2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.127

球界裏のエースたち

 緊急事態宣言が解除され、プロ野球の開幕が6月19日に決まりました。各球団のチーム練習も本格化し、マシンではなく投手の球を相手にした打撃練習にいっそう熱がこもります。ニュースを見ていて、ふいにこの本が読みたくなりました。

 2011年に刊行された澤宮優『打撃投手――天才バッターの恋人と呼ばれた男たち』(講談社)に1章を加えて改題し、『バッティングピッチャー――背番号三桁のエースたち』(集英社文庫)として、最近、文庫化されたばかりです。

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 イチロー、松井秀喜、落合博満といった大打者の陰には、彼らから厚い信頼を得て、その栄光のために力を尽くした打撃投手たちの姿があります。あるいは、長嶋茂雄、王貞治という世紀のスーパースターには「ONの恋人」と呼ばれ、厳しい練習をともにしながら、監督にもコーチにも決して見せないONの素顔に触れた何人かの打撃投手たちがいます。

 大舞台で活躍するスター選手のようにファンの喝采を浴びることはありませんが、彼らの献身を抜きにして、大打者の現役生活は語れません。略して“バッピ”と呼ばれることもあるバッティングピッチャーは、陽の当たらない場所で黙々と、けれども強い精神力とプロの気概をもって懸命に投げ続ける黒衣(くろこ)のエースです。

 1分間に投げる球は6~8球。シーズン中だと1日120球、キャンプであれば300球を投げます。40代、50代の投手もいます。選手登録されているわけではなく、裏方と呼ばれるスタッフとして1年契約で働きます。

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水島新司『あぶさん』第6巻には「ネット裏のエース」として実在の打撃投手、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の“鬼軍曹”西村省一郎さんが登場します。トメの文章、29行が胸に迫る回でした。

 似たような裏方には「壁」と呼ばれるブルペン捕手がいます。打撃練習ではキャッチャーの代行をし、試合が始まるとブルペンで、その日登板予定の投手のボールをひたすら受けて、ウォーミングアップの相手役をつとめます。

 捕球の際、ミットが流れず「パンッ」と大きな音を立ててキャッチすることが大切です。元気よく、大きな声で「ナイス・ボール!」のひと声がかかると、ピッチャーの気分が乗ってきます。

「ピッチャーを一番いい状態でマウンドに送り出すのが仕事ですよね。ピッチャーというものはベストピッチをすぐに忘れるもので、だからキャッチャーはベストの像をいつも覚えておいて、それを引き出してやらなければならない。おだてたりすかしたりしながらいかにそこへ近づけるか、それが自分の仕事だと思っていました」

 後藤正治さんのノンフィクション「壁と呼ばれた男」(『咬ませ犬』所収、岩波現代文庫)に登場するブルペン捕手の言葉です。プロのピッチャーの球を、一日200~300球受けるのですから、重労働です。ひと仕事終えると、手の平は真っ赤に腫れ上がります。

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 さて、ここでいきなり草野球の話になりますが、かつて一度だけフリーバッティングのピッチャーを命じられたことがあります。初めてでした。まぁキャッチボールの延長だろうと、何も考えずに投げているうちはオッケーでした。ところが、口うるさいバッターが相手になり、「ストライクを投げなければ」と意識した途端、投げる動作がぎこちなくなって、急にストライクが入らなくなりました‥‥。焦りました。

 草野球だから、まぁどうってことはないのですが、後に「イップス」の話を聞いて、正直ゾッとしたのを覚えています。イップス(yips)とは、もともとはゴルフの世界で用いられた言葉で、「精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、突然自分の思い通りのプレーができなくなる症状」をいいます。

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 ゴルフでは、それまでスムーズにパットを沈めていたゴルファーが、ある日突然、腕がかたまり、満足なパットが打てなくなります。

 野球では正確なコントロールを要求される投手や内野手が、死球や暴投のトラウマから突然イップスに陥る場合が多いとされます。一流打者を相手にする打撃投手の場合も、「最大の恐怖」がイップスです。

 ボールが打撃ゲージの外に行ったり、ホームベースまで届かない、足元でワンバウンドしてしまう。原因も不明、病院に行っても治らない。イップスに襲われ、そのまま引退する投手も多くいます。本書のなかでも、この問題は通奏低音のように語られます。

<「ある日、イップスは突然来ました」
 彼はそう語った。
 ある日、入来(いりき)が打者に投げると、球がワンバウンドした。それも自分の足元の近くで、である。あるいは意図するコースとまったく違う方向に投げたりする。ストライクかボールかというコースの差ではない。あきらかにボールとわかる球になった。今までの投手生活で、一度も経験したことのない球筋だった。
 「あれ、今俺はどうやって投げたっけ? となっちゃうわけです。ふつうは足元なんかには行かないですよ。ボールを初めて握った人ならいざ知らず。赤ちゃんや子供が上手く投げられないじゃないですか。あんな感じになってしまう」>

 語っているのは、元巨人のエース、入来祐作投手です。1996年にドラフト1位で巨人に入団し、闘志をむき出しに速球を投げ込む豪腕投手としてならしました。2001年には13勝4敗の好成績を挙げ、最多勝は逃したものの、勝率はセ・リーグトップでした。

 その後、日本ハムを経て、メジャーリーグにも挑戦し、帰国後はテストを受けて、横浜ベイスターズに入団します。しかし、故障に悩まされ、満身創痍で戦力外通告を受け、選んだのが打撃投手の道でした。

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 打撃投手というのは、怪我などで無念の引退を余儀なくされたピッチャーが、好きな野球を続けるために“第二の人生”として、この道を選ぶケースがほとんどです。現役の投手が打者を抑えるために投げるのと真逆で、打撃投手は打者に気持ちよく打ってもらうのが仕事です。

 スピードを落として、打ちやすい球を投げるだけでは足りません。もう一段階高い技術が必要です。いい打撃投手とは、「打者の意を汲(く)んで上手に気持ちを乗せてやれる人」のことです。

「特徴は打者によって違うから、彼らからいいものを引き出してやるのが‥‥仕事」 (楽天・山崎武司の恋人と言われた杉山賢人投手の発言)

 先ほどのブルペン捕手の言葉にも似て、打者のため、というマインドがなければなりません。調子の悪い選手がいたとすれば、どうしたら本来の調子を取り戻せるか、それを考えて投げるのも打撃投手の役割です。

 打撃投手はマウンドから選手に正対しています。ネット裏にいて打者を後ろからしか見ていない打撃コーチよりも、選手の調子の波がつかめます。

 オリックス時代のイチローの打撃投手、奥村幸治さんは語ります。

「イチローに限らず、ほとんどのバッターって、調子が悪くなるとバットが出てこなくなるのですね。力んだり、“打たないと”という気持ちが強くなるのです。そうなると、自分のポイントにバットが出なくなったり、肩が開くのが早くなります。僕らが慣らしてあげるのは、ふだん一二〇キロで投げているボールを二~三キロ遅くしてあげるんです。すると遅れているバットが合うわけですよ。合うことで、きれいに打てる感覚が戻るのですね」

「バッターも人なので、その人の心をうまく感じてあげたり、支えてあげたりすることのできる人が一流の打撃投手なんじゃないでしょうか」(同)

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 先の杉山投手も語ります。「一軍でいい成績を残したから、打撃投手として成功するとは限りません。気持ちの問題がすごく比重を占める仕事です」

打撃投手がいかにメンタルな強さを求められる仕事かが、よくわかります。打者とのリズムがうまく噛み合えば問題ありません。ストライクが入らず、「きちんと投げんか!」と打者に言われ、潰れてしまうのも打撃投手です。逆に、打者の励ましや、感謝によって、打撃投手が育つことも事実です。

 その意味では、孤高の三冠王、落合博満は「打撃投手泣かせの打者」でした。それは、彼が「山なりの緩い球」を打撃投手に求めたからです。「これで肩を壊し、イップスにかかり、打撃投手を辞めた人もいる」といわれます。とはいえ、ロッテ、中日、巨人、どの球団にも“落合の恋人”は現れます。

 なぜ緩い球を欲しがるのか? そう聞かれた本人の答えはこうでした。

「速い球を打とうと思ったら、遅い球を自分のポイントできちんと打てないと、できない‥‥。速い球は、打ち動作を早くすれば、どんなに速くても打てる‥‥遅い球で、自分のポイントがわかって、これを捕まえて飛ばすことができれば、球は飛ぶ‥‥遅い球をちゃんと打てない人は、速い球も打てません」

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 好成績をおさめると、落合流のやり方で、打撃投手への心遣いを示します。長嶋、王をはじめとして、イチロー、松井秀喜、清原和博‥‥。大きな働きをしてくれた打撃投手に対する感謝の表現にも、それぞれの個性が感じられます。ふだん語られることのないスター選手の人間的な側面が、こうして見えてくるのも本書の読みどころのひとつです。

 さて、この打撃投手という制度ですが、本書によれば専属打撃投手の第一号は、1960年に巨人に入団した近藤隆正さんになるそうです。1962年に川上哲治さんが巨人の監督になり、翌年、近藤さんに打撃投手専任を命じます。初代“長嶋の恋人”です。

「長嶋さんはすぐワシの名前を呼ぶんじゃよ。ワシの球しか打たんからな。若い衆はびびってストライクが入らんのじゃ。だから相当腹が据わっちょらんと長嶋さんの相手は務まらんじゃろうな。ストライクが入らないと“それでもプロか”とコーチに文句言われるけんな。ふつうはコチコチになってしまうわな」

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 近藤さんは1分間に11球。計450球を投げていたといいます。長嶋さんは何度もコメントしています。「ぼくらが打てるのは、近藤なんかが調子づけてくれるからだもの。‥‥僕らを調子の波に乗せてくれるのは近藤のおかげだよ、‥‥ほんとたいせつにしないといかんね」

 こうして打撃投手という専門職が、日本のプロ野球界では一般的な“常識”になります。が、しかし。これはメジャーリーグにも、韓国、台湾にも存在しない日本独自の制度です。

 そして名将たちも、打撃投手を尊重しました。川上哲治しかり、西本幸雄しかり、野村克也もまた――。

 なぜマシンでなく、打撃投手が必要なのか。ある打撃投手が語ります。

「バッティングマシンは確かに便利です。数もたくさん打てますね。でも打撃投手はマシンにないものがあります。それはキャッチボールに近いといいますか、投げる者、打つ者の心の通じ合いがあるのです。打撃投手は打者のいちばんの理解者です。投げるタイミングも自在にできますし、打つほうはいろいろな注文も出せます。彼らが打者の調子をよく知っていますから、ただ投げるのでなく、打者の希望を汲み取ったり、配慮して弱点に投げたりと、調子に乗せてくれます。彼らは打者の味方でもあり、打者の写し鏡ですね」

本書の著者も述べています。

<何より彼らは生きた球を投げる。微妙に癖のある、回転し揺れ動く、息のかかった球を投げる。これは生身の人間が投げるから可能であって、機械にはできない。これこそもっとも実戦に近い打撃練習になることは言うまでもない。
 打撃投手は打者の女房役とも言われる。それは今の時代にもっとも忘れ去られた、人間と人間の絆によって仕事がなされるという根本の原理である。その重要性を打撃投手の働きは私たちに教えてくれている。>(「文庫版あとがき」)

 打撃投手は、正規の18.44メートルよりも1~2メートル打者寄りの場所から投げるのが通例です。打球に直撃されることも多いので、L字ネットと呼ばれる独特のネット越しに打者に向かって球を投げます。前から打者を見るので、後ろからしか見ないコーチよりも、選手の状態がよくわかります。投げ続けるうちに、打者の調子の良し悪しが見抜けるようになります。

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 打者の構えを見つめ、バット・スイングの「ことば」を聴き、一球一球を投じます。打者との“対話”を繰り返しながら信頼関係を築き、打つことのサポートをしていくのが打撃投手の役割です。その積み重ねの中に、プロとしての生きる喜びも誇りも宿ります。

 今年のプロ野球は、これまで経験したことがない異次元での(当面は無観客という)試合が続きます。その中で何が「魅力」や「価値」として見出されるのか、改めて注視したいと思います。

2020年5月28日

ほぼ日の学校長

*来週は都合により休みます。次回の配信は6月11日です。

ほぼ日の学校オンライン・クラスに「ダーウィンの贈りもの I」講座の第7回授業が公開されました。進化生物学者の矢原徹一さんによる「植物の性の柔軟性」について。すぐそばにある草花や虫たちは、こんなにも懸命に生きていました。