2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.91

いざ「小網代の森」へ!

 今年はほんとうに長梅雨です。来る日も来る日も雨。おかげで風邪をこじらせ、体調を崩す人も続出して、7月20日(土)のダーウィン講座「小網代(こあじろ)の森フィールドワーク」は、無事に実施できるだろうかと、少し心配になったくらいです。

 ところが、終わってみれば、すべてが天の配剤でうまく行ったような気がします。お天気も何とかもってくれましたし、逆に“ピーカン(快晴)”ではない理想的な曇り空。蒸し暑さはあったにせよ、雨の降った後ならではの森のかぐわしさをたっぷり味わうことができました。

 フィールドトリップの詳しい様子は「学校ニュース」が伝えています。そちらをご覧いただければと思います。

 さて、この小網代の森ですが、神奈川県、三浦半島の先っぽにある「自然の箱庭」のような小ぢんまりとしたエリアです。これまでさんざん本で読み、話に聞き、その全容を頭に叩き込んでいたものの、実際に訪れる機会はありませんでした。

koajiro小網代の森全景(1)

 本を読んで、というのは、この小網代の保全活動を30年以上も牽引してきた進化生態学者の岸由二(きしゆうじ)さんの著作を通してです。

・『「流域地図」の作り方――川から地球を考える』(ちくまプリマー新書)
・『「奇跡の自然」の守りかた――三浦半島・小網代の谷から』(同、柳瀬博一さんとの共著)
・『奇跡の自然』(八坂書房)

 等々です。

ryuiki mamori kiseki

 小網代の森は、総面積70ヘクタール。全長1.3キロの「浦の川」の源流から小網代湾に注ぐ干潟まで、流域がまるごと自然のままに残されています(途中に1軒の家も工場も、クルマが通る道路もありません)。そういう場所は、関東地方ではここだけです。オンリーワンの貴重な流域生態系なのです。

 東京の明治神宮とちょうど同じ広さ(だいたい東京ドーム15、6個分)の地域に、川や、森や、湿地や、干潟や、湾などの多様な地形が広がります。そこにはこれまで記録されているだけで2000種類以上の多様な動植物が生息していて、豊かな自然が守られています。

 東京・品川駅からだと、京浜急行に乗って約1時間半。終点の「三崎口」駅で降り、バスでひとつ目の「引橋」停留所下車。そこがちょうど尾根のてっぺんの標高88メートルの地点になります。

 降る雨はここを分水嶺として、相模湾に流れ落ちていく雨と、反対側の東京湾に注ぎ込む雨と、ふた手に分かれます。相模湾に向かって流れてゆく川の集水域が小網代です。眼前に広がる緑の谷の入り口から、小網代湾べりの干潟まで、一本の木道(ボードウォーク)が整備され、誰でも楽しめる「奇跡の自然」がそこにあります。

walk

 「小網代の森」は2014年7月20日に一般公開されました。先日、5周年を迎えたところです。

 元々はゴルフ場とリゾートホテル、ボート基地などの予定地でした。その土地がほぼ無傷で守られて、いまは神奈川県がすべての土地を買収し、国土交通省の定めた「近郊緑地特別保全地区」として、この自然環境をしっかり維持・管理できる体制になっています。

 いったいどうやって守られたのか? どうして、そんなことが可能になったのか? 

 その具体的な活動の歴史と考え方は、上記の『「奇跡の自然」の守りかた』に詳しく述べられている通りです。従来の自然保護運動のように、デモをやったり、政治家を立てて戦ったのかというと、まったくそうではありません。小網代の保全に関しては、そうした従来型の「常識」をいっさい踏襲しなかったところに特徴があります。

 保全に取り組む市民団体は、むしろ開発に“賛成”したのです。つまり、開発する企業や自治体と一緒に知恵を絞り、「ゴルフ場よりも、もっといい『開発』をしませんか」とタッグを組んで、「半分は開発。残りの半分は自然をまるごと守る」という、誰しもが納得できるベストの道を選び取ったのです。

 現地を歩いてみて、たちまち実感するのは、これはラクをして手に入れた自然ではないということです。実に多くの人たちの長年にわたる汗と努力によって、この環境が守られ、創られ、支えられていることです。それが感動をもたらします。

 人が定期的に森に入り、繁りすぎた木を伐採し、湿原を乾燥化させるササを刈り、トキワツユクサなど要注意外来種を排除し、杭を打って堰(せき)を設け、川の流れまで調整しています。ひと言でいえば「手入れ」をすることで“原石”を磨き、価値ある自然を創り出しているのです。

sasagari1ササに覆われた森(2)

sasagari2ササ刈り作業(3)

sasagari3「手入れ」された森で憩う人たち(4)

 放置しておくと、あっという間に荒れ野、荒れ山になってしまう小網代のような小ぢんまりとした自然は、人間がこまめに手を入れ、斜面の崩れを防ぎ、水管理を通して湿地を生き返らせ、木を倒し「光」を入れることで、多くの生きものが暮らせる“楽園”になるのです。

suiro水路をつくり、湿原を蘇らせる(5)

 いまでも自然にいっさい手を加えない「手つかず」こそが一番だと思っている人が多数ですが、そういう考え方はもはや「化石」に近いと、岸さんは断言しています。

 岸さんが翻訳した『「自然」という幻想――多自然ガーデニングによる新しい自然保護』(エマ・マリス著、草思社)は、人間の「手入れ」を排除して、自然を「元の姿」に戻すことにこだわってきた従来の自然保護のあり方を批判し、もっと多様で現実的な目標(生物多様性を回復するとか、絶滅率を下げるとか)にそって、積極的に自然に介入する「多自然ガーデニング」が必要であることを説いています。

 「訳者あとがき」で岸さんも述べます。

<世界の自然保護は、大論争と新しい希望の時代に入った感がある。人の暮らしから隔絶された「手つかず」の自然、人の撹乱を受けなかったはずの過去の自然、「外来種」を徹底的に排除した自然生態系、そんな自然にこそ価値ありとし、その回復を自明の指針としてきた伝統的な理解に、改定を迫る多様な論議・実践が登場している。(略)
 そして今や、先史時代からの人類の自然撹乱の歴史が常識となり、また温暖化でもはや生態系は不可逆的変化を続けるほかないと明らかになってきた。そんな現在においては、世界のはて、遠い過去に存在するはずの「手つかずの自然」への信仰、さらにはそんな自然を回復することこそ自然保護の王道とする主張は、理論的にも実践的にも困難になったとマリスはいう。>

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 この考え方に連なる教科書的な実践例として、小網代は多くのことを示してくれます。

 「ほぼ日」の過去の記事にも、最良のコンテンツが揃っています。ちょうど5年前の「小網代の森へ遊びに行くよ!」、それから岸由二さんの講演録「小網代は、流域思考で自然をまもり、地球の危機も考える」の2本です。

 前者は、学生時代から恩師である岸さんとともに小網代の保全活動に関わってきた柳瀬博一さん(東京工業大学教授・メディア論)が、これから小網代に行ってみようとする人たちのために、わかりやすく丁寧な予習会を開いたときの記録です。写真がふんだんに使われた最高のガイダンスです。

 後者は、「流域思考」という岸さんの根幹をなす考え方を、こちらもわかりやすく、丁寧に語り下ろした講演です。

 このふたつを読んで、小網代に行けば、楽しみ方が倍化することは間違いありません。今回もこのおふたりや、NPO法人「小網代野外活動調整会議」総務理事の石川紫穂さんはじめ、たくさんのボランティアの方々に準備とご案内をお願いしました。

 おかげで、小網代のなりたちや、さまざまな生きもの、植物の生態をじかに知ることができました。また、小網代の森がどんな人たちの情熱によって育まれてきたかを、まさに目の当たりにすることができました。

 天候の関係で、小網代の人気アイドル、アカテガニの放仔(ほうし)――1回3万匹ともいわれるお腹いっぱいに抱えた赤ちゃんを海に放つ――の観察はできませんでしたが、卵をたくさん抱えた可愛らしい母ガニや、誕生から1年ほどの幼ガニと対面することはできました。

houshi1アカテガニの放仔(6)

houshi4大潮の夕方、たくさんのお母さんアカテガニが
海に赤ちゃんを放しにくる(7)

 アカテガニは、小網代のアイドルであり、また小網代の森を守った最大の立役者かもしれません。特別めずらしいカニでもなんでもありませんが、流域生態系がまるごと残っている場所にもっともライフサイクルがフィットして(海と陸を行き来します!)、そのシンボルになり得るなんともチャーミングな生きものなのです。ふだんは森や湿地など、陸の上で暮らしていますが、

<‥‥お産のときだけは海に入ります。6月末から9月終わりまで。夏の新月と満月の夕刻、メスのアカテガニは海岸に降りてきて、お腹に抱えた卵を海中でぶるぶる震わせ、卵から飛び出た子どもを海に放ちます。アカテガニの子ども=幼生、ゾエアは1か月かけて海で育ち、その後、カニとエビを足して2で割ったようなメガロパと呼ばれる幼生に変態して岸近くに戻ってきて、その後、カニに変態して、陸に上がり、徐々に陸の生活に慣れていきます。そしてある程度大きくなり、乾燥にも耐えられるようになると、水辺から離れて、森の中や草むらへと住処(すみか)を広げていきます。>(『「奇跡の自然」の守りかた』)

kani小網代のアイドル、アカテガニ(8)

 陸では、樹上で生活することもあるアカテガニですが、繁殖するためには大挙して、必ず陸から干潟の縁(ふち)まで下りてくるのです。

 何度読んでも感動的です。実際に目にすればなおさらです。アカテガニは小網代のように森と海とが一体になった自然環境を象徴している生きものなのです。

 小網代についての詳しい情報は、「小網代野外活動調整会議」のHPとフェイスブックページ、「公益財団法人かながわトラストみどり財団」のHPをご覧になるのが便利です。

 保全活動を支援するトラスト会員の申込みや、ボランティア活動への参加方法などの案内もあります。見るだけでなく、手と体を動かして、この大きな活動の一部になることができます。

 北海道斜里(しゃり)町の「しれとこ100平方メートル運動」や、瀬戸内海の豊島(てしま)にオリーブの木を植える活動などを見てきましたが、首都圏にこんな多自然の“ガーデニング”の機会があるなんて!

 フィールドワークを終え、早速「みどりのトラスト会員」に申込みをしている受講生の姿に、ナットクしました。

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2019年7月25日

ほぼ日の学校長

※(1)〜(8) 写真提供:小網代野外活動調整会議