イベント「活きる場所のつくりかた」よりメガさん(Megarini Puspasariさん)のおはなし子供たちのためにできること、世界のためにできること
第2回
なぜ日本にはストリートチルドレンがいないんだろう。

2004年に、スリランカに津波がありました。
その時私はAPUでインドネシアの学生の
リーダーとして活動をしていたんですけれども、
「じゃあ、日本にいるインドネシアの学生は何ができる?」
ということを考え、募金活動などを始めました。
それがインドネシア人だけじゃなく、
世界が近くなるというイメージのなかで、
インターナショナルに、そして日本人の方々にも
協力してもらって、実際に募金活動もして、
チャリティパフォーマンスもして、
現地、スリランカにも行きました。
スリランカでは立命館が学校を建てていますから、
そこの活動にも関わるなかで、
子どもたちの教育ということについて、
私の関心が深まったと感じています。

それと同時に、APUで、
「hoshiZora community」(ほしぞらコミュニティ)
を立ち上げました。

2002年に留学をしてすぐに感じたのは、
日本とインドネシアとのギャップでした。
日本では子供たちが当たり前に教育を受けていますよね。
ストリートチルドレンもいない。
けれどもインドネシアでは、町の中に
ストリートチルドレンが多いし、
学校に入るのにはお金がかかる。
なぜ日本にはストリートチルドレンがいないんだろう。
そして、日本では当たり前になっている
「教育を受ける」ということが、
なぜインドネシアはできないんだろう。
なぜ、日本は、ここまで来られたんだろう?
そんなギャップを感じたんですね。
それが、スタートでした。

母の話をしましたが、
父の話もさせてください。
私の父は、赤十字のボランティアとして、
私の小さい時から活動をしていました。
私たち家族は、何かあった時、夜も眠らずに、
とても忙しくしている父を見てきました。
そんな姿を見ていると、
私が何もしない、ということはできないんですね。
自分は何をすべきだろう?
そこでさっきの「hoshiZora community」の話に
戻るんですけれども、
最初はCARE、「気遣う」ことから始まり、
その後CONTRIBUSHION、「貢献したい」と
考えるようになりました。
「インドネシアの現実に向かって、
 じゃあ、私たちは何ができる?」ということですね。

つまり、今、インドネシアは、
ストリートチルドレンがまだたくさんいて、
「学校が高い」「お金が必要」という状態ですが、
日本みたいに、ストリートチルドレンがいなくて、
教育が当たり前という状態に持っていきたい。
「EVERYONE HAS AN ACCESS ON EDUCATION」です。
これが「hoshiZora」の夢です。

その後は、それぞれの可能性を見つけるということ、
夢を実現するということを、子どもたちに経験してほしい。
私も最初は日本へ行くということは夢だったんです。
それが、教育を受けることができて、奨学金を受け取って、
日本に来ることができました。
APUの友達も、そういうふうに思っていた人が多い。
「日本で勉強できるのは夢だったよ」と。
だから子どもたちにも夢を持ってほしいし、
それを実現させてほしいという気持ちがすごく強い。
「IMPOSSIBLE TO I'M POISSIBLE」、
不可能から可能に変えてみせるということです。
夢の力で、人生が変わるということを感じてほしい。

「すべての子どもたちが教育を受けられ、
 子どもたちが持ってる力を発揮でき、
 より良い世界を作っていくこと」
この、hoshiZoraのビジョンを達成するために、
いくつかのミッションがあります。

APUにいた時に友達と話したんですが、
「日本で1,000円があれば、素敵なランチができる」。
けれども、
「インドネシアでは、1,000円あれば、
 1人の子どもを学校に通わせることができる」。
日本にいる私たちには小さなものが、
他の国に持っていけば、
それが子どもたちの将来になるということです。

(つづきます)

2015-08-28-FRI