2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.131

『老人と海』を新訳で読む

 ながく福田恆存訳で親まれてきたヘミングウェイ『老人と海』(新潮文庫)の新訳版が出ました。

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 6年前に小川高義さんの新訳も出ていますが(光文社古典新訳文庫)、こちらは近年ライフ・ワークとしてヘミングウェイの新訳に取り組んできた高見浩さんによるものです。

 氏のおかげで、ステレオタイプ(紋切型)のヘミングウェイ――マッチョの典型、行動派の権化、“パパ・ヘミングウェイ”の伝説など――におさまらない、作家の起伏に富んだ人生の機微や、鋭く繊細な短篇の数々に触れることができました。今度は、あの名作です。

 よく知られているように、物語は単純明快な話です。

 84日間、不漁に見舞われ、すっかり運に見放されたと思われている老漁師のサンチャゴが、メキシコ湾流で巨大なマカジキ(大きさが18フィートといいますから約5.5メートル)を鍼(はり)にかけます。深海に潜ったまま、釣り糸で舟を引っ張り続けるこの大魚と、3日間にわたる渾身の闘いが続きます。ようやく仕留めて、舟を港に走らせますが、帰途、サメの群れに襲われて、舟の舷側につなぎとめていた魚は無残な残骸になり果てます。

 スペンサー・トレイシー主演のハリウッド映画「老人と海」(1958年)をテレビで見たのがきっかけで、本を手にしたのが小学生の時です。

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『老人と海』DVD ¥1,429 +税
ワーナー・ブラザース
ホームエンターテイメント
(c) 2011 Warner Bros Entertainment Inc.
All Rights Reserved.

 新潮文庫が扱っている海外作品の累計発行部数ランキングで、『老人と海』は堂々の1位を占めています。日本作品を含めた順位でも、夏目漱石『こころ』、太宰治『人間失格』に次ぐ3位で、4位が漱石『坊っちゃん』、5位がカミュ『異邦人』です。

 夏休みの読書感想文向きの図書ですが、これほど読まれているとは驚きでした。

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 さて、舞台はキューバのハバナ近郊のコヒマルという漁村です。冒頭の1行に「漁師は老いていた」とあるサンチャゴは、海を愛する誇り高き男です。

<老人は痩(や)せていた。体は筋張っていて、うなじには深い皺(しわ)が刻まれている。熱帯の海が照り返す陽光で、両の頬には茶色く変色したしみができており、それは頬の下のほうにまで及んでいた。両手には、重い魚を釣り綱で引き上げたときにこすれた深い傷跡がある。どれも新しいものではない。(略)
 全身、枯れていないところなどないのだが、目だけは別だった。老人の目は海と同じ色をしていた。生き生きとしていて、まだ挫(くじ)けてはいなかった。>

 舟にはマノーリンという少年が同乗していました。ところが、不漁が40日間続いたところで、少年の両親は別の舟に移れと命じます。漁のイロハを老人から教わってきた少年には、それが不満です。老人を慕う少年は、食事の差し入れなどをして気遣います。

 「きょうはいっちょう、やってやれそうだ」――少年に見送られ、老人は夜明け前、暗い入り江から外海に向かって舟を出します。漁の技術では「だれにもひけをとらない」という自負があります。

<‥‥おれのやり方に狂いはないからな、と老人は思った。いまはツキに見放されているだけだ。でも、わからんぞ。きょうこそは運の潮目が変わるかもしれん。毎日が新しい日だ。運が向けば言うことはない。とにかく正確な手順を守ることだ。加えて運が向けば、何もかもうまくいく。>

 さて、この作品を書いた時、ヘミングウェイは51歳でした。キューバを第2の故郷として、1939年4月以来、ハバナ近郊に借りたフィンカ・ビヒア(望楼園)の居宅で、9000冊の本、57匹の猫、4頭の犬、そして2人の妻たちとともに、22年間を過ごします。

 『老人と海』は、1950年のクリスマス前後から書き出され、翌年2月半ばにはほぼ完成したと言われます。約6週間で仕上げるハイ・ペースです。そして、1952年9月、当時の最有力誌である「ライフ」に全文一挙掲載という前代未聞の形で発表され、532万部が48時間で売り切れたといわれます。直後に単行本も初版5万部で刊行されます。

 前作『河を渡って木立の中へ』がさんざん酷評されたのと対照的に、多くの讃辞に包まれます。もっとも注目すべきは、同時代作家としてヘミングウェイにかねてから批判的だったフォークナーの論評です。この小説をヘミングウェイの最良の作品と評します。

<彼の最高傑作(ベスト)。われわれ、つまり彼や私の同時代人の著したどの作品にも優(まさ)る作品であることを、いずれ時の経過が示すかもしれない。この作品で、彼は神を、創造主を発見した。従来の彼の作品では、男も女も自らを作り上げ、自らの粘土で自らを形作った。(略)
 しかし、この作品で、彼は憐(あわ)れみについて書いた。彼ら自身をどこかで作り上げている何者かについて書いた。魚を捕らえても失わなければならぬ老人。捕らえられてから失わなければならぬ魚。老人から魚をかすめ取らなければならぬサメ。彼らすべてを造り、愛し、憐れんでいる存在。いいだろう。何を造ろうとも愛し、憐れみ、ヘミングウェイと私をしてこれ以上の介在を避けせしめてきた存在、神を讃えよ。>(高見浩訳、文庫解説より)

 さらにこの作品は、ヘミングウェイに大きな栄誉をもたらします。1953年のピューリッツァー賞受賞と、翌54年のノーベル文学賞の受賞です。ノルベルト・フエンテスの『ヘミングウェイ キューバの日々』(晶文社)によれば、その日(1954年10月28日)午前11時頃、キューバのすべてのラジオ局は平常の番組を中断し、ノーベル賞受賞のニュースを報じます。

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 「キューバの最愛の息子の一人」が、栄光ある国際的コンペティションに打ちかち、金メダルと賞状、そして、3万6000ドルの現金を獲得した、と。すると、祝賀のキューバ人たちがヘミングウェイの居宅になだれこみ、作家は群衆に向かって感謝の言葉を述べます。喜びのあまり、さすがに声がうわつき、ふざけた調子のスピーチになります。

「みなさんよくご承知のように、多くのキューバ人がいます。しかし、古代のガリアと同様、彼らは、三つの部分に分けられます。飢えている人、何とか生きている人、飽食している人。この三つです。このすばらしい(そしてブルジョア的な)ごちそうを頂戴したあとでは、われわれは、明らかに、第三のカテゴリーに属しています。少なくとも、当分は、です」(前掲書)

 そして、挨拶の最後に、ノーベル賞の金メダルをコブレの聖母寺院に献納することを言明し、実行します。同寺院の礼拝堂にはいまも保存されており、「これはキューバの民衆への贈りもの」と言われます。

 『老人と海』を再読して打たれるのは、主人公の独白の魅力です。その叙事詩的なヒーロー像です。次々と襲いかかる困難に、決してたじろがず、気力、体力、知力の限りを尽くして立ち向かっていく、彼のストイックな姿です。

<つくづく、いいことはつづかんもんだ、とあらためて思った。これでは、いっそ夢だったほうがよかった。こんな大魚を引っ掛けたりせず、新聞を敷いたベッドに独りで寝転んでいたほうがどんなに気楽だったか。
「だが、人間ってやつ、負けるようにはできちゃいない」老人は言った。「叩きつぶされることはあっても、負けやせん」>

 1対1の闘いを挑んできたマカジキには、惜しみない讃辞を送ります。釣り糸につながれ、ぐんぐん舟を引いてゆく大魚。魚と老人の“2人”だけの闘いです。

 堂々として、高貴さを感じさせるマカジキへの共感と敬意が、ひしひしとこちらにも伝わります。

<おれのほうがやられちまうな、魚よ、と老人は思った。が、それも不思議ではない。おまえみたいにでかくて、美しく、悠然としていて、しかも気品のあるやつは見たこともないからな、兄弟よ。よし、好きなようにしろ、おれを殺せ。こうなったら、どっちがどっちを殺そうと同じこった。>

 2度目に銛(もり)を打ち込んで、マカジキの命を奪った時、「おれはやつの心臓にさわったんだ」と老人は思います。

 こよなく闘牛を愛したヘミングウェイは、マタドール(闘牛士)が牛にトドメをさす一瞬に心を奪われます。

 「やつの心臓にさわったんだ」は、まさに、それを思い出させます。そして私が以前、『さもなくば喪服を』(D・ラピエール&L・コリンズ、ハヤカワ文庫)を書評した際に、主人公である天才闘牛士が無意識のうちにまとっている「逆説的な謙虚さ」について触れたことをも想起させます。

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<生き物の世界は、殺すものと殺されるものとのつながりの中で成立しています。この闘牛士は牛に対して、単なる残忍な殺戮(さつりく)者でもなければ、支配者でもありません。牛とともに自然の秩序の中に生きる者として、おそらくは無自覚にせよ、自ら進んでより大きな存在の前にひれ伏しているかのように見えます。>(拙著『「考える人」は本を読む』所収、角川新書)

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 『老人と海』の作品解釈には、老人の孤影にキリストの受難を重ねる見方や、ギリシャ神話のイカロスの悲劇を読み取る論評もあります。こうした解釈に対して、ヘミングウェイ自身はどう思っていたのか。解説で作家の興味深い書簡を、訳者が紹介しています。

<で、もう一つの秘密というのはこうです。シンボリズムなどはありません。海は海、老人は老人。少年は少年で、魚は魚。サメはサメ以外の何物でもない。世間で言うシンボリズムなどはゴミです。肝心なのは、自分がものを知り尽くした先に何が見えてくるか。作家は過分なほどに対象を熟知しているべきなのです。>

 リアリティーがあるかどうか、それがすべてである、と。作者の言葉としては当然です。

 残念ながら、フォークナーが「ベスト(最高傑作)」とまで評したこの作品は、ヘミングウェイの生前刊行された最後の作品になりました。彼の文学的栄光のひとつの頂点をなしたこの時期を境に、ヘミングウェイは肉体的にも精神的にも、急速に衰え始めます。

 アフリカでの2度にわたる飛行機事故での大きなダメージ、重いうつ病の進行など、さまざまな負の要因が、作家の“老い”を加速します。1960年、彼は住み慣れたキューバを去り、アメリカのアイダホ州ケッチャムの山荘に転居します。

 うつ病と不眠症、神経障害が悪化します。精神疾患の高度治療で知られる病院の治療を受けますが、2度の入院の甲斐もなく、1961年7月2日、愛用のショットガンで、自ら61年の人生に終止符を打ちます。

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 彼の死後、キューバとアメリカの対立は「キューバ危機」と言われるほどに激化し、1962年にはあわや米ソ核戦争かと言われる瀬戸際まで行きます。

 それだけに、ヘミングウェイがなぜ創作活動の場をあえてキューバに求めたのか? 生涯の三分の一をなぜキューバで過ごしたのか? が興味深く思われます。

 理由を解く鍵は、彼がキューバを題材として書いた小説や数多くの記事のなかにあると、先の『ヘミングウェイ キューバの日々』は記しています。彼がいかにキューバ人のなかに深く根をおろし、愛情をこめて、この島の風景と人々を描いているか――。

<キューバにいると、彼は落ち着くことができた。人生を考え、人生を楽しみ、友人をつくり、土地の酒を飲み、仕事をした。周囲の事物をえがいて芸術作品を生み出した。一作家が、住まいの場所から、これ以上、何を要求できようか。彼がこの島に暮らしたのは、ほかのどこでも得られぬほどの生の充実感を、ここで得られたからなのである。>

 ヘミングウェイ自身、コロンブスの到着以前から、いや人類の誕生以前から流れ続けているメキシコ湾流のことを、「何度も、きわめて詳細に、深い愛情をもって」語っています。

<このストリームについて知りうること、このストリームのなかでつねに生きてきたものは、すべて不滅で貴重である。なぜなら、このガルフ・ストリームは、過去と同様、未来においても、インディアンが、スペイン人が、イギリス人が、アメリカ人が、そしてキューバ人がすっかり姿を消し、あれこれの政治体制が、富が、貧困が、殉教が、犠牲が、貪欲が、非道が、すべて消滅したあとも、悠々と流れつづけるであろうからである。‥‥(この世のもろもろのことは)唯一つ永続的なもの――ガルフ・ストリームに比べれば、何の意味もないのだ。>

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 歴史の悠久に対する個の営みで言えば、印象深いのは老人が海の上で何度も口にする「あの子がいてくれりゃ」というセリフです。

「あの子がいりゃいいんだが。手伝ってもらえるし、この一部始終を見せてもやれよう」

 大魚と死闘を繰り広げているときに、「あの子がいてくれれば」というのは当然すぎる願いです。脇にいてくれれば助かることは明らかです。しかし、何度も繰り返されるうちに、この言葉は違う次元で響いてきます。

 プライドを賭けた闘いだからこそ、あの子にはすべてを見届けてほしい。この一部始終を見せてやるのがあの子に対する役目なのだ、という、主人公の思いです。

 堂々たる雄姿を見せたマカジキはもちろん、邪悪なサメも、無邪気なイルカも、鳥も、大海原に生きるすべてのものを、身体全体で感じさせたい。月も星も、貿易風の彼方に見えるはずのハバナの明かりも、遠い昔にアフリカで見た浜辺で戯れるライオンたちの夢も――。

 傷を負い、疲れ果てて生還した老人に、少年は言います。「でも、また一緒に漁に出ようよ。もっともっと、教えてもらいたいんだ」「早く治ってくれないと困るんだ。教わりたいことがたくさんあるし、おじいさんは何でも教えてくれるんだから」

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 彼が老人から学びたいと願っていること、老人が教えたいと思っていること。ふたりはそれを本能的に察しています。少年が老人を慕う理由も、老人が少年を信頼する理由もまた――。

 大魚との偉大な闘いの物語は、キューバの漁師の間では、きっといくつもの“語り草”があるのだろうと思います。しかし、サンチャゴとマノーリン少年の造形は、キューバを愛するヘミングウェイを得て初めて成立したのだと思います。

 作家は沖に向かって小舟を漕ぎ出しました。そして、運にも恵まれ、大きな成果を手にしたのです。

2020年7月9日

ほぼ日の学校長