怪・その31

「左は見ないでね」

10年ほど前に、
母を関東近県の温泉街へ連れて行った時のこと。

ゆっくり温泉につかり、
1泊した次の日のチェックアウトの時、
近隣に何か観光スポットがないかと
宿の人に聞きました。

すると、旅館のおじさんが
最近この近くに
山桜を見れるよう整備した散策路が出来たので
是非行ってみてください、
とにこやかに教えてくれました。

教えられた道順を辿って行くと
道路の脇に真新しい立て札があり
「〇山公園→」と書いてありました。

あ、ここだここだ、と
木々と熊笹が両脇に生い茂る細い坂道に入りました。

ちょっとしたハイキングのような緑に囲まれた道で、
桜はまだ咲いてないかしらねえ、
なんて言いながら坂道を登って行きました。

道の途中途中に立て札があり
「頂上まであと何m」と書いてあったりしました。

私たち以外に誰も居らず、気軽に来たけど、
結構な距離なのかなぁ、
と思い始めた頃、また立て札がありました。

「頂上まであと少し!

左は見ないで進んでね」

と書いてありました。

(左?)

と思い、左を向くと、

突如そこには

朽ちて、

ソファーや家具が散乱した

廃旅館が

道の脇に佇んでいました。

真っ暗な館内を見せつけるように
窓ガラスやドアは無く、
道にぱっくりと口を開けているようにも見えました。

まったく突然視界に入った、
セットのような不気味な廃旅館に
母も私も、しーん。

それでも私は、すごーい、と
携帯の写メをパシャパシャしたりして
努めておちゃらけたりしました。

すると、静かな林の中で
急に時計の秒針の音だけが聞こえてきました。

カチカチカチ‥‥。

それは廃旅館の方から
聞こえるような気もしました。

私はその音が自分の気のせいだと思ったのですが、

母が
「なんで時計の音がするんだろ」
とぽつりと呟いたのでゾッとしました。

気のせいじゃなかったんだ‥‥! と。

あとは急いで頂上に出ましたが
整備されたばかりの頂上は中途半端な作りで
そそくさと下山しました。

帰りも旅館の前を通りましたが
黙々と通り過ぎました。

散策路の入り口近くで
登り始めたカップルとすれ違いましたが、
彼らもあの廃旅館を見て
微妙な空気になったのかもしれません。

携帯の写メは見返すのも怖いので、
自分で消去しました。

(トミー)

こわいね!
2017-09-05-TUE