青山学院大学が箱根駅伝を面白くする(かも)。
 
「ほぼ日」から一番近い場所にある大学だし、 全部員が「ほぼ日手帳WEEKS」を使って https://www.1101.com/store/techo/2013/weeks/ スケジュール管理をしていることから 勝手に身内気分で応援してきた青山学院大学駅伝部。 http://aogaku-tf.org/ 気鋭のスポーツライター、生島淳さんによると 「毎年、優勝候補にあがる  早稲田や駒澤や東洋といった強豪校が  マークしているのは青山学院大学。  ひょっとして初優勝もあるかもしれません」 ということらしいのです。 33年ぶりの箱根駅伝出場から、 たった4年で優勝候補の一角に名乗りでた 青山学院大学に何がおこったのか? 母校早稲田大学そっちのけで青山学院大学に注目する 生島さんに解説してもらいましょう。 箱根駅伝が始まる前に読んでおけば、 母校が出場しないあなたも、 これまでぼーっとテレビを眺めてたあなたも 一緒にテレビを観ているご家族に 箱根豆知識を披露できるだけでなく、 もっと箱根駅伝が楽しめる(かも)!
もくじ
第1回わたしと箱根駅伝
第2回青山学院大学とわたし
第3回青山学院大学に注目する理由
 
生島淳さん プロフィール
わたしと箱根駅伝

お運び、ありがとうございます。
まずは私が箱根駅伝を「聞き始めた」ときの
お話からさせていただきましょう。
いまもNHKラジオ第一放送では箱根駅伝を中継していますが、
私が明確に記憶しているのは1978年、
小学校4年生のときです。
その一か月前、早稲田大学の2年生、
瀬古利彦【注釈】というランナーが福岡国際マラソンで5位に
入賞する素晴らしいレースを見せてくれました。
あの瀬古が、箱根を走る。
そう聞き及んで、
ラジオで箱根を聞くようになったのです。
それ以来、1月2日、3日はNHKでラジオを聞きながら、
メモを取る「観戦スタイル」が定着しました。
当時のNHKの中継は、1区から2区まで放送し、
いったんは中断。
それから11時5分とか、
ニュースが終わった時間に速報を入れるという形だったと、
記憶しています。
速報を聞いている間に、1位から15位までの順位、
時間を書きとって、
区間タイムを計算するのが楽しみな小学生でした。
レースが終わってからは、
「陸上競技マガジン」と
「月刊陸上競技」【注釈】を買って、じっくりと復習。
驚くべきことに、当時の表紙は箱根ではなく、
都大路で知られる全国高校駅伝です。
箱根の認知度も、そんなものでした。
全国放送されている駅伝が、
高校、大学、社会人のうち、高校だけだった、
という事情が関係していたかもしれません。
余談ですが、1月は陸上競技系の雑誌だけでなく、
「ラグビーマガジン」も買わなくてはならず、
お年玉を盛大に投入したことを覚えています。
当時買った雑誌のうち、気に入ったものは、
いまも自宅の書棚に収まっていますが、
実家に残してきたほとんどの雑誌は
2011年3月11日に流されてしまいました。
実家が宮城県の気仙沼にあったからです。
残念。
閑話休題。
小学校4年生から始まった習慣は、
中学、高校と続いていきました。

 

箱根駅伝が変わり始めた瞬間



箱根駅伝が大きく変わったのは、
1987年からです。
この年から日本テレビでの全国中継が始まったことで、
箱根駅伝は大きな人気を得るようになります。
ちょうど私は1986年に早稲田大学に入学、

その年度から中継が始まったことになります。
箱根のテレビ中継が成功したのは、
やはりラジオ、新聞などで
全国的にすでに浸透していたのが大きいと思います。
ブレイクスルーする「土台」が出来あがっていたのです。
その影響力に目を付けたのが関東の大学。
1月上旬はちょうど大学入試の出願期間にあたり、
効果的に大学をPRする場として
箱根がとらえられました。
1990年、1991年には、
大東文化大学が優勝しましたが、
このときには大東大への出願者数が伸びたことが
報道されたりして注目を集めるようになっていました。
そして、象徴的なのは山梨学院大学。
テレビ中継が始まった1987年に初出場すると、
グングン力をつけてきて、
1992年に出場6回目にして
総合優勝してしまいました。
その他にも神奈川大学が強化に乗り出し、
1992年に18年ぶりに箱根に登場。
すると1997年に優勝達成、
1998年に連覇を果たします。
テレビ中継が、これほど劇的なまでに戦力地図を
塗り替えてしまった例を
私は知りません。
神奈川大学のあとに実力を伸ばしたのは、駒澤大学。
新しい学校がどんどん入ってきて、
箱根は活況を呈するようになりますが、
一方で筑波大学のような、
かつての常連校は箱根から消えていきました。
選手の獲得や寮の整備など、
「インフラ」をしっかりしないことには、
箱根では戦えない時代がやってきてしまったからです。
面白いもので、テレビ中継が始まってから
強化に本腰を乗り出した学校のユニフォームは、
大学名が漢字なのです。
1987年以降に初出場した学校のユニフォームを
思い出してみると・・・。

山梨学院大学。
関東学院大学。
帝京大学。
平成国際大学。
國學院大學。
城西大学。
上武大学。

全部、漢字なのです。
その他、駒澤大学、神奈川大学も漢字。
一方で、大正時代から出場している
学校のほとんどはアルファベットの頭文字。
W
M
C
N【注釈】

箱根のファンは、どの学校かすぐに分かりますね?
比較的、新しい学校はPRの意味合いが強いので、
しっかりと学校名をユニフォームにも入れ込む。
でも、伝統校の場合は、
学校側が箱根にPRの必要性を
あまり求めていなかったので、
アルファベットの頭文字のままです。
もっとも、各大学も「箱根パワー」に気づき始めたので、
伝統校のユニフォームも
変わってしまうかもしれませんが……。

 

人気のレベルを上げた「山の神」

箱根駅伝は、ずっと視聴率25%以上を
たたきだしてきた「キラーコンテンツ」となりました。
そのレベルが2000年を超えてから、
グンと上がってきます。
現場で指導に当たっている監督たちも、
「2007年に順天堂大の今井が活躍したあたりから
熱気がものすごいですね」
と実感を話しています。
今井とは、「山の神」【注釈】と呼ばれた今井正人選手のことです。
山の神、と聞くと、
どうしても東洋大の柏原竜二選手の顔が
思い浮かんでしまうかもしれませんが、
はじめに使われたのは今井選手です。
山で超人的な走りを見せる選手には
圧倒的な「伝える力」があったのでしょう。
そして2009年には柏原竜二選手が走り、
東洋大学を初優勝に導きました。
もちろん、彼の力だけではなかったわけですが、
先頭の早大とは5分近くあった差を
逆転した1年生の名前は、
日本全国に知れ渡ることになったのです。

一方で、2000年を過ぎてから
強化に乗り出した学校が
2010年頃から結果を残すようになってきました。

その代表格が2校。
ひとつは明治大学。
もうひとつは、青山学院大学です。
明大は2012年の大会で3位に入る快走。
しかも最終10区で早大を抜いての快挙。
残念ながら、抜く瞬間を
テレビカメラがとらえていなかったために、
私は明大の卒業生から怒られたりしましたが……。
なぜ、私が怒られたのか、いまもって謎です。
そしてスマートなスクールイメージの強い青山学院大ですが、
実際の選手たちもなかなかクールです。
2012年10月に行われた出雲駅伝では、
見事に優勝。
これは出雲、全日本、箱根という学生三大駅伝を通じて、
初めての優勝となり、
青山学院大にとっては、とても意義のある優勝に。
明大、青山学院大が強くなってきて、
ますます箱根は面白くなっていますが、
次回は私と青山学院大の
つながりについて書いていくことにします。


(みなさん「ほぼ日手帳WEEKS」を使ってるんですよ。)

 
「箱根駅伝の前に読んでおけば良かった」 と言われることでおなじみ生島淳さんの箱根駅伝関連書籍。

箱根駅伝 新ブランド校の時代 /生島淳 
定価:798円(税込)
出版社:幻冬舎
Amazonで購入する

2011年に発表した箱根駅伝(幻冬舎新書)が
2012年の箱根駅伝の展開を
ピタリと言い立てていたことで、箱根駅伝後に話題に。
「ぜひ、2013年度版も」というファンの声に応えた
箱根駅伝2013年度版対応版となった一冊。
箱根駅伝の始まる1月2日までには手に入れておきたい。



人を育てる箱根駅伝の名言 /生島淳
定価:1365円(税込)
出版社:ベースボールマガジン社
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青山学院大学のエース、出岐選手(4年生)は
大事なレース前に祖母が送ってくれた
故郷長崎で焼かれた福砂屋のカステラを食べるのだという。
東京で焼いたものはちょっと味が違うらしい。
そんな箱根駅伝にまつわる23人40の名言とエピソード。
旧エンディング・テーマ「I must go」を聞きながら
読み進めたい。

2012-12-30-SUN
 
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(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN