松田 40年近く前のことになりますが、
赤瀬川さんに、学生時代に出会えて
すごく得をした気がします。
糸井 赤瀬川原平って人は、
松田さんにとってどういう人だったの?
松田 『ガロ』にいた編集者が
千円札裁判にかかわっていたんです。
そこで赤瀬川さんのことを聞きまして。
 
1963年、赤瀬川原平さんが
千円札紙幣の模したものを作品として
制作したことにより
通貨及証券模造取締法違反で起訴された事件。
判決は執行猶予つきの有罪となった。
  赤瀬川さんに会って話していたら、
なんだかすごく気が合うんですよ。
それから遊びに行くようになって、
赤瀬川さんは、当時新婚だったんですが
六畳一間のその家に、
ぼくは数日間にわたって寝泊まりして。
糸井 新婚なのに。
松田 赤瀬川さんが、マッチのレッテルが
おもしろいと言うと、
町に行って、マッチ買ってきて
「こんなおもしろいのもあった」
って報告して、盛り上がる。
糸井 手伝いですね、それもまた。
松田 赤瀬川さんが宮武外骨関連の雑誌を
誰かにもらってきて
「これおもしろいよ」と言うと、
ぼくが古本屋で別の雑誌を探してきて
「あった、あった」
「ワーワー」
「おもしろい、おもしろい」
そうするうちに、南も加わって。
糸井 頼まれたか頼まれないかぐらいのところで、
立ち入りはじめるわけですね。
松田 おもしろいと感じるところが一緒だから
「じゃあ、きっとこれもおもしろいだろう」
と、ひろがっていく。
あれほど見た目が弱そうで頼りなさそうな
巨大な人物は、いないと思います。
前衛芸術の美術家で、芥川賞も受賞している。
(芥川賞受賞作品は
 尾辻克彦名義「父が消えた」)
裁判も経験して、中古カメラに凝ったり、
路上観察、『老人力』でしょう?
実は、いろんなトレンドを引っ張っている人です。
 
糸井 先日、赤瀬川さんと伸坊と3人で
テレビ番組に出演したんですけど、
ひっきりなしにしゃべりましたよ。
松田 ぼくらも、会うとずっとしゃべってます。
飽きないもん。
40年しゃべり続けても飽きない。
糸井 赤瀬川さんのことをみんな
「弱そう」とは言うものの、
あれだけしゃべるには、
すごくタフじゃないと無理ですね。
もう70歳でしょ?
松田 そう。ぼくや南からすると10歳上。
だけど、何というか、友達みたいです。
糸井 みんな、赤瀬川さんに
注意を与えながら生きてます。
松田 下手をすると「ちょっと困った人」です。
だけど、気づいてみれば、
すべての事柄がいつのまにか、
赤瀬川さんに引きずられているんです。
糸井 すごいですね。
松田 路上観察学会では、ぼくらは集まって
それぞれが撮ってきた写真を選考します。
そこで落とす写真は、例えば、
赤瀬川さんがシャッターを押したかったから撮った
という写真なんです(笑)。
落とされるのは
「それはアートだから」という理由です。
糸井 うん、うん。
 
路上から観察できる森羅万象をとりあげ、
探索していく学会。
自然現象でできあがった造形美や
人間が無意識に作り出した造形物が観察対象。
松田 路上観察はアートじゃいけない、
違う何かを感じ取んなきゃいけないんです。
そうやって赤瀬川さんの撮った
何でもない写真を批判しつつ進めるんですが、
だんだん飽きてくるんです。
さんざん、いろんな物を見ていくうちに、
赤瀬川さんの
「これは気持ちがいいからシャッター押したい」
という気持ちが、わかってくるんですよ。
だから、いつの間にかみんな
赤瀬川さんみたいな写真を撮るようになる。
そうやって、赤瀬川さんはいつも、
みんなを自然に教育してくれているんです。
糸井 赤瀬川さんは、意味の枠組みに
いちばん囚われてないところで、
そうやってのけるんですね。
赤瀬川さんの家だって、あれはいわば、
人身御供(ひとみごくう)じゃないですか。
 
1997年に竣工された木造住宅の「ニラハウス」。
屋根に、点状にニラの鉢植えが設置されている。
うぶ毛のように建築から植物を生やしたい、
というコンセプト。
設計:藤森照信+大嶋信道(大嶋アトリエ)
松田 普通、やらないよね。
糸井 あの時期に家を建てたのもすごいね。
 
松田 あれは『老人力』が売れる前ですから、
売れたから建てたわけじゃないんですよ。
糸井 ということは、赤瀬川さんは冒険をしたんだ。
先に吐き出して、
『老人力』で埋め合わせができちゃったんだ。
松田 呼び寄せたんですね、きっと。
そもそも赤瀬川原平と言っても、
ぼくが入った当時の筑摩書房では、
怪しげな前衛芸術家という感じでしか
見られていなかった。
糸井 伸坊なんて、ただの三角の、
エッセイ書いている人だったし。
松田 (笑)。そうなんですよね。
だけど、会社が倒産することになって。
糸井 筑摩がね。
  (続きます!)
2007-06-22-FRI
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