聖光学院対須賀川

雨が降ってきた。

第93回全国高等学校野球選手権
福島大会の決勝戦、
聖光学院が4対0と須賀川高校を
リードして迎えた7回表ツーアウト。

どんよりと曇っていた空が、
とうとうこぼれだした。

これまでの取材で何度か雨を経験していたので、
ぼくにはおおまかな感覚があった。

通り雨ではない。
けっこう、大粒の雨がまとまって降る。
7回表、須賀川高校無得点。
いぜんとして、4対0と聖光学院がリード。

観客席にみるみる傘の花が開き、
ぼくは慌ててカメラをタオルでくるんだりする。
こういうときの準備がまったくない。

そして、自分のことはさておき、試合のことを思う。
なにしろ、決勝戦なのだ。
福島県の代表を決める、大切な一戦なのだ。

そして、重要なことは、
いま、7回裏を迎えるところで、
試合はすでに成立しているということだ。

野球の試合は、5回の裏が終了した時点で成立する。
仮に、それ以降、
豪雨で試合が中止になってしまった場合、
その時点の得点をもって、勝敗は決してしまう。

準決勝第2試合の須賀川高校対小高工業高校が
雨のために翌日に延期となったのは、
試合が3回表までしか進行していなかったからだ。

だから、もしもここで試合が止まって、
雨がやまなかったら聖光学院が優勝となる。
当たり前のことだが、両校とも、本意ではないだろう。

しかし、雨足は強まる。
7回裏、聖光学院、三者凡退。

4点を追いかける須賀川高校。
残す攻撃は、あと2イニング。

甲子園への道に、立ちはだかるのは歳内宏明。
140キロ台の速球とスプリットボールを投げ分ける
聖光学院のエース。





空振り三振!
じつに、この試合、14個目の三振。
23個のアウトのうち、14を三振が占める。

そして、歳内くんが15個目の三振を奪い、
8回表が終わった時点で、
いよいよ空は暗くなる。




客席をほぼ埋めていた観客も、
屋根のある場所へ移りはじめた。
完全に無理、という感じではないが、
雨足は強まっている。
放射線量の問題もあるし、
この大事な試合の大事な後半に、
選手が集中できているのだろうかと心配になる。


雨中、するどい金属音がして、
打球はレフト前へ抜けていった。
聖光学院、四番芳賀くん、レフト前ヒット。

すごいな、とぼくはまたしても感心する。
いま、正直な気持ちをいえば、
ぼくはとにかく試合がきちんと進行して
終わりを迎えますように、と思っていた。

そして、ひょっとしたら、
4点をリードしている聖光学院の選手たちにも、
「このまま終われ」という気持ちがあるのではないか、
だとしたらきっとこの8回裏の攻撃に
集中できないだろう、とも思ったのだ。

しかし、それはまったく甘い考えだった。






五番、福田くん、一塁線へ絶妙なバント。
これがヒットになって、
ノーアウト、一二塁。

須賀川高校の内野陣がマウンドに集まる。
なにを話しているのだろう。
雨の中、なにを思っているのだろう。



雨が弱まる気配はない。
もう、いつ中止になってもおかしくない。
そしてもし中止になったら、再開される保証はない。

そしてぼくはまたしても例の直面をする。
こういうとき、どう判断するべきだろう。
もしも自分が大会運営側にいたら、
どう判断をくだすだろうか。

決勝戦。8回裏。放射線量。中断。再開。
成立している試合。選手の集中力。

簡単にはいえない。
そういうことばかりだ。

福島をめぐるこの取材は、
さまざまな「簡単にはいえないこと」に
出会い続ける数週間だった。
いちいち判断を迫られたわけではないものの、
どうするのがいいだろうかと
折に触れ、考えさせられる日々だった。

少し、決勝戦を離れる。
こんなことがあった。

7月13日の福島大会開会式でのことだ。
ぼくは、腕章をつけ、カメラをぶら下げて
グラウンドに降りていた。
式典の様子を追いながら、シャッターを切っていた。
すると、こんなアナウンスがあった。

東日本大震災で亡くなった方のために
黙祷を捧げます、と。

選手はもちろんスタンドに座っていた
お客さんたちも立ち上がって黙祷の準備をした。

そして、ぼくは、
どうすればいいのか決めかねていた。

黙祷を捧げるべきなのか。
その黙祷の場面を撮影するべきなのか。

おそらく、どちらもあり得るのだと思う。
ひとによって意見は異なるだろうが、
どちらもあり得るのだと思う。

瞬間、予想しない岐路にぼくはうろたえた。
それはもう、たまたま、
身体がそのときそうしたという以外ない。

順番からいえば、ぼくは咄嗟に帽子を脱いだ。
帽子を持った手は、胸のあたりに移動した。
その一連にしたがうように、
ぼくはうつむいて目を閉じた。

おそらく、開会式の行われているグラウンドに
自分がいない状態でそれを考えても、
この行動を予想できないと思う。
つまり、頭でそれを想定しても、
実際の行動とは異なる可能性がある。

だから、たとえば、あなたがいま、
自分ならこうするな、と感じていたとしても、
それは現場での行動とイコールではない。

極端にいえば、そのとき、
もしもぼくが帽子をかぶっていなかったら、
ぼくは黙祷したかどうかわからない。
たとえばもしもぼくが新しいカメラのレンズを買って
いろんなものを写すのがたのしくてしょうがなかったら、
黙祷の様子を何枚も撮ったかもしれない。
あるいはぼくが、ほぼ日刊イトイ新聞なんていう
ちょっと変わったメディアではなくて、
新聞社に勤めていたら動きも変わってくる。

そして、再び同じ場面がやって来たとしても
ぼくは帽子をとって黙祷するかどうかわからないし、
帽子をとって黙祷するのが
自分の答えであると言い切る自信もない。

そのときそうしたというほかない。
そして、そのときそうした自分の行為が
あくまでも自然な動きによるものだった
という理由のほうがぼくにとっては重要だ。
その意味で、後悔はないとだけ、いえる。

いずれにせよ、それは、ぼく個人の
たいへん些細な「簡単にはいえない」であり、
どちらを選んだにせよ、
とくに誰に迷惑をかけるというものでもない。

しかし、それが、個人にとどまらない、
大きな「簡単にはいえない」という問題で、
しかも、どちらを選ぶにしても
なんらかの影響を誰かに与えてしまうとしたら?

たとえば、8回の裏まで進んだ
高校野球の県大会の決勝戦に雨が降っていて、
中断か続行かを迫られているとしたら。

マウンドの須藤くんは
小針くんのサインをのぞき込む。
8回裏、ノーアウト一二塁。

つぎの瞬間、またしてもぼくの迷いは、
「野球のプレイ」によって吹っ飛んでしまう。





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初球、送りバント。
一塁線へ鮮やかに決まり、
ランナー、それぞれ進塁。

すげえ、と雨のなかでぼくは思わずつぶやいた。
聖光学院は、聖光学院の野球を貫いている。

この場面を斎藤智也監督は
試合後にこう振り返っている。

斎藤監督
「最悪のこととして想定したのは、
 雨で中断、しかも様子をみるということで
 何時間か待たされたのちに再開することです。
 歳内の肩も冷えてくるし、
 その状態でずっとキャッチボールでもして
 待ってなくちゃいけない。
 再開されたらグラウンドもぐちゃぐちゃでしょう。
 そうなったら、何が起こるかわからない。
 だとしたら、4点のリードじゃ
 足りないなと思いました。
 だから5点目をきっちり取りにいった。
 そもそも、雨が降り始めた時点で
 選手には言ってあります。
 守備の時間は短く、攻撃の時間はしっかり。
 ただし、試合のリズムだけは失うなよと。
 だから、送りバントも初球にビシッとやらせた。
 ただ、そのあと強攻して、
 5点目が取れなかったのは反省点です。
 スクイズで行ってもよかったかもしれない」

すらすらでてくるコメントに、
ぼくは感心するほかなかった。

野球の試合に関してはあらゆる想定がある。
それが、名門校の名門校たるゆえんなのだと思う。
思えば、あらゆる想定に応じた行動を、
頭ではなく身体に覚えさせるとういうのが
「練習」というものなのかもしれない。

ともあれ、斎藤監督のことばにあるように、
ワンアウト二三塁から後続は凡退。
雨の決勝戦は、9回表、
須賀川高校の攻撃を残すのみとなった。

先頭は熊倉くん。
しかし、歳内くんの投球もまた、
雨の影響をまったく感じさせない。

三振! 16個目!

続いてのバッターボックスは、
6回表から代打で出場しているキャプテンの林くん。
そう、アグレッシブな三塁コーチの彼だ。

最初の打席では、見事バントヒットを決めた彼。
またしても、一塁線に転がす!
ぬかるみかけたグラウンドで、
ボールの勢いがなくなる。
歳内くんがマウンドを駆け下りる。





アウト! ツーアウト!
聖光学院、甲子園まで、あとひとり。

バッターボックスには、
腕立て伏せの三番打者、榊枝くん。






カウント、
ツーボール、ツーストライク。



ストラーーイク!!
三振!

歩み寄る聖光学院バッテリー。
歓喜のリアクションは、
爆発する抱擁ではなく、
確かめ合うようなハイタッチだった。







雨の中、ようやく、笑顔がはじける。
おめでとう!



校歌斉唱のあと、閉会式は雨のために
三塁側室内練習場で行われることがアナウンスされる。
少し残念だけど、しかたがない。
この雨だもの。

でもね、試合がはじまったころは、
すばらしいお天気だったんですよ。
ちょっとどうだったかお見せしましょう。































試合はつねに聖光学院が主導権を握り、
チャンスを確実にものにしていきました。
聖光学院は8安打を放って4点を取りました。
歳内くんは須賀川打線を3安打に抑えて完封勝ち。
そして、忘れちゃいけない、17奪三振です。
振り返るならば、準決勝いわき光洋戦は15奪三振。
準々決勝、白河戦は13奪三振。
足すと、ええと、3試合で45三振!
3試合の81個のアウトのうち、45個が三振!
うーん、たしかにすごい、歳内宏明!
敬意を込めて、アスリートとして
呼び捨てにさせてもらいます。
いいもん見せてもらったわ、歳内。







敗れて、須賀川ナインはさわやかでした。
もちろん、涙はありましたけれども、
泣き崩れるということでもなく、
行く夏に対する礼儀のような涙でした。



そして、優勝旗はふたたび、
聖光学院、小澤キャプテンのもとに。
めずらしい、室内での閉会式。





各選手、監督への取材がはじまって、
場がわっとばらけたとき、
誰になにを訊こうかと思ったのですけれど。

ぼくは大会運営本部に向かいました。
福島県高野連理事長の
宗像(むなかた)さんに
取材、というより、挨拶がしたかったのです。

お忙しいときだし、
なにより、たくさんの取材を
受けてらっしゃるだろうから、
ご挨拶してもわからないかもしれないなと
思っていたんですけれども、
宗像さんは「ああ、どうもどうも」と
笑顔で応じてくださいました。

おつかれさまでした、宗像さん。

宗像さん
「はい、いま、まずは、ほっととしてます。
 無事、大会が終わったということで。
 放射線量を気にしながらの大会ということで
 どうなるかと気になっていたんですけど、
 どこの球場もオーバーすることなく
 無事できたっていうことがなによりでした」

もう、いろんな場面で、いろんな判断を
しなきゃいけない立場だったかと思います。
最後も雨で、どういう判断をされるのだろうと
思いながら観ていました。

宗像さん
「はーい、はいはいはい(笑)。
 ほんとにね、あと、こうやって、
 閉会式も中でやるっていうのもはじめてのことだし。
 異例ずくめの大会でした。
 でも、すべてが無事終わったんで、よかったです。

ほんとうにお疲れ様でした。
ぼくもすばらしい経験をさせていただきました。

宗像さん
「ああ、どうもありがとうございます。
 あの‥‥ほら、あれ(「ほぼ日」)、
 見せていただきましたよ(笑)。
 けっこう、みんな、見てるんだね。
 すごい反響だったよ(笑)。
 失礼だけど、ぼくもはじめて見せてもらってね」

ああ、見ていただいたんですか。よかったです。
ほんとうにありがとうございました。

宗像さん
「どうもありがとうございました」

去り際、宗像さんは、
甲子園でもまた、と笑顔でおっしゃいました。
そうだ、つぎは、甲子園。

あちこちの取材をのぞいているうちに
すっかり雨は小やみになり、
グラウンドで聖光学院の選手たちが
笑顔で記念撮影をはじめました。

スタンドのところに
生徒や父兄の方が集まっていてね、
そこに向かってみんなポーズをとっているんです。
家族やクラスメートに対する彼らは
常勝軍団の一員であるときとは
まったく違う顔をしていて、
ぼくはにこにこしながらシャッターを切りました。

















思えば、優勝決定の瞬間から
2時間近く経っています。
余裕をもってとっておいたつもりの
新幹線の時間がせまってきました。

ぼくは、にぎやかな聖光学院のベンチを離れ、
三塁側のベンチを最後にのぞいてみました。



誰もいないベンチ。
数時間前までくり広げられていた
熱戦がうそのようです。
ちりひとつないほどきれいなのは、
須賀川高校の選手たちが
掃除していったからです。

開成山球場をあとにしようとしたところ、
急に雨足が強くなって、
傘を持っていなかったぼくは
出口のところでちょっと雨宿りしていました。
そしたら、ちょうど、
須賀川高校から聖光学院への
千羽鶴の受け渡しが。



やぁ、いいものを最後に見た、
と思っていたら、
歳内くんを見つけた少年たちが
サインをお願いしはじめましてね。

おお、そのサインは、
将来、価値が出るかもなぁ、
なんて思ってぼんやり見ていたら、
人がどんどん増えてきまして。

その、歳内くんが人に押されるかたちで、
どんどん、こっちに来るわけです。
いや、ぼくは雨宿りしてるだけなんですけど。

なんていうか、いつの間にか、
歳内くんとオレ、密着状態。
ち、近い。歳内くん、近いって。

わ、押さないで。
ていうか近い! 歳内!



こりゃたまらん、ということで
雨のなかを走ってバス停まで。
新幹線、ぎりっぎりだったんですよ。

さぁ、東京へ帰ろう。











ほんとは、ここで終わるつもりだったんですけど、
やっぱり、追いかけますね、甲子園まで。

それでは、
それまで、ひとまず。