飯舘村、南相馬市、いわき市

甲子園に行く前に、
行っておきたい場所があった。

そこへ行ってから、甲子園へ行きたかった。

自分がなにを感じるのか。
どう直面するのか。
知りたかった。

この連載には、どうしても軸が2本ある。
いや、軸が2本あるからこそ、
この連載ははじまって、
こうして続いているともいえる。

ひとつは、もちろん、高校野球だ。
そして、もうひとつは、やはり震災で、
具体的に福島第一原発の事故であるといっていい。

福島大会における聖光学院の五連覇を見届け、
ぼくは彼らを追って甲子園へ行くつもりだった。
けれども、その前に、
行ったほうがいいような気がした。

そのそばへ。
半径30キロ圏の、そばへ。

理屈が通ってる行動だとは、思わない。
けれども、短期間に広い福島をあちこちへ移動し、
それなりに広さとなんとなくの場所の感覚を得て、
当たり前だけれども、その場所がぽっかりと
白地図となってぼくのなかにはある。

その場所のせいで、この直面の旅ははじまったのに。
だから、甲子園へ行く前に、
ちらとでもいいから、そこへ行くことを思った。

そして、もちろん、いつもみたいに
わけもわからず単独でそこへ乗り込むべきではない。
こればっかりは知識とガイドが必要だ。

たどるべきつては、ひとつしかなかった。
ワンチャンスだと思った。

糸井重里と何人かの乗組員が、
ツイッターを通じて知り合った友森玲子さんだ。
友森さんはミグノンというペットサロンを経営している。
そのかたわら、殺処分されてしまう
犬や猫を保護して里親を探すという活動を続けている。

そして、震災後からは、福島の相双地区で、
避難したあとに取り残されたペットたちを
立ち入ることのできるぎりぎりの場所で何十頭と捕獲。
千葉にシェルターをつくって保護しながら
飼い主の方たちと連絡を取るという
気の遠くなるような仕事を続けている。

最近では、行政を通して、警戒区域にも立ち入って
ペットを保護する権利を申請できるようになり、
その圏内でも保護活動を行っているという。

ぼくの提案は単純で、
近々、福島へ行くのであれば、
活動をお手伝いさせてもらえませんか、
とお願いしたのだ。

ワンチャンスはかなった。
友森さんは8月5日(つまり甲子園開幕の前日)、
南相馬へキャットフードなどの物資を渡し、
いわき市へ保護していた犬2頭を返しに行くのだという。

運転できますか、と言われたので、
できます、と答えた。

出発は、前日の深夜24時。
まる一日活動して、夜帰ってくる。
行きます、と答えた。

そう、お気づきになった方もいると思うけど、
それはこの原稿がアップされる前日のことで、
これを書いているいまは、
もう、よくわかんない時間帯になってしまっている。

たいへん多くのことを得て
たくさんのものに直面したけれども、
いくつかにしぼって書くしかない。
なにしろ、もう何時間かで甲子園が開幕してしまうから。

ひとつは、
そのあたり一帯が、とてもきれいだったということ。
ずっと運転していたのでほとんど写真が
撮れていないのだけれど、
明け方、その地域へ入ったとき、
ほんとうに、ほれぼれするほど、そこはきれいだった。

このへんから先はずっときれいなんだよと
友森さんは言っていた。

もうひとつ。
そのあたり一帯の地名に、ぼくはとても馴染みがあった。
直接通る地名だけではなく、
道の大きな方向を示す看板に登場する地名。

浪江、原町、双葉、いわき、小高、相馬‥‥。

通りながら、友森さんは、
あちこちの場所を簡単に紹介してくれた。
その合間に、ぼくは看板の地名を拾っては、
原町はシード校だったんです、とか、
小高工業はベスト4まで残ったんです、とか、
ついつい紹介してしまった。
いや、もちろん、わかんないと思いますけど、
って注釈をつけながら。

相馬農業の八巻くんは
こんなところから相双連合に加わって
レギュラーを勝ち取ったんだとしみじみした。
彼の、帰れない母校が、この向こうにある。
そういえば、彼はまだ、2年生だった。

友森さんは、道行く動物たちを見逃さなかった。
「ねこ」「とめて」「犬がいる」などと
助手席から彼女がみじかく言うとき、
そこにはかならず動物たちがいた。

友森さんは動物たちの動きを見極め、
「だいじょうぶ」「飼い主が近くにいるね」
などと判断してから、車を進めさせた。

飯舘村に入ってすぐの坂道をくだったところだった。

前方から黒い犬が歩いてきた。
足取りは妙に軽いように思えた。
見ると、遠目からも首輪をしていることがわかる。
汗をかいているのか、首のあたりが濡れているようだ。

反対側の車線を歩いているその犬を見ながら
ぼくらの車は最徐行していた。
見ながら友森さんが、大丈夫みたいだねとつぶやいた。

が、直後、大丈夫じゃない! と叫んで、
友森さんはシートベルトを外した。
ぼくはブレーキを踏む。
飛び出す友森さんが「あれ、血だ!」と
はりさけそうな声で告げた。

先に書いておくけれども、写真は載せません。

けど、状況を説明します。


ちょっと痛いです。


がまんしてくださいね。


その犬の首にはロープが巻き付いていた。
彼(オスでした)は、ロープを噛みきって逃げた。
そして、30キロ圏の外にまで、歩いてきた。

飼い主は彼を、ロープでつないで、避難したのだろう。

避難するときに、犬を放す人と、
犬をつなぐ人がいると、友森さんは言っていた。

ロープの彼は、友森さんが車から降りると、逃げた。
おびえているようだった。
友森さんは用意していたエサを取り出した。

これは、あとから友森さんに聞いた話だ。
おびえている犬を捕獲するときは、
絶対に追ってはいけない。
追うのでもなく、迷わせるのでもなく、
考えるすきを与えないようにして、
エサをひとつ遠くに落として、帰るふりをする。
もう、まったく、一切が終わったような気配で。

すると、うまくいくと、犬はそれをふと食べる。
ひとくち食べると、犬は、
じぶんがお腹を空いてることを思い出す。
そしたら、やはり考える時間を与えず、
とん、とん、とエサを置いて近づける。

食べてるうちに、つかまえる。
そういうやり方がいいらしい。

まさに、友森さんが最初のエサをとん、と投げて
こっちへ帰ってきたとき、
ロープの彼がそれをぽそっと食べた。

「食べましたよ」とぼくは小さな声で言った。

友森さんは、静かに振り返ってしゃがみ、
もう一個のエサをちょっと近くに投げて、
ロープの彼に向かって言った。

「おいで」

それは、いろんな物語のなかで
女の人が動物を切なく呼ぶ、あの声とおんなじだった。

たぶん、かわいそうな動物を呼ぶとき、
かなしい気持ちで動物を呼ぶとき、
女の人はああいう声を出すのだと思う。

「おいで」

ロープの彼は寄ってきて、
二つ目エサをもそもそ食べて、
三つ目を食べているときに、
友森さんは捕獲用のロープを
彼の首に、ものすごく、そっとかけた。

ものすごくそっとかけたのにはわけがある。
ぼくが首輪だと思っていたのは、
腫れあがって、膿んだ、首の肉だった。

ロープを食いちぎるまえに
当然、彼は何度も何度も引っ張ったのだ。
すいません、もう、これ以上は書きません。


彼を連れて相双地区の保健福祉事務所へ行って
(友森さんはすでに顔なじみである)
担当者の人に報告し、獣医を紹介してもらって、
つれていった。

これを書いているいまも、彼は、そこで入院中である。

収納用のケージを慌てて組み立て、
診察室まで運び、汚れたケージを洗うということを
おたおたしながらぼくは必死でやった。

動物保護のボランティア。
思えば、東日本大震災の
はじめてのボランティア活動だ。

まさかこんなことになるとは思わなかった。

いますぐにはやることがなくても、
きっと呼ばれるときがくるから、と、
震災のあとで多くの人たちが言っていたことを思い出す。

たぶん、そういうことなのかなあと思う。
「オーイ、永田」などとは誰も呼んでくれないけれど、
なんとなく踏み出した一歩や、思わず差し出した手が、
少しずつつながってひろがって、
いつのまにか、呼ばれている。

たぶん、まだ呼ばれていない人にも、そのうちにきっと。

もうひとつ。
いわき市へ届けた2頭の犬たち。

避難所に入った人からあずかっていた2頭を、
その人の親戚の方が飼ってくれることになった。
それで、いわき市まで届けに来た。

ケージから出したとたん、2頭は大喜び。
それを迎える子どもたちも、大喜び。
いままでつくばに避難していて、
こないだ帰ってきたんですと、
お母さんは言っていた。
ちゃんと散歩させるのよ、と
お決まりのセリフを子どもたちの背中に投げながら。







最後に。
30キロ圏のすぐ外側にある小学校のそばに、
小学生たちが描いて貼りだしてあった絵。

撮りながら、どうしても涙が出た。



















一日が終わりかけたとき、
友森さんがぼくにこう訊いた。

「今度、警戒区域に入るけど、どうする?」

ぼくは、最初にお願いをしたときに、
許可がきちんと出ているなら
警戒区域内でお手伝いすることも
かまいませんと友森さんに告げていた。

行きます、とぼくは答えた。

そして、この原稿を送信したあと、
ぼくは甲子園球場に向かいます。

(つづきます)

2011-08-06-SAT