2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.93

「本に人を呼び寄せる力があるなら」

 「ガーンジー島の読書会の秘密」という、ちょっと長めのタイトルの映画が間もなく公開されます(*)。

 原作は『ガーンジー島の読書会』(メアリー・アン・シェイファー/アニー・バロウズ、イースト・プレス)という本で、こちらは『ガーンジー読書とポテトピールパイの会(The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society)』という、これまた長い(舌をかみそうな)原題がついています。

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 3年前に『プリズン・ブック・クラブ――コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』(アン・ウォームズリー、紀伊國屋書店)という本を書評したことがあり、『ガーンジー島の読書会』はそこに“選定図書”として登場しています。

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 なぜこの本が刑務所の読書会で取り上げられたのか。理由を会の運営メンバーが語っています。

<わたしがこの本を推薦したのは、第二次世界大戦中、ドイツに占領されたガーンジー島を舞台にしていることが大きい。イギリス海峡のチャンネル諸島に位置するこの島が、戦時中まるで監獄のような状態だった事実は、これまであまり知られてこなかった。ドイツ軍が侵攻してくる前に、島民は子どもたち数千人をかろうじて疎開させたものの、島に残った住人には食料も物資も不足していた。(略)
 あるとき、島の住民グループが夜間外出禁止令に反して出歩き、ドイツ兵に見とがめられて、とっさに口実を考えだす。自分たちは「じゃがいもの皮(ピール)のパイと文学を愛する会」の集まりに出席していただけだ、と。そして、その口実に真実味をもたせるため、全員が実際に本を読みはじめる。なかには、それまで本など手にしたことのない農民や漁師もいた。>(『プリズン・ブック・クラブ』第7章)

 ところが、本を読み、本について語り合うことで、読書会は島民にとって“心の避難所”になります。ドイツ軍の占領で、ラジオなど情報機器が没収され、郵便も止められ、電信網も断ち切られ、完全な孤立状態にありました。生活の糧だった家畜も没収され、島民は飢餓すれすれの状態に追い込まれていました。

 その時、思いがけない偶然から読書会が生まれます。本のおかげで、人々は精神的なバランスを保ちます。自分の居場所を見つけ、人との語らい、交流のなかにかすかな“希望”を見出すのです。

 それは、受刑者にとっても同じではないか。読書会が彼らにとって“心の避難所”になるのではないか――本の推薦者はそう考えたのです。

 実際、この時の読書会は盛り上がります。登場人物たちの人物評をめぐっても「打てば響くように笑いが起き」ます。行動力のあるヒロインは好感を持たれ、彼女が島民や知人たちとかわす手紙で構成された小説のスタイルも、「手紙がいわば命綱」である受刑者には格別の親しみを感じさせます。

 なにより彼らが称賛したのは、島の読書会が“進化”を遂げている、という点です。「最初は無理だ」と思えたにもかかわらず、「メンバーたちは、自分たちとかかわりのある本をちゃんと見つけ」てくるのです。

<島には本が不足しているので、ガーンジー島の読書会では、全員が同じ本を読んで話し合うのではなく、各自が読んだ本のことを話題にしていく。(略)読書に不慣れな島のメンバーが、『セネカ書簡集 ラテン語翻訳版一巻本・補遺付き』といった難解な書物と格闘し、そこからなにかしら学びとろうとする。この本を選んだ島民の場合は、ストア派の哲学者から品行について教えてもらった結果、飲酒を慎むようになった。>(同)

 読書会がもたらす変化については、受刑者もまた雄弁です。

 「読書会では本のなかの世界を追体験できるんだけど、それはほかのメンバーの目を通してなんだ。この読書会がすごくおもしろいのは、自分では気づきもしなかった点をほかのやつらが掘り起こしてくれるからさ。たとえばガーンジー島の話だと、おれは歴史とか恋愛とかに目がいってたけど、人のやさしさについては考えなかった」(同)

 「その場しのぎの、ただおもしろいだけの小説にはもう興味がない。著者がなにを考えてるか、どんな言葉を使ってるか、どんな語り口で表現してるかを知りたいんだ。おれがこれまで読んだシドニィ・シェルダンとか、ファンタジーとか、おとぎ話とか、そういうふつうじゃない人間の話でなくてもいい。現実的な人生の話でいいんだ」(同)

 さて、このあたりで映画の話に移りましょう。たまたまこの『プリズン・ブック・クラブ』についての私の書評を読んでくださった方が、映画の試写状を送ってくれました。本がとりもつこういう“縁”も嬉しいものです。

 そして、とても素敵な作品でした。原作の「ユーモラスでほのぼのとした」味わいを残しながら、巧みな潤色がほどこされ、よりミステリアスで、ロマンティックな映画に仕上がっていました。

 主役はケネス・ブラナー監督の『シンデレラ』(2015年)で大ブレイクを果たしたリリー・ジェイムス。他の主要キャラクターのキャスティングも見事に決まっていて、さすが『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』や『スリー・ビルボード』の製作チームの仕事だと思わせます。

 島の緑なす光景や、ダイナミックな海岸線の景観など、映像の美しさも圧倒的です。戦時中のトラウマ(精神的外傷)を抱えた島の人たちと、戦争の痛手から脱しつつあるロンドンの“お祭り”気分との対比も鮮やかです。

 物語は、1通の手紙から始まります。時は1946年。手紙を受け取ったのはロンドンに住む新進の女性作家ジュリエット・アシュトンです。見知らぬ差出人からのものでした。

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<僕はドーシー・アダムズ。ガーンジー島の住人です。戦時中に古本を入手しました。チャールズ・ラムの随筆集です。あなたの名前と住所が内側に。
 占領下の生活にラムは笑いを与えてくれました。特に“ローストピッグ”のくだり。>

 ジュリエットがかつて古本屋に手放した、ラムの『エリア随筆』の表紙の内側に書かれた彼女の住所宛てに、手紙が送られてきたのです。

<僕の所属する“読書とポテトピールパイの会”も、ドイツ軍から豚肉を隠すために誕生しました。ラムに共感します。>

 戦争が終わり、ドイツ軍は去ったけれども、島には本屋が残っていません。ラムの『シェイクスピア物語』を買いたいので、ロンドンの書店の住所を教えてもらえますか?――最後に、そう記されていました。

 ジュリエットはすぐに返事をしたためます。

<私の本があなたに行き着いて嬉しいです。資金不足で泣く泣く手放した本です。本には帰巣本能があって、ふさわしい読者に辿り着くのかしら?>

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 そして、彼の探している『シェイクスピア物語』を進呈する代わりに、読書会についてもっと詳しく教えてほしい、と伝えます。

 ドーシーの返事は、さらに興味深いものでした。ちょうど「タイムズ」に寄稿する予定のエッセイは、「読書」をテーマにしたものでした。ならば、「ガーンジー島の読書会」について書こうと決め、ジュリエットは島に旅立ちます。

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 ところが、無条件に歓迎されると思っていたジュリエットの予想は外れます。「タイムズ」の記事にしたいと口にした途端、会の主催者のひとりから、「それはお断り。『タイムズ』の読者を喜ばせる気はないわ。この気持はよその人間には分からない。無駄足を運ばせたわね」と厳しくはねつけられてしまいます。

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 どういう事情が秘められているのか? ジュリエットはここから、英国本土とはまったく異なる戦時中の島の現実や、島民たちを巻き込んだ過酷な運命に目を開かれていきます。そして、読書会の創設者であるエリザベスがなぜ「不在」なのか? その理由を、その謎を、メンバーの心を開きながら、ひとつひとつ解き明かしていくのです。

 生気あふれるジュリエットのひたむきさが、島の人たちに清新な息を吹き込みます。秘密が明らかにされていくとともに、人々はある運命的なものを感じはじめます。読書会のメンバーもジュリエット自身も、それまで自覚しなかった深い心の声に気づいていきます。“語るべき物語”の存在に――。

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 映画のクライマックスで、チャールズ・ラムの有名な詩「古なじみの顔」(福原麟太郎訳)を引用しながら、ジュリエットはロンドンからガーンジー島に手紙を送ります。タイプライターに顔をうずめ、一心不乱に書き上げた「ガーンジー島の読書会」の原稿に添えて――。

<「砂漠のような大地を、私は懐かしい顔を求めて歩いた」
 私もずっと懐かしい顔を探してきました。
 なぜそれが皆さんの顔なのか。
 でも、そうなのです。
 会う前から誰かに絆を感じることが? 
 私がそんな絆を感じるのはあなたたちです。
 一緒にいて心が安らぐ人たち。
 それは「家族」と同義です。
 エリザベスの話を私にしてくれてありがとう。
 彼女の生き方は私の人生の道筋を変えました。
 それを実感しています。
 どうぞお元気で。
 本に人を呼び寄せる力があるなら、きっとこの原稿にも。
 愛を込めて。
 ジュリエット>

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 ところで、『ガーンジー島の読書会』でジュリエットとドーシーを結びつけたのは、1冊の本――チャールズ・ラムの『エリア随筆』――でした。物語のきっかけとなったその本に、『プリズン・ブック・クラブ』の著者も、心惹かれます。

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<『ガーンジー島の読書会』について話し合った翌日の午前中、わたしは急いで図書館に行った。小説に出てきた『エリア随筆』は見当たらず、トロントじゅうの公立図書館を検索しても、蔵書は二冊きりで、この本がいかに知られていないかがよくわかる。さいわい、その一冊が近くの分館にあった。(略)ラムは、一八世紀終盤から一九世紀初頭にかけて活躍したイギリスの評論家兼エッセイストで、古典文学作品の普及にも力を尽くした。(略)仲間のロマン派詩人たちと同じように、ラムがよく主題に取り上げたのも、古きイギリスへの郷愁だった。序文によれば、『エリア随筆』はその後一〇〇年のあいだ、イギリスのどの家庭にもある本だったという。>(『プリズン・ブック・クラブ』第7章)

 「この本がいかに知られていないかがよくわかる」の記述に驚かされます。極東の島国の住人には、「イギリスのどの家庭にもある本」という“常識”が刷り込まれていたからです。時代はうつろい、いずこの国も「懐かしい本」はよほど掘り起こさないと出会えないのかもしれません。

 ともあれ、「ロンドンをなつかしみたい思い」の著者が読み始めると、たちまち冒頭のエッセイから惹きこまれ、ラムの文章に魅せられます。「真実味があるうえ遊び心にあふれていて‥‥読んでいて思わずくすりと笑ってしまう」。

 <年代ものの文学作品を読んだのはひさしぶりだ。言葉づかいは流麗で、意味を察しかねる古めかしい言いまわしもある。(略)わたしは『エリア随筆』を深く考えすぎないように、感性のまま受けとめるようにした。ガストンと話さなければ、ラムの著作を手に取ることはなかっただろう。>(同)

 「本に人を呼び寄せる力があるなら」と、ジュリエットは手紙に願いをこめました。

 本は人と人をつなぎます。人の“生きる糧”となり、人に人生を発見させ、人と人とを結びつけます――。「読書会」をキーワードにした2冊の本と映画を通して、改めてその力を感じます。

2019年8月22日

ほぼ日の学校長

*「ガーンジー島の読書会の秘密」は8月30日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー!
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★ほぼ日の学校オンライン・クラスに「万葉集講座」の第2回授業が公開されました。第1回に続いて登壇されたのは万葉集の伝道師、上野誠先生です。

★作家池澤夏樹さんとフランス文学者の奥本大三郎さんのトークサロン「文学者の心で科学する。」もオンラインで全編無料公開中。