2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.106

50年以上昔のわくわく感

 親元を18歳で離れて以来、実家に置き去りにしてきた子ども時代の思い出を、ひょんなことからたどり直すことになりました。“切手少年”だった頃の記憶です。

 先週の土曜日(11月30日)に、美術ライター・エディターの橋本麻里さんと「浮世絵ひらがなトーク」というイベントをやりました。

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 いま江戸東京博物館(東京・両国)で開催中の「大浮世絵展」(~2020年1月19日)にちなんだ企画として、また「ほぼ日の学校」で1月22日からスタートする「橋本治をリシャッフルする」という新講座のプレイベントとして、橋本治『ひらがな日本美術史』(新潮社、全7巻)をひもときながら、浮世絵展をじっくり見ようという試みです。

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 橋本麻里さんが非常にわかりやすくて歯切れのいい、おもしろい解説をしてくれました。とても楽しいひと時でした。

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 喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳という人気の浮世絵師が勢揃いした展覧会。国内だけでなく、海外の美術館、博物館、個人コレクションから、各絵師の得意ジャンルの名品がずらりと集められました。

 今後、「歌麿展」「北斎展」など個別の展覧会はあり得ても、「これほど豪華な顔ぶれの、誰もが知っている、誰もが見たい作品が一堂に会することは、もう二度とないのでは?」と、学芸員の小山周子さんは語ります

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イラスト:大高郁子

 「光」は浮世絵にとって“大敵”です。光による退色・劣化を防ぐため、会場の照明は暗くして、一定期間で展示替えを行うなど、作品保護には格別の神経を配ります。それだけに、浮世絵の現物はなるべく「保存」「保護」を重視して、外部への貸し出しには応じない傾向が強まっています。

 海外の所蔵品を中心にした今回のような展覧会は、たしかに「最後」になるかもしれません。

 さて、トークの冒頭で、最初に浮世絵に出会ったのは? と尋ねたところ、「私の両親の世代はたいてい記念切手か、お茶漬けのオマケで‥‥」と橋本麻里さんが応じました。

 そうです! 私もまさに、その切手世代のひとりです。

 先日、このトークの準備のために浮世絵作品のスライドをほぼ日のオフィスで作っている時です。スタッフのがお茶漬けのオマケの話を持ち出しました。そこで、私も切手の浮世絵シリーズの話をしゃべり始めました。すると、自分でもビックリするくらい過去の記憶がよみがえってきます。

 きのうの晩に何を食べたかは思い出せなくても、30年前のことはよく覚えている、などと言ったりしますが、切手に関する豆知識は50年以上も昔のこと。それがいまなお淀みなく、するすると口から出てくるのには驚きました。

 浮世絵でいえば、1955年に出た歌麿の「ビードロを吹く娘」が重要です。作品名が、「ポッピンを吹く娘」に変わっていますが、切手の名称としては「ビードロを吹く娘」。歌麿の「婦人相學十躰」の中の1作です。ポッピンとは、江戸時代にはやったガラス製のおもちゃで、息を吹き込むと「ポッピン」と鳴ります。

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 「切手趣味週間」にあわせて発行された記念切手で、オリジナルは東京国立博物館に“門外不出の秘蔵品”として所蔵されていました。そのために、複製品をもとに切手の原図が作られます。

 オリジナルの持ち味を活かすため、サイズも大きめにデザインされました。色調もオリジナルをできるだけ忠実に再現するために、グラビア4色刷りが採用されます。大蔵省印刷局はそれまでの単色グラビア印刷を主張しますが、郵政省が頑張って、多色刷を勝ち取ったと言われます。

オリジナルと違って、右上にある文字部分「婦人相學十躰 相見 歌麿画」や、版元・蔦屋重三郎の極印、商標(富士山に蔦の葉の紋印)などはカットされました。10円切手で、発行枚数はドーンと550万枚。

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<今回の切手は、日本最初の大型グラビア四色刷切手で、歌麿の美人画という一般にもなじみのある題材が取り上げられていたことから、新聞での報道発表と同時に一般でも相当な反響を呼びました。また、一シートが十枚構成という買いやすい設定であったため、収集家の間では切手が早々に売り切れることを予想して、発行以前から、郵政省に対して増刷を求める声が多数寄せられました。>(内藤陽介『解説・戦後記念切手Ⅱ ビードロ・写楽の時代』、日本郵趣出版)

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 1955年の発行から10年以上も過ぎれば、当然、市価は釣り上がります。遅れてきた切手少年にとっては垂涎(すいぜん)の的(まと)です。

 当時、子どもたちの憧れの切手は、菱川師宣の「見返り美人」(1948年)、歌川広重の「月に雁」(1949年)が両横綱でした。とても高くて、手が出せません。小遣いを貯めてようやく手に入れた「ビードロを吹く娘」が、わがコレクションでは最上位の番付を占める、大切なお宝になりました。

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 この歌麿に続いて翌年(1956年)の「切手趣味週間」に出たのが、写楽の「市川鰕蔵(えびぞう)の竹村定之進」です。そして57年に、鈴木春信の「まりつき」が出たあたりで、全国の小中学生を中心に空前の切手収集ブームが訪れます。

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 浮世絵のシリーズは、その後、「国際文通週間」の記念切手が広重の「東海道五拾三次」のシリーズに決まり、1957年から1年ごとに「京師(京都)」「桑名」「蒲原」「箱根」「日本橋」と続き、1963年に葛飾北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が発売になったあたりで、ようやく私も切手に目覚め、“収集家”の仲間入りを果たします。

 このへんの記憶はおぼろなのですが、北斎の切手はすぐに買わないと売り切れる、と脅されますが、学校があるから買いに行けない、というので、タバコ屋をやっている同級生に頼み、1枚確保してもらった気がします。自宅の隅っこを改造した窓ひとつのタバコ屋で、当時は切手や葉書も扱っていたのです。

 40円の切手でした。歌麿「ビードロを吹く娘」(1955年)が10円切手。58年の「東海道五拾三次 京師」が24円、翌年の「桑名」、そして「蒲原」「箱根」が30円、62年の「日本橋」が40円。物価上昇のスピードがいかに速かったかがわかります。

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 その頃デパートの、たしか文具売場の一角にあった切手売場に出かけては、憧れの記念切手を何度も眺め、小遣いをちびちび貯めながら、古い切手のコレクションを少しずつ充実させていったのです。また、新しい切手の発売日を待ちかねて、1964年東京オリンピック記念切手小型シートや、国定公園シリーズ、第1次国宝シリーズなど、胸をときめかせながら集めます。

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 さて、こんな話を長々と書いたのも、それが自分にとっては「学ぶ」ことのひとつの原点だったと思えるからです。

 切手の「東海道五拾三次」シリーズによって目を開かれ、マッチ箱のラベルになっていた広重の全55種(起点の日本橋、終点の京都・三条大橋をつなぐ53の宿場)の絵を集め、「東海道五十三次の研究」を夏休みの宿題に提出しようとしたことがありました。

 マッチ箱を集めるために、先ほどの同級生に頼み込み、父親には「タバコをどんどん買うように」勧め、しばらく夢中で集めました。けれども、いくつかの宿場が“歯抜け”のまま、ついに未完に終わったような気がします(*)。

 とはいえ、おかげで行ったこともない東海道の地名を苦もなく覚えることができました。身のまわりの空間がどんどん広がり、テレビの時代劇までおもしろくなりました。同様に、切手を通して知らず識らずに、浮世絵も身近な存在になりました。切手が日本美術への窓をさりげなく開いてくれたのです。

 ひらがなを知り、漢字が少しずつ読めるようになると、新聞がおもしろくなってきます。背丈が伸びるように、まるで自分の宇宙が拡大するような、大人に近づいていくワクワク感を味わいます。

 似たような話を、橋本治さんと内田樹さんがしています。

<内田 本来、勉強することってものすごく楽しいはずなんですよね。自分の原体験というのは、小学校一年に入ってひらがなを習ったときなんですけど、そのときはもう、ほんとに手の舞い足の踏むところを知らないぐらい嬉しくて(笑)。

 橋本 (笑)そこからだよね。

 内田 これが字か。これをいくつも覚えると、大人みたいに新聞を読むなんてことがそのうちできるようになるんだと思ったら、わくわくしちゃって。そのあと僕はカタカナを習ったときに、「これで英語がしゃべれる」と思ってほんとにうれしかった(笑)。

 橋本 それはみんな思いますよね(笑)。

 内田 だってマンガ読むと、外国人のせりふがカタカナで書いてあったりするじゃないですか。

 橋本 カタカナを習ったのに、何で英語という授業があるんだろうと思いましたもんね。

 内田 ほんとにそうですよね。漫画の外国人のふきだしみたいに、日本語をカタカナ表記すれば、世界中どこでも通じるんだと思ってたんですけど、そうじゃないって知ったときは結構ショックでしたね。小学校高学年で。>(『橋本治と内田樹』、ちくま文庫)

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 こういう話は嬉しくなります。2人が指摘するように、「学ぶ」ことは本来楽しいものであるはずです。その楽しさ、喜びを、もう一度いいオトナになってからでも取り戻したい――。

 そんな思いを新たにしました。切手少年だった頃の思い出を、ふとたどり直したおかげです。

 それにしても、カタカナを覚えることで一気に世界がつながれば、こんなにいいことはないでしょう‥‥。橋本少年も、内田少年も、どんなにわくわくしたことか!

 その「学び」の楽しさは、50年たとうが忘れるものではありません。変わってしまうものでも、逃げるものでもありません。いつまでもわれわれをどこかで待ち受けているに違いありません。

2019年12月5日

ほぼ日の学校長

*メール文化に押されて手紙の存在感は薄れましたが、この10月に歌川広重「東海道五拾三次」全55種の切手発行がついに完結しました。1958年に始まり、断続的に発行されてきたシリーズが、なんと61年がかりで出揃いました!

ほぼ日の学校オンライン・クラスに「万葉集講座」第7回が公開されました。講師は発酵学者、文筆家の小泉武夫さん。小泉節に教室全部が引き込まれました!

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新講座「橋本治をリシャッフルする」はただいま受講生募集中です。多彩な講師陣の顔ぶれに、橋本治さんが世の中に与えたおおきなインパクトを感じてもらえると思います。
講師のみなさんの寄せてくれたコメントをぜひ読んでみてください。

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