有野課長の挑戦部屋に、糸井重里がやってきた。 ―30年目の『MOTHER』のおはなし― 有野課長(よゐこ・有野晋哉さん)×糸井重里

お笑いコンビ・よゐこの有野晋哉さんが
名作ゲームに挑戦するバラエティ番組、
『ゲームセンターCX』(CSフジテレビONE)。
「株式会社ゲームセンターCX興業」の「有野課長」として
16年間、レトロゲームに挑戦しつづけています。
番組からの依頼で生まれた「ほぼ日手帳」が
世に出るタイミングで選ばれたゲームが、
糸井重里の手がけた『MOTHER2』。
試行錯誤しながらゲームを進める
有野課長の挑戦部屋を、糸井重里が訪ねました。
初代『MOTHER』の誕生から30年、
いまなお愛されるゲームの思い出を語ります。

CSフジテレビONE『ゲームセンターCX』の
収録内容を、ほぼ日編集バージョンでお届けします。

5岩田さんのおかげ

有野課長岩田さんって『MOTHER2』には、
どう関わっていたんですか?

糸井『MOTHER2』のプログラムの
大元締めが岩田さんです。

有野課長噂で聞いたんですけど、
『MOTHER2』の開発が行き詰まっていたときに、
岩田さんが呼ばれたんでしたっけ?
「ぼくがやったら、こんだけできますよ」
みたいな話でしたよね。あれ、ホンマですか?

糸井そんな威張った感じじゃないけどね(笑)。
おおもとは当時の山内社長が、
「岩田さんに会ったらいい」
と言ってくれて会うことになったんです。

有野課長そのときはもう行き詰まってたんですか?

糸井行き詰まってましたね。
で、岩田さんに見てもらったらこう言うんです。
「いまあるものを活かしながら
手直ししていく方法だと2年かかります。
いちからつくり直していいのであれば、
半年でやります」と。
絵とか、必要な材料は揃っていたから、
岩田さんはそう言ってくれたんです。

有野課長材料の積み上げ方、ということですか?

糸井そう、積み上げ方ですね。
この建築だと2年かかるけど、
土台から作ったら、
だいたい半年で作れるということですよね。

有野課長へえー!
で、できたんですか?

糸井そうです。
半年で全体がつながったんで、
あと半年をかけて細かい調整を加えて
発売することができました。

有野課長すげーっ!
何が違ったんですか?

糸井プログラムなんでしょうね。
特に岩田さんは、手分けして
作業を進められる方法を作るのが得意なんで、
手を動かせる人の数を増やしていくんですよ。
みんながシャベルで穴を掘っているときに、
「削岩機をぼくが作って、みんなに渡しますから。
この削岩機で穴を開けちゃってください」
という仕組みを作ってくれる人なんです。
シャベルで掘っているときに比べると、
圧倒的に速くなりますよね。

有野課長へえー!

糸井岩田さんは、便利な道具を作るような
方法が得意なんです。

有野課長もうちょっと簡単な方法を
探るってことですか?

糸井簡単にするというよりは、
やることは難しいに決まっていることも、
道具を作って手分けしているんですよ。
たとえば、たくさんの豆があったとします。
1粒ずつ豆を数えるようなことをしないで、
枡いっぱいに豆を入れたら
どれだけ入ったかわかるじゃないですか。
その枡を配るようなことを、
岩田さんは得意にしていたんです。
本当にややこしいところは、
自分が徹夜して仕上げていました。

有野課長あっ、岩田さんが自ら
徹夜もされてたんですね。

糸井そう。これは『MOTHER』じゃないけど、
『糸井重里のバス釣りNo.1』っていう
ゲームを作ったときには、
糸が、ふわーっと飛ぶときの動きは、
数学の得意な人が再現できることなんです。
それは岩田さんがお正月休みを使って、
ひとりで静かにプログラムを作ったんです。

有野課長誰かに手分けしてじゃなくて、
「ここは俺、自分でやる」って?

糸井「ここは自分でやりますから、
あと進めておいてください」みたいな。

有野課長そうだ、糸井さん「バス釣り」出してはったわ。
『MOTHER2』は岩田さんに相談したところから、
「あ、できるんだ!」って進んだんですか?

糸井進まない間も、
絵を描く人は絵を描いていられるし、
イベントの構成も進められるから、
部品だけはどんどん溜まっていました。

有野課長その部品を詰め込める人がいなかったんや。

糸井このままじゃゲームにならないぞって。
岩田さんのおかげで動かせるようになったら、
みんなが元気になって仕事も進むんですよね。
岩田さんが来るまで「やってみる」ってことが
ちっともできなかったんで。

有野課長遊べるようになったらたのしいですよね。
たとえば、岩田さんから
「この話だと無理なんで、
こう考えてくれたら、くっつくんですけど」
みたいなリクエストはなかったんですか?

糸井そのときの岩田さんがカッコよくて、
「プログラマーはノーと言ってはいけないんです」
と言ったんです。

有野課長うわあ、すげえーーー。
芸人なんか、まずノーですよ。
「ムリムリムリ!」って言います(笑)。

糸井その話はあとで話題になって、
いろんな人が困ったらしいですよ。
「岩田さんがあんなこと言ったおかげで、
ぼくはエライ苦労した」って。

有野課長あはは、ノーは言いますもんね。

糸井その話をすると岩田さんは、
「まあ、そうなんですけどね」と言うんです。
「そうなんですけど、
おもしろいことをやろうって言っている人が
目の前で喜々として語っているときに、
プログラマーが『あ、無理ですね』って言うのは、
物事をつまらなくすることだから、
軽々しく『ノー』と言ったらダメなんです」。

有野課長うわー、かっこいいー。

糸井岩田さんだって、
本当に無理なら無理だって言いますよ。
でも「こうしてくれたら実現できます。
それでもいいでしょうか」
とすればメニューは広がるわけですよね。
それを今までの方法に合わせて
ノーって言っちゃダメだよっていうのは、
いっしょに仕事をしていて
だいぶんうれしかったですね。

有野課長岩田さんが実現してくれるから、
糸井さんはいろんなことを考えられますね。

糸井そうです。
これじゃつまらなくなるなっていうところに、
無理やりおもしろことを入れるとか。
ふざけすぎていたらバランスも考えて、
あとで入れられるんで。

有野課長ああ、そうか。
岩田さんは『MOTHER2』のときには、
プログラマーですよね。
でも、のちに任天堂の社長になるじゃないですか。
糸井さんは、ビックリしなかったんですか?

糸井いや、あんまりしなかったですね。
社長になってもいいような
試練をさせられてたから(笑)。

有野課長あははは。

糸井任天堂のアメリカの責任者にもなってるわけだし、
経営企画室の責任者にもなってるわけだから。

有野課長徐々に経営側にいっていた。

糸井で、岩田さんという人は、
自分が社長になるのがいちばん進みやすいなら
社長もやりますっていう人だったんです。

有野課長岩田さんとは、
ちょこちょこ連絡してはったんですか?

糸井それどころか、ゲームを作っていないときも
しょっちゅう会っていましたから。

有野課長へえー、そうでしたか。

糸井『MOTHER2』のときに、
長いこと戦友みたいに仕事したんで。
任天堂の神田支店みたいなビルがあって、
そこがぼくらの開発室でした。
で、社長室がぼくらのねぐら。

有野課長えっ、社長室で?

糸井社長室があっても、
山内社長は神田にあまり来ないんですよ。
社長用のトイレもあるし、ソファもあるしで、
ソファがぼくと岩田さんの寝床です。
「ホテルプレジデント」って呼んでた(笑)。

有野課長「ホテルプレジデント、行く?」って(笑)。

糸井岩田さんも「しょうがないですね。
今日はプレジデント泊まりですね」(笑)。