジヴァンガードへの転職って、
おもしろい経歴だなと思って、
ずっと覚えていたんです。
長谷川
ありがとうございます。
たいした経歴ではないですが、
お役に立てるなら。
――
事前にアンケートに答えていただきましたが、
「小中高と小学校の先生になりたいと思ってました」
そこからお話を伺ってもいいですか。
長谷川
当たり前のように
先生になるんだって思っていて、
まったく迷いがなかったんですよ。
――
将来の夢が定まっていたんですね。
長谷川
小学校の頃は、わりと優等生だったんです。
サッカーもやっていたし、
小5くらいで塾に通って、
本当にまともに歩んでいたんです。
小学校のときに、すごくいい先生とめぐり合えて、
そこから先生になるんだって意識してました。
ちっちゃい頃はサッカー選手に
なれたらいいなって思っていたけれど、
もうちょっと現実的に考えられる年齢になると、
「先生っていいよなぁ」って思うようになって。
そこから高校2年生くらいまでは、
何も考えず、将来は先生になるんだと思って、
そのまま福岡教育大学に進みました。
長谷川朗さん画像
――
まさに先生になるためのコースを
歩んでいたんですね。
長谷川
高校までは、地元で一番勉強のできる
進学校に通っていたんです。
高校受験までは頑張っていたんだけど、
高校になると各地域のすごい人たちが集まるんです。
勉強でもスポーツでも全然ついていけなくなって、
そこからかな、ぼくの人生が狂ったのは(笑)。
自分の性格を形成し直したのは、
たぶんその高校時代の挫折なんですよ。
あ、もう無理だなって。
――
高校で無理を悟ったんですね。
長谷川
他の同級生に無理やりついていって苦労するよりは、
追いつけないと思ったら、そこから逃げて、
自分の好きなほうに突っ走ろうと。
そんな考え方が高校で生まれたと思うんです。
学年400人くらいでテストをすると、
だいたいいつも300位ちょいだし、
一応サッカーは続けていたんですけど、
県大会常連みたいな学校だったんで、
中学の選抜出身の同級生が何人もいるし。
もうね、全然ついて行けなくて。
中学の頃は遊びの延長みたいな
サッカーのクラブチームに入って、
うまくやれていたほうなのに、
高校のサッカー部は全然違う世界でした。
高校で将来の夢とか進路を決めるとき、
そのときに一番好きだったのが映画だったんで、
映画の道もあるよなって、考えたんです。
――
ああ、先生ではなく映画への憧れが。
現在のヴィレッジヴァンガードとも
つながっている気がしますけど、
結局は教育大学に進んでいますよね。
長谷川
中学の頃からひとりで映画を観に行っていたので、
映画学科に進むのもいいなあと思ったんです。
でも、高3で志望校の赤本を買いだす頃で、
そのときはもう、すでに遅し。
結局、とりあえず教育大学に進むんです。
大学に行ったら行ったで、
なんとなく先生になるんだろうなって
大学時代を過ごしてましたね。
――
映画への興味はどこから?
長谷川
父親がアクションものの映画に
よく連れて行ってくれたんですよ。
もし大学受験で失敗したら
映画の専門学校に進もうと思っていたんですが、
そのことを父親に話したら、もう大反対で。
でも、当時の父親の立場になって考えてみれば、
止めて当たり前だと思うんです。
その頃のぼくは映画制作に憧れてはいたけれど、
夢中になって映画を撮っていたとかでもなかったし、
ただ映画を観るのが好きなだけだったんで。
そんなことで教育大学に行くようになりました。
――
大学に入ってからは、
「本当に俺、教師になるのかな?」
みたいなことは思っていたんですか。
長谷川
あぁ、ずっと迷ってましたね。
ぼくは迷っているんだけれど、
周りはみんな先生に向かっていく人ばっかり。
絶対に先生になりたいって気持ちはないけど、
それでもまあ、ぼくも先生になるのかなぁって。
長谷川朗さん画像
――
学校の先生にもいろいろありますが、
小学校の先生を選んだのはどうして?
長谷川
まずは子どもが好きだっていうのと、
中高生相手だとナメられて怖いから(笑)。
教育実習で小学校に行ったんですけど、
小6のクラスの手伝いに入ったら、
もうすでにちょっと怖いんですよ。
「あっ、ナメられてんなぁ‥‥」みたいな。
ぼくは、小4ならギリOKでしたね(笑)。
――
大学に入ってから、
本当に先生になるのかなあって
思いながら通っていたにしても、
教育実習に行ったことで
リアリティが出そうな気がしますが。
長谷川
ぼく、小学校へ1か月間、
教育実習に行っていたんですけど、
本当にもう寝る時間もなく指導要領を作って、
1日に1回の授業をやっていました。
そのときの担任の先生に言われたのは、
「お前、わりとうまいな」って。
それから「たぶんうまくやれるけど、
いつか大きな失敗しそう」って(笑)。
――
わ、ドキッとしますね。
それでも先生になるための試験は
受けているんですよね。
長谷川
大学を卒業して教師の採用試験も受けましたが、
まあ落ちてしまって。
とりあえず小学校で非常勤講師を
やることになりました。
子どもと対するのはよかったけれど、
ぼくにはもともと協調性がないし、
お酒も飲めないから他の先生との飲み会も嫌。
さらに保護者とかPTAとか、
面倒くさいことが多いなあっていうのが
正直なところでした。
――
非常勤講師とはいえ、
子どもの頃からの夢を叶えているのに、
いいことがないじゃないですか。
長谷川
非常勤講師になってすぐ1、2か月ぐらいで、
先生にはなれないぞと思うようになりました。
その学校の教頭先生からは、
「先生を目指すなら、面接の練習を手伝うよ」
と言ってもらえていたんですけど、
すでに先生になる気もなくしていたんで、
申し訳ないけれど、どうやって断ろうかなと。
「公務員試験を受けることにしました」
と一線を引いて、逃げていましたね。
――
疑問を抱えたまま教師になるよりは、
気持ちを伝えられてよかったですね。
でも、そうやって教頭先生から
声をかけられているっていうことは、
筋はよかったわけですよね。
長谷川
うーん、どうなんでしょう。
ある程度年上の先生からは、
気に入ってはもらえていたのかな。
でも、生徒の前でめっちゃ怒られるんです。
運動会の練習で、笛をピッピッて吹くんですが、
ぼくのリズムがちょっとおかしくて、
ピーピーピッとかやってたら向こうにいた先生が
「ち・が・うーっ!」って怒鳴るんです。
途中からうまくできるようにはなりましたけど。
――
そんなに怒られるものなんですか。
でも、小学生から見ても、
先生に怒られている先生って、
ナメられる対象になりそうな。
長谷川
ねぇ、そうですよね。
しかも、ぼくは当時からこういう髪型なんです。
その頃に流行ってた漫画の『NARUTO』に
出てくるキャラクターに似てるってことで、
「ロック・リー」って呼ばれてました。
――
あはは、ロック・リー先生!
体術しかできないゲジマユ忍者の
ロック・リーですね。
おかっぱヘアーはいつから?
長谷川
高3でサッカーを辞めた頃からで、
もう20年ぐらいになりますね。
短髪から髪を伸ばして
今みたいな髪型になりました。
でも大学で一回ちょっと血迷って、
茶髪でパーマかけた闇歴史があるんです。
――
へえ! それは想像つかないです。
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