怪・その30

バックミラー

タクシー運転手をしている友人の話です。

明け方4時ごろ、業務も終わりに近づき
会社へ戻ろうとタクシーを走らせていると、
ある幹線道路のとても中途半端な場所で、
セミロングヘアの女性が
フッと手をあげているのが見えたのだそうです。

もう会社へ戻るところだったのに、
まだ暗い時間に、
見てみぬふりもできず停車すると、
女性は静かに乗り込んできて、
少し考えたあと

「運転手さんの行く方へお願いします。
 私はいい頃合いで降ります」

と言うのだそうです。

お盆過ぎとはいえ、
明け方は肌寒かったのに
水色のノースリーブのワンピース姿で、
まるで着の身着のままどこかから
逃げてきたみたいに、
小さい巾着袋を持っただけ。

なのに慌てた様子もなく、
かと言ってのんびりした感じでもなく、
タクシーに乗れたことに
安堵したような息づかいだけは伝わってきて、
とても不思議な女性だったそうです。

少し寒気がして、バックミラー越しに
ちらちら顔を覗き見ても、
透き通るように肌の青白い女性の顔があるだけで、
幽霊とも思えない。

いや、幽霊ってこんなのかもな、
とか考えながら10分ほど走っていたら
だんだん気味が悪くなってしまい、
正直なところ、早く降りて欲しいという気持ちが
ピークに達した時、
その心を読むかのように

「じゃあ、ここでけっこうです」

と言った女性は、
降りる間際にこう言ったのだそうです。

「もう、忘れてくださいね」

その言葉には、
何か呪文のような響きがあり、
彼は無我夢中で会社に戻ったそうです。

‥‥この話を聞いた私が、
「魔女みたいだねー」などと
茶化そうとした時の彼の言葉には、
全身が怖気立ち、
いまでもずっと耳から離れません。

「何度もバックミラー越しに顔を見たのに、

 ワンピースの色も柄も覚えてるのに、

 髪型も覚えてるのに、

 顔だけがぽっかり思い出せないんだよ。

 まるで、顔だけ、もともとなかったみたいに」

(m)

こわいね!
2013-09-02-MON