松田 筑摩書房というところは
いろんなことに手を出す会社だったんです。
落語の本を出したり、書道の本を出したり。
そして、漫画の本が
本屋さんであまり売っていない時代に
ハードカバーで函入りの
漫画の全集を出すことになった。
でも、いざ「漫画を出そう!」と思いついても
その編集者がいない。

ぼくは、たまたま
その漫画全集の編集をやることになった
筑摩の編集者と
大学の近くの飲み屋で知り合いになりました。
「漫画よく知らないんで」って言うから、
その人に漫画の知識を
ひととおり教えてあげたんです。

糸井 松田さんは、ずっと
「出会い頭になんだかよく手伝う人」
なんですね。
松田 (笑)そうかもしれないですね。
その漫画全集はね、
いきなり数万部売れたんです。
 
糸井 すごい。
松田 そうなっちゃったら、会社としては
「もっと力を入れてやれ」
ということになりました。
だけどやっぱり編集者がいないから、
「じゃあおまえ、アルバイトに来い」
ということになって、
そこでぼくは筑摩に行くことになりました。
でも、アルバイトの打ち合わせに行く日に、
ぼくは警察にいたんです。
糸井 あ‥‥捕まっちゃった?
松田 そう。四・二八沖縄デー、新幹線の線路上でした。
やじ馬でついて行ったら
隊列が新幹線の線路に入っちゃって
挟み撃ちで逃げられなくなって、
23日間、勾留されました。
糸井 23日は長いですね。
松田 逮捕された奴を
アルバイトに雇わないだろうな、
と思ったんですけど。
糸井 そんなの、当時は関係なかったですね。
特に筑摩書房は大丈夫でしょう。
松田 まあ、筑摩はリベラルな会社だったから。
糸井 そこで、アルバイトに雇われて
そのまま社員になっちゃったんですか。
松田 いや、筑摩書房って
入社試験を受けると100倍以上なんですよ。
当時はほんとうに、東大、京大卒の人が中心で、
私大卒の人はちょっと居心地が
悪いぐらいの会社でした。
そんななかで、大学も出てない
アルバイト上がりが
社員になれるわけがないんです。
糸井 それがどうして、社員に?
いま、専務でしょう。
松田 当時、学生運動の流れで
出版社で臨時労働者問題が騒がれ出したんです。
つまり、アルバイトが
「俺たちの権利を」って騒ぎ出したわけ。
筑摩の人たちもそれに気づいて
「よく考えるとうちにもアルバイトがいるな」と。
糸井 松田がいるぞ、と。
松田 うん。何とかしなきゃいけないんです(笑)。
穏便にすませるために、
「社員化しちゃえ」ということになって、
「今度入社試験やるから受けるように」
ということになりました。
八百長ですよ。裏口入社です。
大学も途中から行かず、
そうやって、会社にこっそり入ってしまいました。
糸井 じゃあ、かたちだけの受験をしたんですね。
松田 そうです。すでに1年間
アルバイトをしていましたから、
面接試験をしても、
試験官はすでに一緒に飲んでいたりする人で。
糸井 やりにくい(笑)。
松田 やっぱり緊張しました。
面接試験のあとに、一緒にお酒飲んだんですが
生涯でいちばんひどい二日酔いになりました。
入るとわかっているけど嫌でした。
「君はこの会社に入って何をやりたいかね」
というようなことを聞かれると
それなりに答えなきゃいけなくなって。
糸井 そんなこと、それまでの仕事じゃ
出てこないことだもんね。
面接は会議じゃないからね。
 
松田 あらためて面接用に考えてみると、
ぼくは筑摩にそんなに入りたいわけではないんです。
給料は、ものすごくよくて、
仕事も面白かったから、入りたいとは思いましたよ。
でも、エリートばかりで
自分とは肌が合わない会社だな、とも
思っていたんですよ。
糸井 なるほど。
エリートばかりって
試験のときに再認識しちゃったんだね。
社員になって、そのまま筑摩の仕事を
順調にやるようになったわけですか?
松田 はい。仕事はちゃんとやりました。
そのかわりに、
赤瀬川さんや南なんかと一緒に、櫻画報社で、
『現代の眼』とか『美術手帖』とか
いろんなところで連載をしていました。
社員になっても
「筑摩の仕事は一部」みたいな意識でいたんです。
 
糸井 赤瀬川さんの仕事にも
ずっと関わっているわけですね。
松田 ええ。いちばん最初にぼくを
編集者として認めてくれたのが、
赤瀬川さんだったんです。
  (続きます!)
2007-06-21-THU
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