どうして実現したのか、不思議なくらいの座談会です。
あらためてお父さんについて話すと、
いままで見えなかった何かが見えてくる。
近いのか、遠いのか、正しいのか、ヘンなのか?
少し珍しめの父親を持ってしまった子供たちが、
お父さんについて、とってものびのび語る!
(後にお父さんのコメントが加筆されてます)

座談会メンバーは、息子&娘の5人。
お父さんにはのちほど原稿を読んでいただき、
自由に「ちゃちゃ」を入れていただきました。

<息子&娘>
<お父さん>
谷川賢作(たにかわけんさく)
音楽家。43歳。11歳の娘さんと7歳の息子さんの父。
カラオケとお酒がとてもお好き。お父さんは、いつも元気ハツラツ詩人の谷川俊太郎さん。賢作さんの公式ホームページhttp://www.taniken.net/

俊太郎
横尾英(よこおえい)
アートプラネット・Y勤務。インターネットや展覧会での横尾さんのグッズなどの企画販売を担当。41歳、独身。画家の妹さんがひとり。お父さんは美術家の横尾忠則さん。TADANORI YOKOO OFFICIAL SITE http://www.tadanoriyokoo.com/

忠則
糸井あんだ(いといあんだ)
大学生。一人娘。学校に通いながら、アルバイトの日々。お父さんはコピーライターでdarlingの糸井重里。たまに聞こえる親子の友だちみたいな会話に、スタッフも和みます。

重里
西田るか(にしだるか)
ほぼ日ストア店長。東京育ちの29歳、独身。3人兄弟の長女で、アウトドア大好き。お父さんは山梨の八ケ岳にひとりでこもっている物作りの名人。

阿部聡美(あべさとみ)
西田るか店長のともだち。26歳、独身で一人っ子。岡山出身。今、興味があるものは「美肌」。もと建築屋のお父さんとは、長い間会っていない。



第1回 ほめる父、こわい父、そして、ガゼボを作る父たちの話。

ほぼ日 まず、ざっくりと、ご自分のお父さんが
どんなお父さんなのかを
それぞれ教えていただきましょう!
るかさん、どうですか?

るか
えっとね、家がもともと床屋さんなんです。
おじいちゃんおばあちゃんが経営してたので、
父が継ぐはずだったんだけど、
自由奔放に生きてしまったから、
そういうわけにいかず・・・。
今は「ガゼボ」を作っています。
みんな 「ガゼボ?」

るか
そう、6角形のあずま屋。


ガゼボ

さとみ
あの、高級リゾートとかによくある、あれ?

るか
そうそう(笑)。それを手作りで作ってて。
東京で買うと100万、200万とかするのが、
「パパが作っているのは9万円だから
 みんながどんどん買ってくんだよ」
って。

賢作
あ、売ってるんだ。


るか

そうなんです。
山梨のホームセンターで。
昔から父は変わっていて、
前は、東急ハンズに、いろんな手作りのものを
卸してたんですけど、その後、不意にそれをやめて、
軽井沢でホテルを5年間やってました。
その後は山梨県にある八ケ岳に引っ込んだまま、
ひとりで好きなように暮らしてるんです。
最初は農業がやりたくなってそこに行ったんだけど、
農業は夏しかできないから、
冬は、「ほぼ日」でも1回売ってたんですけど、
ビーフジャーキーを、作って暮らしてたんです。

ガゼボにホテルに農業にジャーキー・・・。


るか
でも、狂牛病でちょっと今年はヤバイぞ、
っていうときに、
遺跡発掘、井戸掘り、ペンキ塗りとか、
そういういろんなバイトを始めたみたいです。
「バイトを始めたんだよ」って、
なぜか得意そうでしたねー(笑)。

賢作
たくましいなあ!


谷川賢作さん

るか
今は、「ジェイマート」っていう、
山梨にあるホームセンターでバイトをしてて。
50過ぎなんですけど、時給700円で。
ユニックっていう、大っきなトラックに
クレーンが付いてる乗り物があるんですよ。
それを自分で持ってるんですけど、

あんだ
持ってる!?

るか
そう。ホームセンターでお客さんが買った、
別荘のお庭を作るためのいろんな砂利とか木とかを、
その別荘に運んであげては、
そこの家のご主人とかに話しかけて、
「どんなお庭作るんですか?」って
結局自分で作って
あげちゃってる
らしい。

さとみ
ボランティアで?

るか
うん。
みんな はあー!

るか
「給料、どんどん上がってくんだよな」って喜んで。
でも、時給は相変わらず740円ぐらいらしいです。
700円だったのが、ちょっと上がったの(笑)。

賢作
わあ!

るか
もう、「父のやってること」って
すっごい説明しにくいから
いつも聞かれて困るんだけど、
うちの父は、そんな感じなんです、今。
ほぼ日 のっけからすごいですねえ!

賢作
ぼくも父の話、始めちゃいますけど、
小学校の時に先生とか友だちの前で
父の職業を言うのがすっごく恥ずかしくて。
なんか、からかわれたんですよ、先生に。
「谷川の父親って、なんだ?なんか書いてる?
 詩書いてるのか!食ってけるのかよ」って(笑)。
「詩を書くって、それ、職業なの!?」って(笑)。

だから、「著述業」なんていう言葉を
どっかから仕入れて、
父のことを「文筆業」とか「著述業」とか
言ってましたけど、
なんじゃそれ?って思ってた(笑)。
「詩人」って、なんか恥ずかしくって
言えなかったなあ。


るか
「父は詩人です」
って言いたいですよー!

賢作
よーく考えるとね、僕にとっての父親は、
「僕の応援団長」なんですよ(笑)。
みんな あー!

賢作
そういうふうにしか言えないっていうか。
いま分析するとね、子どもの頃から、
彼は、すごく僕をのせてくれる人間でしたね。
「おまえは音楽の才能あるよ」って。
ピアノを弾いてるとね、
「こいつ、ピアノ上手いんだよ」
って周りの人たちに言ってくれてた。

でも未だにやっぱり、日本の父親っていうのは、
「こいつはまだまだで」っていう姿勢がありますよね。
「もっとちゃんとしろ、おまえは」っていうような。

るか
うんうん。


ぼくの場合は、話がまったく
谷川さんの反対で。

その典型的な日本の父親の
「おまえはまだまだだな!」っていう育て方でした。
子どものときはぜんぜん父と接する機会がなくて。
一言で言うと、「うちの父はいない」
っていうぐらい。

母親と妹と、あとは事務所にいる女の人たちが家族、
っていうぐらい、
父とは接することがなかったんです。
今の賢作さんの話の次に、これを読んだ父に、
また「おまえはまだまだだ」って
言われるかも知れないけど(笑)。


さとみ
そんなことないですよ!

いまだにそうなんですよ。
父は、そういう「おまえはまだまだだ」
っていう気持ちが、
今でもずっと続いているような気がする。
これ、愚痴になっちゃうんですけど・・・。
どうしよう? これ!
言いながらドキドキしちゃう!

ほぼ日 大丈夫ですよ!安心してお話しくださいー。

賢作
いやあ、そういうこわいお父さんが
一般的には主流じゃないですか?

るか
英さんのお父さんは、
お家にいらっしゃらないのに、こわかった?

いないけど接することがたまにあったときに、
どっちかっていうと、こわいというより
暗黙のうちに距離をおかれているような感じで。


あんだ
暗黙のうちに。

いても、あまり接してくれない。
たぶん父はどう接していいのか、
わからないっていうところがあったんでしょうね。
息子には。

妹とは、同じテーマで話をしたとしても、
僕とはまた違うことを言うでしょうね。
長男だということもあるだろうし。
そのへんの話は僕、ぜんぜんしたことがないから、
本当はどう思ってるかは、わからないけど。
やっぱり僕にとって父は、
なかなか近寄りがたかったし、
どう喋っていいのかわからなかった。

あんださんのお父さんは、
褒めるほうですか?

ほぼ日 まわりには褒めちぎってますけどね(笑)。

あんだ
どうでしょうね。
でも、褒めるときには褒めるし、
「それ、違う」とかも言われるし。
わたしの場合は、
小さいとき一緒に住んでなかったんですけど、
毎週末一緒に遊びに行ったりとかしてました。
なんか、友だち感覚みたいな感じで。
今日はパパが来るから、どっか行ける、
みたいな感じで。
だから、接し方が
ふつうの親子と違うんじゃないかなあ。

なんだか楽しそう。


横尾英さん

あんだ
で、たとえば友だちとかといるときに
父から電話がくると
「あ、どうも、どうも、糸井です」とか言って
私が出るんですよ。
そうすると、「今の、だれ?」って言われて
「いや、親」って。
友だちは
「え、おかしくない?」って言いますね(笑)。


るか
いや、あるある。すっごいあるよ、それ。
うちもね、父とは友だちみたいなんですけど、
彼氏が隣にいるときに
父から電話が掛かってきて、
すっごい長電話で話し込んじゃったりするんです。
男の人の声が漏れてくるから、
切った後にすっごい彼氏に怒られて。
「誰と話してたんだ!」って。
「お父さんだよ」って言うと、「うそ!?」って。
「他の男かと思った」って。

賢作
友だちみたいってことは、
怒られたこととか、ぜんぜんないの?

るか
ありますよ。怒るとこわいですよー!
いちばん最後に一緒に暮らしてたのは
中学生くらいだったんですけど、
夜帰ってこないってことで怒られた。
11時ぐらいまで友だちとボーリングやってたりして
帰ったときには、もう激怒。
みんな はいはい(笑)。

るか
あとは、よく、男の子から電話がかかってくると、
「いませんっ」って言って切ってました。
で、その後、すっごい機嫌が悪い。

賢作
あー、父親だね、ほんっとに(笑)。
女の子だからなあ。

賢作さんはわかりますよね、
いま女の子の父親だから。

賢作
これからじゃないっすかね。
でも、あんまり過剰なのはやめようと。
わかんないけど(笑)。

さとみ
わたしも中学3年生ぐらいのときに、
初めて彼氏みたいな人ができて、
その人が20歳だったんですね。
みんな へーっ!

さとみ
今聞いたら、その年齢差、変て思うじゃないですか。
それを当時はあんまり気にせずに、
電話とかしてたら、
親が、「どんな人?」って聞いてきて。
で、ふつうに正直に言ったら、
「なによ、それはーっ!」って
母にはすごく怒られたんですけど、
父は、「じゃあ、1回そいつに会わせなさい」って。
で、うちの近所の喫茶店で会ったらしく(笑)。

2人で会ったの?

さとみ
そう。わたしの知らないうちに
2人で会ってて。
で、「今あいつに会ってきたぞ」って帰ってきて。
「え?どうなった?」って聞いたら、
さとみが18になるまで待ってくれ
 って頼んできた」って(笑)。
「いい奴だったけどな。」って。
勝手に恋の行方を決められて。
そういう過剰さがありましたね。

賢作
いやあ、心配なんだよね〜。

 
<あさってに、つづきます!>   


第2回 ほかのお父さんと違うんですけど!

ほぼ日 うちのお父さんは、
明らかに友だちのお父さんと違うなって
思われるところって、ありますか?

うちの両親は、格好が凄かった。

みんな あああっ!

僕が61年生まれなので、
60年代から70年前後が小学生だったかな?
父の髪の毛が腰まであって。
そして、破れたジーンズを履いていた。
母はいつも長〜い服、古着を着て。

でも、僕と妹は、ふつうにハイソックスを履いて
半パン履いて、っていう格好をさせられてました。
参観日は両親とも来てくれたから、
そこで、「あ、ぜんぜん他の親と格好が違う」
っていうのに気がついて。

で、僕の親友のお父さんとお母さんは、
ふつうにスーツ。
お母さんは今で言うシャネルスーツぽく。
そういう格好をしたお母さんに、
すごい憧れていました。
お父さんも、
きれいに髪を横分けにしてスーツを着てて。
そういうお父さんが良かったなーって思った。
とにかく嫌だったのが、その両親の格好でしたね。。


賢作
カッコイイと思うけどなー。

今思えば、ね。

賢作
今思えば、なんだよなぁ。
子どもの頃って、意外と、
みんなと同じがいいみたいな
意識があったよね。

ほんとに。僕がピアノを買うっていうときも、
もう、僕、ほんっとにふつうだったから、
黒か、せいぜい茶色がいいって言い張ったけど、
現れたのが白いピアノでした。


賢作
いいな、いいな(笑)。
なんか横尾さんに、ピアノに
ペイントして欲しかったな。

本人はたぶん、そういう感覚があって
白にしたんでしょうね。
ぼくは、父がそばにいるときは、
そばに寄らないで、しゃべりかけないでって、
拒否し続けていましたので、
そんなふうに思ってるかもしれない、ってことを
当時は気づきもしなかったんだけど。



あんだ
何が普通か、わかんなくなってきちゃう
っていうのもあるんですけど、
うちは、ちょっと違うっていうか、
恥ずかしいって思ったのが、
年をとるにつれて、
涙腺が弛んできているらしくて(笑)。

賢作
わかります。わたしもそうですから。

あんだ
映画とかですごく泣くんですね。
『シンドラーのリスト』を
一緒に見に行ったときに、
映画館で、横ですーごい震えてて。
オエツとかしちゃって(笑)。
私は横で「この人、すごい泣いてる!」
って思って(笑)。
中学2年とかだったと思うんですけど。
どうしよ、どうしよ?とか思いながら。

『ジュラシックパーク』を見に行ったときなんて、
足下からバクッて恐竜が来るシーンがあったときに、
自分のところに恐竜が来たみたいに
「ワァ〜ッ!」って叫んでよけたりとかしてて。
さすがにちょっと恥ずかしくって。
「ここ、家?」みたいに思ったりとかして。
みんな わははははは!!!

さとみ
そういうときには
「もー、静かにして」って言うの?

あんだ
言えないですよ!
「今日は凄かったね・・・」って言います(笑)。


るか
父兄参観とかに来てくれたりしたんですか?

あんだ
はい。ニコニコして見てました。
でも、咳払いがうるさくて
授業中とか、それがけっこう気になった。
他のお父さんとかは、咳払いとかしないんだけど、
耳につくっていうか、
自分のお父さんだからなのかも知れないけど。
やめて、やめて!って思ってました(笑)。


さとみ
うちの父は、昔から子どもを大人扱いする人で、
幼稚園の年長ぐらいで、
なんか『アラビアのロレンス』とか
『影武者』とか名作見せられて
その感想文を書きなさい
っていうのがあった。
A4のノートを渡さちゃって。

るか
へえ!

賢作
うちもうちも。
『東映まんがまつり』『東宝怪獣まつり』、
そういうの、ぜんぶ禁止でした。
で、夕刊持ってきて、
自分でいくつか映画欄から選んで
「この中から好きなの2つ、連れてってやる」
って言われました。
だから『2001年宇宙の旅』、8歳で見ました。

さとみ
好きな映画を選べるのは、いいなあ!

賢作
あの映画、前半40分くらい、感動しました。
あー、すげぇ、宇宙ってすげぇ、みたいな感じで。
でも、後半はぜんぜんわかんなかった(笑)。

さとみ
あの当時にあの映画観たら、
びっくりしますよね。
今、ビデオで観るのとの違いって、
やっぱりすごいと思う。

賢作
そうだね。
子どもがわかんない映画、
早くから連れてっちゃうのは賛成だな。

あー、でもエッチ系はダメだったな(笑)。

るか
もう、ほっといても行くでしょうって。

賢作
うちの他の父親と明らかに違ってたところは、
「あ、夜から働く人なんだな」
っていう認識がすごくあった。

ああ、そうですよね。

賢作
やっぱり、朝、働きに行く人が多いじゃないですか。
「うちはお父さん、朝寝てるんだよ」って言うのも、
けっこう恥ずかしかったんですよ、友だちに。
「なんで?」って聞かれて、
「いや、夜中に仕事するから」って。
よく考えたら、
子どもってお父さんのこと、
恥ずかしいんじゃないかな?
みんな はっ! そうかも。

賢作
どうもそんな気がする。
ぼくも、娘の友だちが来て玄関先で喋ってるときに、
ガーンてドア開けてさ、
「おっ、帰ってたのか?」って声かけると、娘に
「ウ〜ッ、行ってっ! 行ってっ!」みたいにされる。
もう俺は、この歳でそういうこと
やられちゃうの?って。
悲しーっ(笑)。


さとみ
確かに、
パンツ一丁でもなんでもなく、
服着て普通にしてるのに、
「お父さん」を友だちに見られてしまうことへの
恥ずかしさは、なーんかありましたねえ。

さっきの大人扱いのお話ですが、
うちの父も、僕がまだ小さいころ、
それこそもうほんとに、
歌舞伎から展覧会から何から、
小学校の低学年ぐらいから連れていってくれてました。

あと、そのころ父とつながりがあった
著名な方々のところに、
僕みたいな子どもを連れてってくれて。
今から思うと、小っちゃいときに、
いろんな家に連れていってもらったっていうのが、
ありがたかったなあって思います。
今の自分の価値観を形成してくれたって思います。

ほぼ日 なかなかできない体験ですよね。

平野レミさんのお父様の威馬雄さんが、
「おばけの会」っていうのを作ってらして。
それが松戸にあったんですけど、
ウチの父は免許がなかったので、
僕を連れて、父がめったに乗らない電車に乗って、
松戸まで月に1回か半年に1回か、
その会に連れてってくれるんですよ。

本人からじかに教えられたっていうことは、
あまり覚えていないけど、
今思えばそういうところに行って、
そういった人たちに接する機会を
すごく与えてくれたことから
学んだことがたくさんあったと思います。


さっきも言ったけど、そういう経験によって、
今の自分が、多少なりとも
形成されているのかな?
って、やっぱ思います。
これ、ちょっと褒め言葉になるかな?
愚痴ばっか言ってたから(笑)。
そんな父は、良い父です!


賢作
ほんと、そうですよ。

さとみ
わたしも父が建築会社をやっていた頃に、
プレゼンシートのようなものを、
見せてくれてました。
この建物は、
これからこういうコンセプトで作りたいから
こういうイメージ写真をはってるんだよ、とか。
そういう話は、やっぱりなんとなく
今でも思い出すっていうか。
ああ、そういうふうに物は作られるんだな、
っていうことが、なんとなくでもわかったのは、
その後、色々と役立った気がしましたね。

るか
そうやって小っちゃいころに経験したことって、
すっごい鮮明に思い出せるよね。

憶えてる。
たぶん、父も憶えていないような変なことを、
子どもの自分のほうが、憶えてたりなんかしますね。
その変なことが、けっこう今、
自分の価値観に結びついてるかも。

色々と連れていってもらっていた、
その家にある物とか食器とか、
壁の色とか掛かってるものとか家具とか、
そういう物をよく憶えてるかな。
そこで出されたものとか。
自分の好き嫌いっていうのは、
そういう子どものときの体験が、影響してますね。
父はそれがわかってて、そうしてたのかなあ。


あんだ
うちは腕立て伏せやりなさい
って言われました。
みんな へ?

あんだ
で、手描きの腕立て伏せ日記
書かされていました。
何月何日、何回、みたいな。
これ、ぜんぶ書き込みなさい、って。
全然しなかったんですけど(笑)。
みんな なんで、腕立て伏せ・・・。

さとみ
他の運動じゃなくて、腕立て伏せ限定?

あんだ
はい、腕立て伏せです。
なんか、とにかくしたほうがいいよ
みたいな感じで。

賢作
いやね、きっと映画観たんだよ、腕立て伏せの(笑)。
こっ、こっ、これだーっ!
って思ったんじゃないかなあ。

 
<あさってに、つづきます!>   

★読者メール紹介!★
お父さんってやつは、
娘に彼氏から電話なんかかかってくると、
どうしてああソワソワするんでしょうね?
私の父は、電話でしゃべっていると、
「もっと聞こえるように話せ!」
と言うので困りました。
相手に聞こえるようハキハキとって意味ではなくて、
父は相手の話している内容が知りたいわけです。
私の発する言葉だけでは、
話の内容がわからないんですね。
今のように携帯電話などない時代、
大変苦労しました。
(さゆり)

おとうさんは、「恋系」に関しては、無茶言いますね!
しかも、電話する場所が、ものすごく近いですね。
私の家でもそうでしたが、
今だと考えられないユニークな一場面ですよね。
(さとみ)


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私は父との関わりが今でも下手です。
娘を産んで、果たしてジジマゴの関係はどうなるんだ?
と心配したりもしたんですが、
私を抜きにして父と娘2人は仲良しです。
実家に帰ると、2人でしばし行方不明となり、
お菓子だのおもちゃだの山盛り抱えて
帰ってくるのです。
私が小さい頃は叩かれて怒られた
お父さんだったのになぁ・・・
切なくもあり、でも、娘に嫉妬を感じたり
(ちょっとだけね)もしたりします。
私と父は、性格的に似ているし、ぶつかるから、
お互い分かるだけに距離を持っちゃうんだろうな、
と思っています。
だけど、父が死んだらものすごく悲しくて
号泣しちゃうんだろうと、
今想像するだけで涙が出そうになります。
なんだかんだと反発しつつ、
主人は父に似ているところがあるんです。

お父さん子でお祖父ちゃん子の娘も、
やっぱり似たようなダンナ様を連れてくるのかなぁ…?
(Etsuko)

「娘は父のコピーだ」という話しを
聞いたことがあります。
だから、父の考えていることが手にとるように
わかったりするんですって。
わたしも父のいやな態度を見ても、
「まあ、わからんでもない」
って妙に納得しちゃったり。
そう考えると、ご主人がお父さんに似てるのって、
なんとなくわかるような気がしますねえ。
(さとみ)


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うちの父は家族の中で一番情にもろく、立場が弱く、
そのくせ強がりな人です。
子供の頃は、怒られるのはお母さん。
なだめてくれるのがお父さん、と言う家庭でした。

父親は仕事一筋、というのが世間では
一般的みたいですけど、
我が家は父が一番悠々自適な生活をしてました。
若い頃は何度も転職して、
60をむかえた今はフリーター生活です。
今日はテレアポの仕事。明日は障害者学校で先生、
と仕事を転々としてます。
母としては、子供2人も巣立って、楽しく老後を
送りたいようですが、
父の仕事が不安定なのでそうもいかず、
まるでもう一人子供がいるかのように心配してます。
それでも父も母も全然大変じゃなさそう。
むしろ楽しそうです。

そんな父ですが、どうも私のことが大好きなようです。
最近結婚して分かったのですが、
たまに、里帰りするから、と連絡すると
ホントにうれしそう。
「ご馳走作って待ってるから」とか言います。
実際作るのは母で、母はそれほど感激屋じゃないので
普通のご飯だったりします。

夫の父は、仕事一筋であまり家にいなかったそうなので、
うちの父のような父親を面白がっているようです。
今さらながら、こんな変な父と、
たくさんいっしょの時間を
過ごせてよかったよなー
、と思います。
大学の友達も、職場の男性も、
父の個性にはかなわない気がします。
(よいこ)

悠々自適に過ごしてるお父さんって
まわりは心配するけど、
娘から見ると、
ほんとうに「むしろ楽しそう」です。
うちの父は、母や親戚に心配されても、
ぶつぶつ文句を言われても、昔から、
「金は天下のまわりものだからな、わっはっは」
てな、かんじでしたし。
(るか)
★★★★★★


第3回 めっちゃくちゃな父の世界観。


あんだ
あと、小学生の頃は、
よく野球に連れて行ってもらってました。
ドームの試合はいっつも週末行って。
こういう見方があるんだよ、
とかいろいろ説明してもらいながら観てた。
ときには寝ちゃったりとかして。
でも、べつに起されもしなかったなあ。
で、「今日は何のお弁当食べよっか?」
って言ったりして楽しかった。

他のお父さんと違ったのは、
学校休んで巨人のキャンプに
よく連れていかれてたことですね。
宮崎とかグアムに。
みんな それは違うわ!(笑)。

あんだ
それはやっぱ、友だちには言っちゃダメよ
って言われてた。
でもグアムとか行ったら焼けちゃって、
「あんだちゃん、なんで焼けてんの?
 風邪で休んでたんじゃないの?」
「いや、なんでもないよー」っていうような
やりとりがあったり(笑)。


るか
うちも、勉強しなさいっていうのは、
生まれたときからこれまで、
1回も言われたことがなくって。
もう遊びに連れてってくれることばっかりだった。
学校なんか行かなくていいから、
「これから俺は海にキャンプに行くから
 おまえらも一緒に行くんだ」って、
あっちにこっちに連れてってもらった。
そんなのばっかり。

お父さんの趣味が、
わたしたちの趣味であり
遊びだったなぁ。

お父さんがラジコン好きだったら、
みんなでラジコン作ったりとか。

賢作
ああ、いいねえ。

るか
そのラジコンを一緒に走らせに行ったりとか。
遊ぶときは、いつも一緒でした。

あんだ
そうですね、うちもそう。
受け継ぐみたいな感じですよね、趣味を。


るか
うん。
父は、オフロードの3人バギーのレースに出てたのね。
そういうのをやってると、
子どもにもやらせたいもんだから、
子どもにも乗れるバギーみたいなのを買ってきて
乗らせたりとか。
もうまさに自分がやってることを、
そのまんま全部やらせたい。
でも、当然、子どもだからできないことも
たくさんあるんですよ。
で、できないと怒る、みたいな。
そういうとこは、すっごい厳しいの(笑)。
バランス感覚なんか無いのに「乗れ」
ほんっとに危ない。

なんか楽しそうだなー(笑)。
さとみさんは?


さとみ
うちのお父さんは、
ビデオ撮るのがすごい好きで。
運動会とかもちろんなんだけど、
私の夕食風景までも、
三脚でカメラ据えて撮ってました
ね。
今見ると、かなり笑えますよ、
自分の夕食中の会話(笑)。
メニューも、いつもよりちょっと良くて、
いい刺し身とか用意されてて。
みんな へえ!

さとみ
あと、よく長野の上高地に行って、
家族3人で山登りをしてました。
当時ビデオ自体も、そのバッテリーとかも、
すっごく大きかったんですよ。
でも、父はビデオ大好きだから、なんか
二宮金次郎が背中にかついでるみたいなやつ
背中にかついで、
それにビデオとバッテリーをくくりつけて
山登ったりしてました。

るか
重そう!

さとみ
で、私の山登りの様子を、ずーっと撮ってて。
自分はバックで山登りですよ。
で、しかも、お父さん、めちゃくちゃ細いんですね。
身体折れそうなんですけど、
「ハイ、さとみ、こっちー」とか(笑)。

でも、なんていうかな、
その父の世界観に私が馴染まないと
怒ったりするっていうだめなところがあって。

たとえば、そういう高原のホテルに泊まるとね、
ゲームセンターの縮小版みたいな場所が
あるじゃない?
で、子どものときって、
「自然」より「ゲーム」だから、
ずっとそこで遊んでたら、
「なんでこんなとこまで来て
 ゲームなんかするんだーっ!
 もっと鳥のさえずりを聞きなさい!」
って、なんかむりやり窓際にひっぱっていかれて
聞かされて、とか(笑)。
花を摘んで、7種類集めてみよう、とか。

課題を与えられるんですね(笑)。

さとみ
そうですね。つねに。
単に遊ぶだけじゃない、っていうか。
それに、合わせたほうがいいのかなーって、
合わせてましたね。
めんどくさかったけど。
ほぼ日 普通の家庭って、ないんですね・・・。

でもなんか、皆さんの話を聴いてて、
そうそうわかる、とか、あるある、とか
思いますね。


るか
よく友だちがね、お家に遊びに来たときに、
「なんで、るかのお家には、外じゃなくて中に
 バイクとか自転車があるの?」
って聞くんですよ。
えっ?ふつうないのかな?って初めて思った。
うちのお父さんは、
自分が大事にしたいものは
ぜんぶ家の中に入れちゃう
んですよ。
自転車とかバイクとか。すっごい狭い家なのに!
だから、タイヤが、部屋の中に積まれてたり。
今となってはおかしいよって思うけど、
そのときはふつうだった。

僕は、今の話とまったく反対。
なんでないんだろう?
っていうもののほうが多かった。
ほんとくだらないんですけど、
たとえば、人の家にはエアコンがあるのに、
なんでうちにはないの?って。
みんな エアコンがなかったんだ!


なかった。
で、買ってくれって言っても買ってくれなかった。
けっこう子どものころ、ないものが多かったかな。
それこそ、なんでうちには車がないの?から始まり、
レゴもなかった・・・。


あんだ
冷房がないのは、健康を考えてですか?

そうですね。
でもレゴがない理由は、わかんなかったです。
レゴもさることながら、オモチャがなかったっていう。
たぶん、外で遊ぶということを重視したんでしょうね。

おかげで、近所のおたまじゃくし取ったり
ザリガニ取ったりして
外で遊んだ良いことも、もちろんあるけれども、
やっぱ当時は「なんでないの?」っていう気持ちも
あったかな。そのことを思い出しました。

 
<月曜日に、つづきます!>   

★読者メール紹介!★
出先から用があって自宅に電話をすると、
たま〜に父がでるのです。
たいていが父には頼めない用だったりするので、
「お母さんはいない? じゃあ、いいや」
と電話を切ろうとするわけですが、
これが父は気に入らない。
「なんだ! お父さんには言えない用なのか」
と、へそを曲げてしまうのです。
もう、父が電話に出ると
無言で切ったりすることもあった。
無口で頑固で働き者だった父が
逝ってもうすぐ8年。
「お父さんと、いっしょ。」を読むと
無性に父に会いたくなります。
何の用もなくても、
あの声をもう一度聞きたい

んですよね。
(とーま)

わかるわ〜!わかります!
お父さんって、「家の中のこと」を
全然知らないから、
頼みたくても、頼めないんですよねえ。
でも、そこにいてくれるだけでよかったり、
何もしゃべらなくても、
いつものくしゃみを聞くだけで安心したりする。
無口なお父さんって、ほっとする置物みたいな
ありがたい存在ですよね。
うちの父は、色々とうるさかったから、
いないほうが、ほっとしたり
しましたけども(笑)。
(さとみ)


------------------------------------------

私は、父に、いろいろだまされてきましたよ〜。
5歳くらいのときに、自分に父や弟のような
おちんちんがないのが不思議で、
どうしてないのかを聞いたら、
「あー、悪い悪い、
 お父さんが神社の夜店で
 買ってくるのを忘れたんだよ」

って言ったんです。
「じゃあ、今度の神社のお祭りで買ってくれる?」
と聞いたら、
「よーしまかせとけっ!」と。
そして、いよいよお祭りへ。
りんご飴やらおもちゃやら買ってもらうのに
夢中になって、気がつけば帰り道。
「お父ちゃん! おちんちん屋さんに行くの、
 忘れたよ!」
「あぁ、今日はもう
 おちんちんは売ってないから、ダメだな。」
小学校に入学するまで、
夜店でおちんちんを買ってもらって
男の子になるんだと信じていたバカな娘です。
(Etsuko)

ひゃー。
お父さん、なかなかやりますねー。
でも、子供のころってお父さんの言うこととか
なんでも素直に信じちゃうんですよね。
うちも父の好物が
コーラとアイスクリームだったんですけど、
「熱がでたときはアイスクリームを食べればなおる」とか、
「コーラはからだにいい」とか
そんなこと言われて、しっかり信じてました。
大きくなってもちろん、
「あれ?」って思いましたけどね。
(るか)
★★★★★★


第4回 お父さんが必ずする話。

ほぼ日 お父さんがよくする武勇伝や
自慢話についてはどうですか。
繰り返しされて、もう聞き飽きたよ、
っていう話ありますか?

賢作
武勇伝じゃないけど、最近よくする話だと、
『ギルバート・グレイプ』って映画あるでしょう?
ジョニー・デップが、
恋人のジュリエット・ルイスに訊かれるの。
「あなたは大人になったら
 どういう人間になりたいの?」って。
ジョニー・デップが、
「僕はね、良い人間になりたい」って答えるんです。
それがいい!と、父はよく言いますね。
それを聞いて、僕もすごく良い話だな、って思って。
もう1回観ようと思ってるんだけど。

なんか、谷川俊太郎がポロッと言うとね、
なんか、ああ、良い人間であるっていうのは
基本かな?って思って影響を受けてしまいますね。
僕もポロッといいことを
言ってやろうと思うんだけどさ、
ちょっと僕はキャラクター的に違うかなー(笑)。


さとみ
やっぱり、そういうときは
お父さんっていう意識っていうより、
谷川俊太郎だって思ってお話しを聞かれるんですか。

賢作
そう。ほんとに僕はそうですね。
応援団長であり、ライバルだと思ってます。
一緒にステージにいるときは特に。
子どもが前に座っててさ、
すぐ、「おなら」とか「おしっこ」とか、
そういう詩を読むから、子どもがワーッて笑うわけ。
嫉妬するもん、それで。
クッソー、受けてるよ、こいつって(笑)。

るか
同性同士、男の人だと、
やっぱりそうなるんですかね。

賢作
なんかね、今度、自分でもピアノ弾いて
笑わせたくなるんですよ。
だから、「千と千尋の神隠し」を
フリー・ジャズで弾いたりして。
でも、そうするとみんな笑わずに、
口ポカンと開けちゃうね(笑)。


るか
谷川さんって今もすごくお元気ですけど、
俺は若けえ頃はよー、っていうような話は
ないですか?

賢作
そう言えば、ポロッとさ、
「俺、そういえば昔ベルリンでレンタカー借りて、
 ミュンヘンで捨てて、どうしたんだっけな?」とか
「俺ね、ドイツは若い頃ね、自分でレンタカーで
 回ったんだ」とか言いますね。
みんなを自分の会話にひきつけて、とかじゃなく、
なんか、口の端っこからポロッと言うからさ、
あんまり武勇伝に聞こえないんだけど(笑)。

ほぼ日 淡々としてらっしゃるんですよね。

賢作
淡々としてます。
でも、よく考えると凄いと思うんだよね。
小沢征爾さんがスクーターで行ったのも
凄いと思うけど、うちのおやじも、
交流基金とかフェローシップで行って
見知らぬ国で勝手にレンタカーしてさ、
グルグル回るなんて、すげーじゃん、
って思ったんだけど。

さとみ
今でもすごいですよね、
いろんなところに行ってらっしゃる。

賢作
そうですねー。好奇心旺盛ですよね、彼は。
それから、すぐに、
「それは何だ」って知りたい人。
で、よくあったことなんだけど、
家族で食事してるじゃないですか、小さいころ。
で、なんか疑問点があるわけね、話しててね。
フランスとドイツとイタリアって、
どう並んでたっけ?っていうとさ、
その場で食事中断で、百科事典持って来るんですよ、
ダダダダダって。
平凡社百科事典、ダダダダダダッ!みたいな。
もう食事中断で調べ始めちゃってさ。

るか
インターネットができて良かったですよね(笑)。

賢作
良かったよねー。
今だったらもう、完全にコンピューターの前に
行くでしょうね、ダダダダダダッてね。
うん、すごいやっぱり好奇心旺盛な人だな。
機械もの強いしね、彼は。
「見せて」っていって、説明もしないのに
自分でいじり倒すみたいな。

るかさんのお父さんも武勇伝ありそうだね!

るか
うちは、繰り返しする話とかはね、ないなあ。
旬の話をするだけで。
なんかね、うちのお父さんはやっぱり、
自分でなんでも作っちゃたって話が多いかな。
最近は、なんかだんだん規模が大っきくなってきて。
「雪が降るから雪かきのために、
 除雪車を作ったんだよ」
って。

溶接機とかね、なんでも持ってるんですよ、
とにかく。
で、自分ちの雪をどかすために、除雪車を作った。
それがなかなか使えるものだったみたいで、
自分ちの雪がすぐなくなっちゃうと
つまんなくなっちゃったもんだから、
周りにある別荘の雪を全部どかしにかかって(笑)。

賢作
ありがたいなあー!

るか
で、本人は、嬉しくってやってるだけなんだけど、
周りの人は、「ありがとうございます!」って。
冬にね、遊びに行ったら、
草加煎餅とか、各地方のお菓子が
すごいいっぱい並んでて、
「どうしたの?これ」って言ったら、
別荘地だから、いろんな地方の人たちがいるから、
みなさん持ってきてれるんだよって(笑)。

さとみ
北の国からチックですねー。
ほぼ日 ひとりホームセンターみたいな(笑)。

賢作
あんまり、相談とかしない人?

るか
しないですよ、誰にも。

賢作
それ、俺、似てる。うん。
もっと、ぜんぜん話が小さいけど。

るか
いや、もう小っちゃいんだか大っきいんだか、
よくわからないですよ(笑)。

昔っから何でも勝手に作られてましたね。
うちね、トイレも普通の
小っちゃいトイレだったんですけど、
お父さんがトイレ長く入って、
その間に考え事するっていうのが、
なんか習慣だったらしく、
トイレにもちゃんとね、
書斎のように机が壁に沿ってできてた。

あんだ
トイレか書斎かどっちなんですか、それは!(笑)

るか
で、電話がなぜかそこに付けてあって(笑)。

そこまでやるんだ!

るか
で、最初はお父さんが、
そこをちょっと書斎代わりにして、
電話も使えるっていうことにしたんですけど、
わたしたちが大っきくなって、
隠れてしたい電話をそこでするようになったのね。
そしたら、すっごい怒り始めて(笑)。

電話は取られちゃったの?

るか
ちゃんと取りつけちゃってるから、
外れないようになっていて、
もう引っ越したけど、
引っ越すまではありましたよ。
なんでも作っちゃうんですよねえ。

すごいなあ。
で、今は、もうお一人で
ずっと山梨にいらっしゃるんですか?

るか
うん、ひたすらいろんなものを作り続けてます。
ほぼ日 お母さんは、普通に接してるんですか?

るか
お母さんは、ま、それもまた普通じゃないんで、
あんまり聞かないで下さい(笑)。
お父さんもお母さんも極端な人たちなんで。

さとみ
結婚しようってなったときの話、
知りたいですね。

るか
高校生の時からつき合ってて、お家が近所で、
っていう話しか聞いたことがないんですけど、
も、それはね、あんまりね、
聞いちゃいけないっていうか、
聞きたくないっていうか(笑)。
 
<あさってに、つづきます!>   

★読者メール紹介!★
私の父は、ものすごくきっちりした人です。
大学ノートに、
1.朝5時起床 から2.夜23時就寝まで
すべて自分の行動を書き込んで、
寝る前に全部チェックして寝ています。
その名も「計画帳」
それが20年分、100冊以上あるんです。
小さい頃、私もやらされそうになりましたが、
そんな面倒くさいことできるか!狂ってる!と、
必死で抵抗していたものです。
時は流れ、私も社会人になりました。
母に似て自分はおおざっぱな性格だと
思っていたのに、
今では全てのことをメモに取り、
きっちりノートに整理している
几帳面な私がいます。
母が、
「あんたの字、お父さんの
 ちっこーい字にそっくりよ」

とため息をつきます。
父は、
「ほらな、やっぱ書いてるうちに
 頭がすっきりするから
 いいんだよ」と地味に嬉しそうです。
娘って、やっぱり父に似てくるのかも
しれないですねえ・・・・・・
(豆ヒヨコ)

おそるべし「計画帳」!
その計画どおり行かなかったときは
どうされていたんでしょうか、
豆ヒヨコさんのお父さん!
ある意味、もうそれは「未来日記」ですね。
わたしも、地方出身なので、
「東京で行きたいところ帳」は
持っていますが、確かにそれは
すぐに課題を出したがる父譲りのような
気がします。気をつけようっと。
(さとみ)


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私は小・中・高と毎年県の書道展ではいつも
金賞とか銀賞とか特別賞とかを必ずもらっていました。
でも書道塾に通っていたわけではありません。
実は父が書き初めにすごい執念を燃やしている人で、
毎年必ず書き初めの稽古を受けていました。
「書き初めは必ず
 三日にかくもんだ」

といわれ、8畳の和室に父と二人きり、
上手く書けるまで何時間でもこもらされました。
普段はちびまるこちゃんの父ヒロシのような父でしたが、
コトが書き初めとなるとその性格は豹変し、
毎年正月は泣きながら書き初めを書く私でした。
足がしびれ、感覚はなくなり、嗚咽すさまじく、
でも半紙をよごさないよう目を見開いて
涙がこぼれぬように書いていると、
突然「よしッ!!」という父の声が。
ただでさえ豹変した父にビビリまくっていた私は、
全身で『ビクッ!!』。
でもよく泣いた年の書き初めほど金賞とってました
(たかりん)

おお!「課題好きパパ」続々登場ですね!
でも、たかりんさん、お父さんの期待通り、
授賞をされて素晴らしいですよね。
darlingが前にぽろっと、
「子どもよりは、ぜったいに自分のほうが
どうやったら失敗して
どうやったらうまくいくか
色々知ってるわけだから、
ついたくさん教えたくなっちゃうんだよねえ。
それを俺はできるだけガマンしてきたけど」
と言っておられました。
子どもに対するそれぞれの父の想いは、
やっぱり簡単には計れないなあと思う昨今です。
(さとみ)
★★★★★★


第5回 お父さんからの手紙。


さとみ
うちで繰り返し、よく言われたのが、
「さとみの心の中には、
 まだかたちがガタガタの石があって、
 転がすと音がする。
 でも、それをどんどんどんどん転がしていって、
 真ん丸にしなさい。
 そうして転がしても
 音のしない石をつくりなさい

みたいな、わかるような、
わからんような話をされて。

要は、自分の中身を磨いて、
ちゃんとした人になりなさい、
っていう意味なんでしょうけど。
なんかそんな話をずっとされてた憶えがあります。
何かあるたびに、そういう手紙をくれてましたね。
ほぼ日 手紙?

さとみ
うん。
たとえば、小学校に入学とか中学卒業とか、
そういう何かの節目には必ず手紙があった。
誕生日とかはもちろん。

るか
一緒に住んでるときも?
部屋の前に置いてあったりするの?

さとみ
いや、これ、ハイ、って手渡しで。
「さとみさんへ」とか
達筆な字で書いてあって(笑)。
普段は呼び捨てなのに。
あんまり内容は憶えてないんですけど、
「これから頑張って」とか。
「パパは今これが仕事で、ママはこれが仕事で、
 さとみは勉強することが仕事ですね」とか、
そういう教えが書かれてたり(笑)。

あんだちゃんは、
お父さんに手紙とかもらったことありますか?

あんだ
あ、なんか、
小さいころは手作り絵本みたいなので、
「トイレのしかたの本」とか、そういうのを。
みんな わあー。いいなあ。

あんだ
手紙と言えば、ひとつだけ、
すっごい思い出深いことがあって‥‥。
わたしが高校生のとき、
学校の帰りにカラオケに行ったんですよ。
そしたら、それが先生にバレちゃって。
寄り道はいけないって言われてるのに、
カラオケなんて軟派なところに行って
先生にすっごい怒られた。
部活のみんなで行ったんですけど、
「部活、もう活動禁止!」みたいになって。
「なんでですか!?」
「先生のバカヤロー!」みたいな感じになっちゃって。
で、すっごい参ってたんです。
「親も呼び出しね!」とか言われてて。
あー、もーやだー、とか思って、
辛くなってたときに、父が、
「いや、俺も行くから。先生のとこ行くよ」って。
で、手紙をくれたんです。
ほぼ日 ほうほう。何て書いてあったの?

あんだ

‥‥なんか、
「そういう辛いことがあるけど、
 それを、いま乗り越えれば、少しずつ大人になって、
 いい人になれるよ。
 楽しいばっかりのドラマは、
 観ててもつまらないだろう?

みたいな、そういうかんじでした。
ほんと、でも、そうだなあって。

みんな へええ。

さとみ
泣いた?

あんだ
うん‥‥チキショーって‥‥。

賢作
アハハ‥‥いいね。青春してるな。
ほぼ日 感動するなー。チクショー。

あんだ
1本取られた。

賢作
そういうときってさ、
いちばん最後に「お父さんより」とか
書いてあるの?
「重里」とか書いてあるの?

あんだ
フルネームで。

賢作
「糸井重里」。あー、そうなんだなー。

あんだ
「父より 糸井重里」とか、そういう感じかな。
みんな へー。


賢作さんご自身も、家族に手紙を書くときは
やっぱりフルネームですか。

賢作
あのね、旅が多いんですよ、僕。
で、たまには葉書でも出すか、って思うんだけど、
これがさ、また、誰に出すかが問題で。
家族3人連名にしちゃってもいいんだけど、
そうするとよけいに書けなくなっちゃってね。
自分のことだけ書いて出せばいいのかも知れないけど、
なんかね、それぞれに出して、何か言いたいんだよね。

さとみ
へえ、それぞれに!
奥様、息子さん、娘さんって。

賢作
そうそう。

るか
どう違うんですか?

賢作
やっぱ、男の子には
「サッカー頑張ってますか?」みたいにね。
で、なんだか男の子には「お父さんより」とか
書けるんだけど、
娘に「お父さんより」って、
あれっ? っていう感覚なんだよね。
でも、「谷川賢作」って、
フルネームも変だな、って。
英さんは、手紙とかもらったことありますか?


ありますね。
僕は高校中退して、
1年ぐらい禅寺に修業に出されたり、
インドへ連れて行かれたりして。
その後、アメリカに留学したから、
手紙はちょくちょく書いてくれた。
でも僕、何にも憶えてないんですよ、内容。


さとみ
絵とかは、描いてあったんですか?

絵は、描いてくれなかったかな?
父の絵入りの手紙の話ではないんだけど、
僕、留学していたときに、
画家の谷内六郎さんの娘さんと一緒になって。
で、六郎さんから4コママンガ入りの
お手紙を頂いたのが、
僕はすごい印象に残っているかな(笑)。
うちの父からは、けっこうやっぱり説教だったかなぁ。
きっと今から思うと、愛情のこもった?
もしかすると絵入りだったかもしれないけど。


さとみ
でも、ご心配なさってたんですね。

きっと心配のしかたが、母親とはぜんぜん違って。
母親のほうは、
行動を伴った心配のしかただから、
そっちのほうは憶えてるんです。
たとえば、電話かけてきたりとか、
極端な話、アメリカに来ちゃったりとか。
父はそういうこと、しないから。
ほぼ日 陰から見守っているタイプだったんですね。

だから手紙が多かったんでしょうね。
もう残念なことに、内容は憶えてないっていう(笑)。
あ、でも、父がアメリカに来たことはあったなあ。
そのときは、「心配で来た」ということをあらわすよりも、
展覧会へ一緒に行ったり、いろいろな人に
会わせてくれましたね。


あんだ
お父さんからの手紙は、何通ぐらい来ました?


向こうにいる間、けっこう来ましたね。
んー、父もけっこう手紙を書くのが好きなんで。
それで僕も返事を書いて。
なんか、「息子からのポストカード」とかいって、
僕が送ったポストカードを、
絵の題材にしてくれたり

みんな へー! 素敵‥‥!

そんな(笑)。
父は息子自慢のような気持ちではないんですよ。
それがどうしたの? ぐらいにしか
僕は思っていなかったんだけどね。
きっとあれなんでしょうね、
父親はあんまり感情を出して、
僕に接してたっていうことはあんまりなかったかな?
どっちかっていうと、
環境づくりをしてくれたかな。


さとみ
いっつも必ず言われることって、ありました?

具体的には憶えてないんですけど、
ま、躾けに関しては、ほんっとに細かすぎるぐらい、
きびしかったかな。
っていうわりには僕、
ぜんぜん躾けのよい大人にはなっていないんだけどね。
たとえば父と打ち合わせに行ってても
一言なんか言ったことで、言い方が違うとか。
それこそ箸ひとつ落としたときの
取り方じゃないけど、そういうことを細かく。
母親よりも言われた。

考えてみると、もう僕が40代で父が60代なのに、
いまだに小さい子どもと親の
ケンカみたいに

親のひと言ひと言に
ムカツいたり反抗したりする親子関係を
友達からは「羨ましいじゃん」って
言われちゃったこともあるけど。


さとみ
なんか、いいですね。

うん、小学生レベルの会話が
まだできてるっていうのは、
極端な話、ま、いいかな?って。
もう大切に大切に、「あ、大丈夫?」なんて
こっちが必要以上に
いたわらなければいけない父でなくて
あー良かったなーなんてね。


ほぼ日 すごい関わってる親子ですよね。
あきらめてないですよね、親を(笑)。

人から見ると、すごい仲良しじゃん、
って言われるんですけど、
たぶんそうなんでしょうね。
いろいろお話しましたけど、
結果的には仲がいいのかな。
ひとつひとつを具体的に言うと照れ臭いけども、
あぁ好きだな、って、
最近言えるようになってきたかな。
こういう場に参加させていただけて、
ちょうど良かったのかも知れない。

みんな わああ(感動)
 
<あさってに、つづきます!>   

★読者メール紹介!★
皆さんのお父さんの話に釣られてウチの父の話も。
私の父はグルメ父です。
学生のころから銀座を根城にしていたらしく
美味しいものが大好きでそれで体を壊して、
脳出血で入院して、それでも看護婦さんと
飲みに行くような人です。
その父の一番の自慢は、銀座のお姉さんと
飲んでいてラーメンの話になり、
そのまま飛行機で博多までラーメン&屋台を
食べに行ったことです。
ちなみに二番目の自慢は、
私が2歳くらいのときに浜松まで新幹線で
鰻を食べに連れて行ったことのようです。
母に言わせると
「盗み食いをする背中の角度までそっくり」な
私たち父娘は、とっても仲良しなんですが
食べ物の好みが似すぎで
食事のたびにバトルになってます。
(順子)

わあ!グルメお父さん、せこせこしてなくて
男気があってカッコいいですね。
順子さんも、ドロドロ血にならないよう
身体だけはお大事に!
グルメなところが似ているのって
なんだか豊かな気分がして羨ましいのですが、
私は父に似たくないところが
似てしまって悲しいです。
何でも正面から受け止めてしまって、
心に遊びがないところとか、
短気なところとか・・・。
これから、似てよかったところを探す
旅に出ようと思います。
(さとみ)


------------------------------------------

私はほんとうにお父さん似です。
顔やひょろりとした風貌や片付けの
できないだらだらしたところとか、
本の虫のところとか。
あまり多く話をしたりせず、
二人とも別々の本を読みながら
だまーっていることもしばしば。
どちらもぐうたらなため、
2人ともよく母に叱られます。
そしてしょんぼりした片方に、
もう一方が「行く?」と声をかけ、
向かうところは本屋さん。
車のなかでは母の悪口炸裂です。
「もっとな〜おおらかに生きなあかんよな〜
 あの人も」
なんて弱虫な2人組。のんきな2人。
(こんぽ)

共通の趣味があったりすると、
きっとよりわかりあえるんでしょうねー。
ここまで気のあう親子って素敵です!
うちは共通の趣味じゃないんですけど、
母のほうがぐうたらで、整理整頓が
まったくダメだったので、
「ちゃんとやってくれー!」と
母を攻撃するときだけは、
父と娘、がっちり手を組んでました。

(るか)
★★★★★★


第5回 おまえには、こんな風に生きてほしい。


賢作
小学校3、4年とかに
譜面を誕生日プレゼントにもらったなあ。
ベートーベンが好きで、
ヘッドフォンで朝起きて聴いてたのね、
「田園(ベートーベン交響曲第6番)」とか。

そしたらおやじが起きてきて、
「なに聴いてんの?」「田園」「ふーん」
とか言ってたんだけど、誕生日になったら、
その「田園」のスコアをくれた。
ほんとに自分の好きなことを早く見つけて、
そっちのほうに気持ち良く行ってほしいっていう。
ほぼ日 谷川俊太郎さんの「さようなら」(註)の詩、
そのまんまですよね。
自分の好きなことを見つけて生きなさい、って。
「さようなら」
1988年に出版された詩集『はだか』(筑摩書房)に収められている詩。同詩に、賢作さんが曲をつけた歌がCD『そらをとぶ』(DiVa/コロムビア)で聴くことができますよ。

賢作
あー、そうそう。
そういうことですね。
みんな へええ。
ほぼ日 「さようなら」の詩が、じつは息子宛だったり、


「MOTHER」も、じつはあんだちゃんを思って
作った
っていう話があったり。
そういうふうに、自分は全然知らないところで
じつは親からすごい意識されてたとか、
思われてたってことが、あるんですよねえ。
英さんはいかがでしたか?

いろんな人のところに連れて行かれたりとか、
いろいろなものを見に行ったりとか、
そういった積み重ねが、それにあたるのかなぁ。
小学校の頃から家族写真を1年に1回撮っていて
その写真を写真集で出しちゃうとか(笑)。
それは、もしかしたら本人の自己満足といえば
そうかも知れないけど、
僕からしてみれば、
家族の写真集を出すことが
家族への愛情表現なのかな、と思ってましたね。

有名人一家の写真でもないのに、
本に出しちゃって、みんなに家族を紹介してくれてる、
そういった父の仕事で、
なんとなく感じてたかな。


直接自分に対して何かしてくれた
ってことじゃなくて。
父が作っているもの、活動するものを見て、
母を含め家族がそれぞれ、感じてることが、
なんか家族愛じゃないけど、
父からのメッセージ
なってんじゃないかな、
っていうのを、最近なんとなく思います。
今でも仕事を通して、父の良さだったりとか、
あ、理解してくれてんだな、ってことがわかる。



さとみ
オレの背中を見て育てっていうことを
意識されてるわけじゃないんだろうけど、
息子にそう思わせるってすごいし、
そうくみとれる英さんも素敵ですね。

いえいえ(笑)。
そういうのが、
最近一緒に仕事をするようになって
わかるようになってきましたね。
さっきの子どものときだと、
接点がないまま、
離れたところからの話だったので、
具体性がなかったんですが。

いつもいないし、どっちかっていうと、
喋りかけてくれないほうがいい、
っていうのが子どものころはあったけど、
自分が大人になってからは、
エピソードが自然に出てきますね。
40過ぎてだけども(笑)。
最近ほんとになーんか
父親、好きだなって思う。



るか
基本的にはね、お父さんはわたしに、
自分とおんなじようなことをして欲しいと
思ってた気がする。

だからちょっと私自身、
男らしくなったところがあるのかな?
車の運転とかもそうだったし。

さとみ
わたしも、ある程度までは、
お父さんがこうしたら喜ぶだろうな
っていうことになんとなく合わせて
大っきくなってきた気がするんですけど、
けっきょく自分の進んでいる道を考えると、
自分がこうしたいと思って決めた道と、
親がこうして欲しいと思ってた道が
同じな感じがする。

るか
わたしの場合、同じじゃないんだけど、
なんかたくましく生きるっていうことに関しては、
親の思いどおりになったのかな?(笑)

たとえば、うちのお父さん、
チェーンソーとか、
なんでもそういうの、やらせたがるんですよ。

だからそれが、毎日の暮らしに、
私自身は役に立っているわけじゃないんだけども、
あ、そういうこともできたら、
いつか役に立つかも知れないなって
思ってやってる(笑)。
だけど、そういうたくましさを育てる反面、
自分が思ってるいい女像みたいなのがあって、
そうなって欲しいっていうのも、
どっかですごい感じるんですよ。
だから「いいんだぞ、細いままで」とか
言われます。
こういうの着たらいいんじゃないか?とか。

さとみ
服のブランドは言うね、確かに。
「あの道の角に店があるけど、
 ああいう服を着るような女性がいいよ」
とか。
見に行ったら、マックス・マーラだったりして、
高くて買えない、みたいな。

賢作
あ、買ってくれるわけじゃないんだ。

さとみ
買ってくれるわけじゃない。
ああいうのがいいぞ、って教えるだけ(笑)。

あんだ
服は、親がいいと思って
選んでくれたものとかがあって。
小学生のときに、コム・デ・ギャルソンの、
コートを買ってくれたんですよ。
ほぼ日 コ、コム・デ・ギャルソン‥‥!

あんだ
子供用じゃないし、すっごい重いし、
学校に着てってみたんですけど、分厚すぎて
ランドセルがしょえなくて
穴をいちばん大きいとこにして。
肩の縫い目とかがすっごい下にきちゃって。

で、「フーン」って、
ちょっと嬉しい感じで行ったら、
「何それっ!?」ってみんなに言われて。
「学校の規定のコートじゃないと、ダメなんだよ」
とか言われて。
「パパが買ってくれたのに」って言ったら、
「えー、でもさー、着ないほうがいいよ、 
 先生に怒られちゃうよ」
とかって言われて。
泣く泣く1回でやめました。
で、普段も着れなくて。
2、3年前ぐらいから
やっと着れるようになった。


さとみ
え、何年越し?

あんだ
8年越しぐらいかな?
試着とかもせずに、普通になんか、
「あ、これ」って買ってくれた。

るか
「これ、あんだに買おう!」みたいな、
そういう感じ(笑)。

あんだ
で、やっと着れるようになって、
「あ!これ、あれだろう?」って。
「あの、小学生のとき買ったやつ」みたいな。

るか
ちゃんと憶えてるんだね。


ねえ。

あんだ
でも、今でも、やっぱりちょっと大っきいかな?
だけど、気に入ってます。

さとみ
あんだちゃんは、
お父さんのセンスがいいからいいよね。
うちのお父さんとか、なんか突然、
ウエスタン・ブーツみたいなのを履いたりする
独自のファッションの人で(笑)。
で、わたしにもなんかそういう、
どうも独自な服を買ってきて。
でも、あんまり好きじゃないから、
「えー、着たくなーい」ってイヤな顔を
ついしちゃうと、すごい怒りだすんです。
「もうそんなにイヤだったら、
 親戚の○○ちゃんにあげる」っていって、
ポイッて、部屋の隅に投げたりして。
スネるんですよねー。

るか
意外とうるさいよね!
だってね、わたし1回、合宿所までね、
お父さんがチェックしに来たことがあって。

えええーっ!

るか
うち、小学校からずっと制服だったんですよ。
で、中学も高校もぜんぶ制服だったから、
私服で外を歩くってことがあんまりなくて、
服をあんまり持ってなかったのね。
で、中学校2年生ぐらいの合宿のとき、
みんな私服で行かなくちゃいけなくて、
合宿所が山梨の別荘の近くにあったんですけど、
みんなで夜キャンプファイヤーをやってるところを、
静かに覗きに来たらしくて、
「みんながこういう可愛いのを着てたのに、
 なんでお前だけジャージを着てたんだ?」
って。
帰ってきてから言うの。
その場で声かけないで。
ひどくない?

さとみ
わざわざ行ったんだから、
そこは声かけてほしいね!

るか
なんじゃ、そりゃあ!? って。
行く前にリュックとかそういう小物系は、
お父さんが好きなアウトドアのブランドで
ぜんぶ買い揃えてくれたんだけど、
洋服まではさすがにわかんなくて
買ってくれなかったのね。
だけど、やっぱりトータル・コーディネートしてて
欲しかったみたい(笑)。

「お前だけ、なんでジャージで。変だった」
ってずっと言ってた。

賢作
なんか気持ちわかる。「チッ」て感じ。
いちばん可愛いのがうちの娘だ、っていう。

るか
あー、そういうことかぁ!

賢作
そうだよ、それは。
残念っ!て感じなんだよ、それは。
なんだよ、みたいな。

さとみ
キラキラしててほしいんだよね。

賢作
いいなっ、父親の心(笑)。

あんだ
でも、男の人はファッションについて、
お父さんからアドバイス受けたりするんですか?

賢作
アドバイス?

あんだ
一緒に買い物行ったりとかは、
なさそうですよね。

賢作
ないなー、服はなー。


るか
小汚い、って怒られたりしなかったですか?

だいたいぼくは、父のヒッピーファッションが
小汚いと思っていたから(笑)。
お願い! って。
もう破けてるのはイヤだ、とか言って。

もう最近はね、ぜんぜん言わなくなったけど。
男だと、やっぱり母親と妹に
言いたくなるっていうのありますね。
やっぱり母には綺麗にしてもらいたいとか。
自分の好みの服を着てもらいたいなとか。
妹にもそう思いますね。


賢作
いや、横尾さんほどじゃないけど、
ウチのおやじも
なんか変わった格好してんのが好きで。
みんなに言ってたけど、
「俺は最初に
 ジーンズを履いた詩人なんだよ」

って。
「詩人」かよっ!みたいな。(笑)。
確かに、詩人の中だったら
初めてかもしれないけど、って。

さとみ
ちょっと狭い(笑)。


 
<月曜日に、つづきます!>   

★読者メール紹介!★
今までに、たった一度だけ、父に
人生の指南を受けたことがあります。
大学受験に失敗したとき、
「うちはお金が無いから浪人はさせられないよ」
という母の言葉を真に受けたわたしは、
「働く!」
と意地を張っていました。
そこで、父がこう言ったのです。
「父さんはね、学歴が大事だとは思わない。
 でもね、大学で過ごす時間は、
 人生の中で、あってもいいと思うんだ。
 行けるチャンスがあるんだったら、
 行っておいたほうがいいよ」。
今まで勉強しろとも、何をしろとも
言われたことがなかっただけに、
はじめて、父の言葉がずしんときました。
そして、わたしは素直に
「浪人する」と言うことができました。

一番大事な時に出てきて、
ばしんと決めてくれた。
父さんて、そういうものなのね。
と、父を見る目が変わった出来事でした。
(陽子)

ああ〜!!
お父さんって、
ガミガミ雷お父さんもいれば、
この方のように、
いつもはあまり口うるさく言わないけど、
大事な時に、「ビシッ」と導いてくれたり、
怒ってくれたりっていうお父さんがいると思います。
いつもあまりうるさく言わないからこそ、
「ドシン」と重く、心に響くんですよね。
うちの父もそういう父なので、
すごくわかりますっ!
お父さんって、
近いけど、遠い存在というか、
やわらかく一目置く存在のような気が、
わたしはします。
この方も、見る目が変わって、
そんな感じになったのではないでしょうか!?

それにしても、
色んな人のお父さんの話が聞けて、
おもしろいな〜〜。勉強になりますね!*

(あんだ)

------------------------------------------

私は今、32歳なのですが、昨年結婚しまして、
妻が妊娠中です。
私も父になるのか、お父さんになるのか、
と思ってしまうと、何とも不安とやる気と、
ないまぜになって、このコラムを読んでいます。
私の父は、昔気質で、言ってみれば「明治の父」の
ようなイメージです。
家で一言もしゃべらないこともたびたびありますし、
仕事がたいへんでいつも朝早くに出ていき、
かえってきてすぐに寝てしまいます。
お酒もタバコも大好きで、
気に入らない料理には手をつけず、黙って寝てしまいます。
たまに母と喧嘩するときなどは
とてもいやーな気分になったものです。
そんな私は、というと、疲れて帰ると
「使い物にならない」と妻に言われ(笑)
今は、別居婚なのでほとんど自炊をし、
お酒も弱く、タバコは嫌い。
好き嫌いなく何でも食べます。
自分でも父と比べてとてもよわよわさんだなぁと思います。
こう書いていて、でも、私は父にそっくりで、
外見も短気なところも、
精神的に弱いところも、なにやら一杯受け継いでいて、
「ああ、何があっても決して縁の切れない人が
 ここにいるのだなぁ」と思いまして、
更に私のこどもとも、
「決して縁の切れない家族」としての
関係が生まれることに、とても嬉しく
ちょっぴり不安を持っていたりします。
(晃治)

そうですよね。いつまでも、自分が父や母のこと
笑っていられない時期がやってくるんですよね。
わたしも、「自分がまだ子どもなのに
子どもを育てることなんてできるわけないわ〜」
と自分が親になった時のことを想像して
嘆いていたら、(ねんのためまだ独身ですが)
「子どもが全部教えてくれるんよ」と
母に言われたことがありました。
なんだか、親ってそういうものらしいですよ〜!
晃治パパ、がんばって!

(さとみ)
★★★★★★


第7回 娘の告白。

ほぼ日 皆さんのお父さんは、
今現在、何を考えているでしょうね?

(darlingがたまたま近くを通る)

あ、今何を考えてるんだろう、
あのお父さんは。

あんだ
ビクビク(笑)。

賢作
じゃあ、あんださん、爆弾発言、どうぞ。
問題発言とか(笑)。

あんだ
出したいんですけどねー(笑)。
ほぼ日 お父さんは、知られてないって 思ってるけど、
じつは知ってるというようなこと、ありますか?

あんだ
お父さんは気づいてないけど、
すっごい心に残っている、
ちょっと傷みたいな‥‥。

さとみ
あっ、あるんだ。

あんだ
うん。
あるときに、2人でおばあちゃんちに車で行ってて。
で、ふつうに車の中で遊んだりとかして。

るか
幾つくらいのときに?

あんだ
小3でした。
それで、「あのさー」とか言われて。
「なーに?」って言ったら、
「サンタさんって、
 いつから信じなくなった?」

って言われて。
でもわたし、まだ現役で信じてたんです。
「えっ?」
「いや、いつぐらいから気づいたの?」
みたいなこと言われたので、咄嗟に、
「いやっ‥‥き、去年くらいかなぁ‥‥」
みんな わーーー! やっちゃった! お父さん!

あんだ

それで、
「ずっと半信半疑っていうか、
 いるのかな? いないのかな?
 って感じだったんだけど、
 ま、去年ぐらいに気づいた‥‥かな?」
って言ったら、
「そっか、そっかー。お前も親になったら、
 ちゃんとしてあげなさいねー」って(笑)。

みんな あんだちゃん、優しい子だーーー。

さとみ
けっこう長く信じてたんだね。

あんだ
そうですね。
やっぱ、いるって信じたいっ、って思ってて。

賢作
いや、今いい話うかがいました。
ちょっと気をつけよう(笑)。

るか
ははぁ、いい話だ。
ほぼ日 去年ぐらいからって(笑)。
これ知ったら、お父さん、
ショック受けそう‥‥。

賢作
その、あんだちゃんのレスポンスいいね。
咄嗟の(笑)。
ほぼ日 でも、父は、そのレスポンスに
「ハッ!」とかなってないんだ。
ふつうに、ふーん、って?

あんだ
「あそっか、そっかー。最近だね」って。

賢作
いいなぁ(笑)。


横尾さんはどうでしょうね。
今、どんなことを考えてらっしゃるんだろう。

うちですか。
先週、家族会議をしたんです。
突然父が言いだしたんだけど、
「したい仕事だけをする」
ま、うちは営業するわけじゃないんですけど、
いただいた仕事をずっとこなしている状況で。
それは、もちろんすごく幸せなことなんですけど。

去年の12月に父が病気をして
入院をしてしまったんですけど、
そのときから、
ホームページで掲載している文章の中に
もう延々ずっと、
「今後は仕事の量を減らしてやりたい仕事だけをする」
って書いてるんです。
仕事がない今のご時世、
こんなこと書いていいのかなーって思ったんです。
でも、相当身体が弱ってたというか、
仕事もほんとに大変だったみたいで、
そう決めたんだと思います。

で、父は何を考えてるかっていうと、
「あ、これしたいな」っていうことを
かたちにしていきたいというふうに
考えてるんだと思います。
すいません! 個人的な話で。


賢作
理想的じゃないですか!それ。

うん。ぜひ、そうしてくださいって思ってます。
ちょっと唐突なんですけど、
今の父は、
これからの仕事の配分について
考えているんだと思います。


賢作
いや、オレがそう生きたい。
そう言える自分でありたい、クーッ。
なんで泣いてんだよ、泣くな、オレ(笑)。

本人もたくさん考えてるんでしょうね。
具体的に。じつは。


さとみ
この前、横尾さんとはちょっとニュアンスが
違うかもしれませんけど、糸井さんも
歯医者に行くよりも、
その仕事が大事かどうかっていうのを、
仕事を受けるかどうかの基準にする
っていう話を、
「ほぼ日」に書いてらっしゃいましたね。

どんどん来る仕事をぜんぶ受けてると、
やっぱりすごく、大変だし。
本当にやるべき仕事の
精度を上げることにもなるんでしょうね。

それがきっかけになって、
プラスに、良い方向に、きっと行くんでしょうね。
転換をする時期なんだと思います。


賢作
うちの父も、ちょっと言い方は違ってたけど、
やっぱり同じだと思う。
あの人、すごいマメで、
人よりかチャキチャキ自分が率先して
動くタイプなんですよ。
とにかく日常の瑣末な用事があって、
手紙書いたり税金の計算やったり本整理したり、
そういうことガーッと貯まっちゃうと、
「あ、詩でも書いてみようかな、詩書きたいな」
って気持ちになるって(笑)。
なにスカしてんだ、このやろう!
って感じなんだけど(笑)。

るか
かっこいい!

賢作
でももうそこまで行っちゃってるんだな、って。
もうやっぱり好きなことが一番だな、
っていう高みに達してしまったんだな。
もう2人とも引退してもらいましょう。
糸井さんには、
もうちょっと働いていただきましょう(笑)。


でも、自分のお父さんが今何を考えてるんだろうって
難しい質問だよなあ。
正直言って、改めて考えると、
わからないかもしれない。

 
<あさってに、つづきます!>   

★読者メール紹介!★
うちの父は普段娘(私)に接することは少ないです。
「僕の背中をみていれば、そのくらいわかるだろ?」
といったスタンスをとっています。
私にとっては、素っ気なく、物足りないのですが、
忘れられないエピソードがあります。

まだ小学校に通い始めた頃、
野菜ジュースが飲めない私を
父はハイキングに誘いました。
自分の足で2時間歩き、山頂に着いて
「う〜ん、のどが渇いた」といって、
父がリュックから出したのは野菜ジュース。
私はのどの渇きに耐えきれず、涙ながらに飲み干しました。
その時には「罠にはまった」と思いましたが
今となっては「お父さんってお茶目だなぁ」と
笑える話になりました。
(光)

お父さんってお母さんみたいに
あーだこーだと口うるさく言わずに、
ときどき、すごく大事なことを教えてくれる存在。
そんなふうにわたしの中では思っています。
だからこのエピソードって
すごくよくわかる!って思いました。
知らないうちに、
「なんでもやればできる!」みたいな
勇気を与えてくれたりするんですよねえ。
(るか)
------------------------------------------

私の父は非子煩悩な人で、
どうやったら子供が喜ぶとか
どっかに連れて行ってあげよう!とか
気が利くタイプではなく、
なにかを買ってくれるわけでもなく、
誕生日やクリスマスにお祝いしよう!
ってタイプでもなく、
家族から嫌われるわけでもなく、
頼りにされるわけでもなく
かといって、居場所がないわけでもなく。。。
って人です。

そんな父ですが、
何も言わなくても父なりの一定の家族に対する
愛情はなんとなく感じて育ってきました。
私が結婚するとき、幼なじみのお父さん(子煩悩)が
「父親参観日の時、シゲちゃん(わが父)は
 いっつも一番真中の前に他のお父さんを
 押しのけ押しのけ、一番まきちゃん(私)が
 良くみえるところに行ってた。
 俺は真似できやんかったな〜
 (はずかしいからというニュアンス)」
と教えてくれました。
そういえば、毎年毎年絶対に来てくれてたな。
不器用な父は、そういうわかりやすい
父親イベントが好きだったのかもしれないと思いました。

今年4月末で無事定年退職を迎え、
姉が第二子出産の為、初孫の子守り役をしています。
「わたしらにはそんなことしてもらわんかった!」と
姉と私で言いまくっています。
(真紀)

そうそう、父は娘には照れて不器用なものですね。
でも、あまりにもかゆいところに手が届くような
パパだったら、ちょっとこわいかも・・・。
(羨ましい気もしますけど)
お父さんは、
少し物足りないくらいでいてくれるほうが
ほっとしますよね!

(さとみ)
★★★★★★


第8回 「ほぼにちわ、とーちゃんです」

ほぼ日 雑誌も何も持たないで、お父さんと一緒に
2時間電車に乗るとしたら、
どんな話をすると思いますか?

賢作
うちは映画の話だな。まず間違いなく。
映画の話はけっこうとめどなくできるしね。
最近、何観た? って話になると。
で、圧倒的に観てる本数はヤツのほうが多いから、
悔しいんだよね。オレがたまに先に観ると、
とうとうと語っちゃうなあ。

あんだ
映画の話はいっぱいできそう。

賢作
うん。
でもやっぱり共通経験がないと語れないから、
誰とでも語れるかっていうと違うよね。
『タイタニック』なんてさ、
ヤツはけっこうボロクソに言ってたんだけど、
オレけっこう好きなんですよ。
良かった良かったって俺が言いまくってたら、
おまえ、どこがだよ!? って言われる(笑)。
ほぼ日 それを理路整然と言い返すんですか?
お父さんが。

賢作
言い返しますね。
なんで男がこんなになって、
最後沈んでくんだ、って。
オレは、いいじゃないか、
映画なんだからって(笑)。
意見が合ったのが「おばあちゃんの存在」かな。
おばあちゃんがさ、
最初にコロッと宝石を落とすじゃない?
海の中に。
あー、あそこだけは良かった、って
意見が合ったんだよね。

さとみ
その話をしている親子の図が、
目に浮かんできますね。

映画を通して、
そこの価値観を共有してるような。



賢作
そうだね、いつも激論になりますね。
みんな へー!

賢作
でも、人生とか愛についてなんて、
絶対に語らないけど。

るか
なんでですか?

賢作
こっ恥ずかしくて(笑)。
でも、映画のフィルターを通せば、
何でも語れちゃうんだよ。
うん、便利だね、映画。

さとみ
じつはそれを語ってるんですか。

賢作
うん、そういう部分もあるね。



あんだ
英さんはどうですか?
電車の中で、何を話しそうですか。

電車に2時間乗ってたら・・・。
会社を一緒にやってるので、
やっぱり具体的にそういう話になっちゃうかな。
こっちは儲けないとお給料でないし、
父は「お金なんかいい、好きなことやりたい」
っていう。
それでいったいどうするのかって。
母もいることだし、
ほんと、ついそういう話になってしまう。


僕、今、車の免許が
なくなっちゃったんですけど(笑)。

るか
あらあら。

前は、父が仕事で外出するときは
僕が運転手で父と一緒に行ってたんです。
当日、車の中が2人のコミュニケーションが
いちばんよくとれるし、
けっこうその時間が大切だったなあって
思いますね。
もう3年ぐらい前かな?
ほんっとに車中でいろいろ話した。
またそういう時間が持てればいいなって思います。
そのためには
免許取りなおさなきゃいけないんですけど(笑)。


賢作
どんな話をなさってたんですか?車の中で。

家族の話ですね。
僕の個人的な悩みや相談ごととか、
恋愛とか友だちが何とかとか、
そういうのではなく。
父に助言してもらえることが
すごくいっぱいありますね。
そういう時間として、
車の中というのは、すごく大切だった。
そういう時間をまた持ちたいなあ。


ほぼ日 またいい話だ。

ほんとに車は特別な場所でしたね。
母と2人で乗ると、
べつに喋ることはないんですけど、
父とだと、もういっぱい喋ることがある。
家のこととか仕事のこととか。
たぶん車じゃなかったら
話がまとまんなかったこととか、
話さなかったりしたことが
たくさんあったと思う。


車の中での父とのふたりの時間がなかったら、
いろんな話を自分から切りださなかった、
っていうこともあるかもしれない。
事務所で誰かいるから切り出せないとか。
めんどくさいや、とか。
自分のやってることで流されちゃって。
でも運転しているときは、
他にやることがなくって、
話すほうがメインになるから。

さとみ
そっかあ。
わたしも確かにお父さんと
2人だけで話すときって、
けっこういつも真剣な話が多かったですね。
「さとみのアイデンティティはね」とか。

あんだちゃんちはどう?

あんだ
普通にわたしのこととか、
これからどうしていきたいの? とか、
そういうことを話すことが多いですね。
けっこうやっぱり相談相手として
すごい頼ってるというか、尊敬してるから。

やっぱりうまいことも言うし(笑)。

うまいこと?

あんだ
困ってるときとか、
グッとくることを言ってもらえるから。
そういうことを話したりとか、
あと普通に、なんか面白かったことや
それは「オツ」かどうか、みたいなこと。
あのときの、あのテレビ、観た?とか、
そういう世間話も。
特別なことは、たぶん、ない。


るか
特別だと思うよー。
うちのお父さんには、あんまりグッとくることを
言われたりしないもん。
いつもあんだちゃんが相談して、
お父さんが返すみたいな感じ?

あんだ
どっちもありますね。
ちょっとご相談があるんですけどー、
ってメールを打ってみたりとか。
おまえどうするんだい?って、
向こうから振られてきたりとか。
もっぱらメール。
で、じゃあ今度、ゆっくり話そうか、
みたいな。

賢作
書き出しは「ほぼにちわ」?

あんだ
「ほぼにちわ、とーちゃんです」。

るか
やっぱり「ほぼにちわ」なんだ(笑)!

さとみ
「とーちゃん」なんだ、糸井さんて。

賢作
いいね(笑)。


ぜんぜん話違うんですけど、
糸井さんのことで思い出した。
原美術館で父の展覧会があったときに、
ぼくがもらったばっかりの犬を
連れていったんです。
美術館なのに、
よくあんな犬なんか連れていったなって
思うんだけど・・・。

で、父には飼ってることを
言ってなかったんですね。
怒られると思って。
そのとき、糸井さんも来てくださっていて、
父には犬のことを言ってない
って話をぼくがしたら
「あ、いいよ、これオレの犬ってことにして、
 それを英くんにあげたっていうことに
 すればいいから」

って。
えーっ!? そんな人、いない! って思った。
僕の周りにはいないなあって。

どうしよう!? って。
それで、もう犬のことよりも、
そういうふうに判断してくださったことに、
びっくりしちゃって。
父には、そういう
自然なやりとりをしてくださって。


るか
へえ! そんなことが。


何も知らない父が
「あ、糸井くん、かわいいじゃない。
 糸井くんの犬なの?」って、
にこやかに会話が進んで。
で、糸井さんがぼくに犬を渡してくれて
「あ、英くんになついてるよ、
 いいよいいよ、あげるよ」って
おっしゃったんです。


賢作
わあ。

そしたら父がびっくりしちゃって。
ずっとニコニコしてたのが凍りついて。
「えっ!?だって、かわいがってた、
 糸井くんの犬でしょ?」
って(笑)。
しかも、父にいちばん信用がないぼくに
くれるっていうね。
もうびっくりと嬉しさと面白さがもう。


みんな わははは!

それがきっかけで
僕の犬ってことになったんですよ、
おかげさまで。



るか
でも、なんでお父さんに言えないのかが、
すごく不思議だ(笑)。
ほぼ日 今、この座談会で明かしちゃってもいいんですか?

はい、大丈夫ですよ。
その後、言ったんですよ、父に。
もうあまりにも信じてるから。
みんな うんうん。

糸井さんからもらったすぐ後、
絵を描きながらぶつぶつ言ってました。
「動物だって生きてるんだよ?」とかって(笑)。
「めんどう見れるのかな?」とか。

それで、あげくの果てに、
ぼくが売るかも、と思ってるみたいで。
ぼくはすぐお金に困ると、
物を売るっていうふうに思ってるみたいなんです。
犬まで売るんじゃないかって。
そこまで信用されてない(笑)。


さとみ
心配でしょうがないんですね。

ほんとに、すごい心配性。
ごめんなさい、
糸井さんがせっかくして下さったのに、
タネ明かししてしまって。
ほんとうに感謝してます。
そんなふうに思ってくださるなんて。
そんな糸井さんがお父さんなんですよね?

あんだ
はい、うちのとーちゃんです(笑)。
 
<あさってに、つづきます!>   

★読者メール紹介!★
父は自動車教習所に勤務していて、
私は高校三年生の時、そこで免許を取りました。
父親の職場を見るのも、
父親の働いている姿を見るのもはじめてでした。
普段、自宅でごろごろ昼寝をしている父親とは
全然違う姿に、びっくりしたのを覚えています。
自分の父親を「かっこいいな」と思ったのも、
たぶんはじめてだったと思います。
残業をしている父親を待ちながら、
「ああ、お父さんはこうやって
 私たちを大きくしてれたんだ」

と思いました。
あの時から、父親のことが
きちんと見えるようになりました。
(悦子)

お父さんが働いているところって、
ぜったいかっこいいですよね!
わたしもよく工事現場や、
会社あげての餅つき大会などにつれていかれました。
でも、うちの父は、
家でもかっこよくふるまおうとしていたみたいです。
かっこ悪いところを見せてくれてもよかったのになあ、
と今となっては思います。しみじみ。
(さとみ)
------------------------------------------

高校の古文の先生で「ロマン」って
呼ばれてた先生がいるんです。
ある日のこと、ロマンは授業がはじまっても
窓の外を見て、ぜんぜんしゃべらないんです。
なんだろー、と思っていると突然ロマンが
「みんなはお父さんにやさしくしなさい!」
と叫びました。
ロマンは50すぎの独身おやじだったのですが
前日に、友達と飲んだのだそうです。
その友達は、近々娘が結婚することになっていて、
嫁に行く娘を想うにつれ
へべれけになりながら泣いたのだそうです。
うちの高校は女子高だったんですけど、
ロマンは「そんな娘さんの予備軍」である私たちに
言っとかねば!と思ったようです。
「父にとって娘は恋人なのです。
 好きな人ができたり、結婚するときは
 とくにやさしくしなさい」
ロマンの叫びを聞いて、当時は、
「うへー。きもちわりぃ」って思ったんですけど
30歳になった今、確かにそうだよなって思うんです。
(あなぐま)

自分の娘に「やさしくして!」と
直接言えるお父さんは、あんまりいませんよね。
ロマン先生のような人に出会えることで、
ああ、そうなんだ! と気づくことができる。
突然は無理でも、すこしずつすこしずつなら、
やさしくできるかもしれないですね。
明日からでもね!
(ほぼ日)
★★★★★★


第9回 「お父さんは、いつまでもカッコいい!」


賢作
るかさんとこは、電車で2時間一緒だったら、
どんな会話が広がりそう?

るか
うちはね、
すぐ、遊びに来い、遊びに来いって言うのね。
それは、自分が何をしてるかとか、
そういうのを見て欲しいんだと
思うんですよ。きっとね。

だから、今何やってるの?っていう話とか、
最近こういうのが面白いんだよとか
そういう話を、延々とフンフンっていって
聞くんだろうなーって思うんですけど。

ただ、機会があったら
1回これは訊いてみようかな?っていうのが、
妹の彼には、会ったりするし、仲良くするのに、
わたしの彼に関しては、
今まで1回もいい顔をしたことがない。
それはなんでなのか、聞きたい!

さとみ
それは、るかの趣味が悪いとか
そういうことじゃなくて(笑)?

るか
それもあるのかも知れないけど(笑)。
わたしは中学生ぐらいのときから、
「最近みんな29とか30になってから
 結婚するんだから、
 おまえもそれくらいでいいんだよ」

って言われてたの。
で、ま、その頃でいいのか、
って思ってたから、今も独身なんですけど。

その年齢になった今、何て言うのかな?
っていうのを訊いてみたいな(笑)。

賢作
お父さん、伏線を張っちゃったんだねー。

るか
そうですね。
毎年、毎年お誕生日には、
「おめでとう」っていって、
今でも必ず電話かけてくるんですよ。
でも、だんだん「おめでとう」の後の
コメントが変わってきた。

どんな風に?

るか
この間なんて、
「なかなかいい歳になってきたよな」
って言うんだよ。
「大丈夫か? おまえは」みたいなことを
チラッと言ってたんだけど、
それはどういう意味なの? とは聞かなかった。
なかなかつっこんでは聞けない(笑)。

さとみ
あーわかるかも。
あるね、聞けない感じって。

るか
未だに、「まだいいんだよ」って
言いそうな気がする。
で、そう言われるとまた、
あ、まだいいって思ってるんだ
って思わなくちゃいけない、
っていうのがあるから聞けないのかも。

「そろそろ結婚したほうがいいぞ」って、
すんなり言うとはちょっと思えない感じが
あるんだよねー。

さとみ
そうそう。
お父さんはこう思ってるだろう
っていうのが、こっちもわかるんだよね。

賢作
そうだな‥‥。

あんだ
辛いんだろうな、とかね。
いっそ、結婚してから言いたいですね。

るか
ほんとだよ!
結婚してから、「しました」って言いたい。
する前に、色々言いたくないんだよね。

賢作
それが自然なんじゃない?

さとみ
え? そうですか?
ちゃんと言おうよ!


あんだ
さとみさんは電車でお父さんと
どんな話をしそうですか?

さとみ
わたしはこの5、6年ぜんぜん会ってないから、
とりあえず、何してた? って話でしょうね(笑)。
そういう話から始まって、
自分は今こういうのをしてるよ、
っていう自己紹介?
ほぼ日 お父さん、何て言うかな?

さとみ
なんだろう?
たぶん泣いたりすると思いますね。
すごくアツイ男なんですよ、常に。
わたしが東京に転職をするときに、
すごく反対されてて。
将来どうなるかわからないのに、やめなさい!
って、お父さんもお母さんも猛反対。
でも、どうしても転職したい
っていう気持ちが強かったから、
手紙で、なぜ転職したいのかって言う理由を、
10枚ぐらい便箋に書いて(笑)。
5時間くらいかかったような・・・。

るか
長い!

さとみ
親から引き継いでるのかもしれないけど、
手紙がいちばん自分の気持ちを伝えやすい。
お父さんとは、その時も、
離れて住んでたんだけど、手紙を出したら、
次の日にワーッて帰ってきて。
お正月とお盆しか
会ったことなかったんですけど、
急に帰ってきて、バーッ! って走ってきて
「さとみを抱きしめに帰ってきたよ!」って。
なんか抱きしめられて。
「こんな手紙を書けるようになったんやな!」
とか言って泣いてた(笑)。

賢作
泣ける・・・。

さとみ
車の免許を私がとることになったときも、
カセットテープを
渡されたんですよ。

「さとみが車に乗ることを許可したということは、
 さとみが命を落としてもいいと、
 認めたことになる。
 だから、そうならないように、
 これを作ったから聞いておきなさい」って。
ほぼ日 ? BGMか何かですか?

さとみ
お父さんが、自分で車を運転しながら
自分で吹き込んだ「安全運転のルール」でした。
みんな えええっ?

さとみ
「えー、今タクシーの後ろを走っていますが、
 あっ、タクシーが急に止まりましたね。
 タクシーは、お客さんを乗車させるために
 こうやって急に止まるから危ないんです。
 だからタクシーの後ろは走ってはいけません」
「あ! 今、犬が飛び出してきました。
 もし動物をひいてしまったりしたときは、
 ドキドキしたまま運転すると危ないから、
 ゆっくりと左に車を寄せて、落ちつきましょう」
とか、言ってるんです。
みんな わー。なんとまあ・・・。

さとみ
そのときは、もうめんどくさい、
と思って途中で聞くのをやめてしまったんですけど
今は、人にいいたい話になってますね。

そんな激しい人ですから、
今5、6年ぶりに会ったりしたら、
もう電車の中では
人が振り返らずにはいられないような
大変な会話が繰り広げられるんじゃないかなあと
思います(笑)。

賢作
・・・いやあ、今年はいっぱい泣こう、俺も。
泣くことと、娘の気持ちをゲットすること。
それ、ちょっと、
あんまり意識しちゃダメだろうな。
ま、泣くことはいけそうだな。うん。
ほぼ日 お母さんは、普段から接してて
「わかりやすさ」があるんだけど、
お父さんて、わかりにくい存在だと
言われてますよね。
でも、みなさんのお話を聞いて、
わかりにくくなんかないなあって思いました。
むしろ、お父さんのほうが、おもしろそう。
それぞれの家庭にもよると思いますが、
お母さんよりもお父さんとの関係のほうが、
より人間対人間になるのかもしれませんね。

大人になってくると、
離れて見られるようになるし。


賢作
それは明らかだね。

るか
自分は自分で好きなことしてて、
お父さんはお父さんで好きなことをしてて、
あ、それもいいんじゃない? って思えたら、
それでいいかなあって。
わかりにくいっていう風に、思ったことは
あんまりないな。

賢作
うん。ぼくもそうだな。
ほぼ日 わたしは自分が母親なんですけど、
父親をやってみたい(笑)。
なんだか、父親の方が面白いと思いました。

さとみ
難しそうですよー、父親!

ほぼ日 でも、うらやましくなりましたね。

るか
お母さんのほうが、小うるさい感じ。

そうそうそう。

さとみ
子供と接する理由がいっぱいあるもんね、
お母さんって。

賢作
あー、それ、あるかな。

さとみ
お父さんはそういうキッカケがない上に、
カッコよくしていないといけないし。
威厳をもって、みたいな。

るか
あ、そういうのはすごい思ってる気がする。
ほぼ日 「カッコよくあれ」、って?

さとみ
うん。
娘にそんなカッコ悪いところ見せられない
って思ってるんじゃないかなあ。
ほぼ日 母親はもう、どんなところでも、
ウワーッて泣いたりするのも見せますよね。
お父さんって、しないんだ、そういうことを。

るか
結婚式だけはやめて欲しいって言ってたもん。
泣くからって。

娘にとっての
いちばんの男でありたいんですかね。

るか
それ、あるかもしれないです。

賢作
でも、人前で泣いちゃってもいいんじゃないの?

るか
うん、でもやっぱり、
男をがんばっているなあっていうのは、
今見てても、すごく思う。
衰えてはいないよ、
っていうところを見せますね。
ほぼ日 お父さんのことを
こんなにたくさんみなさんと話せて、
お父さんのことを
前より好きになったかも。

うんうん。

さとみ
そう言えば、そうかも。
それに「お父さん」って、
思ったより大変ですね。

賢作
ぼくにとって今回の数々のお話は、
娘との接し方の知恵として、
自分に、じゅうぶん取り入れました。


あんだ
笑いあり、涙ありでしたね。

るか
今お父さんに会っちゃったらグッときそう!

賢作
そうだ、お父さんのミュージカルをつくろう!
横尾さんに衣裳をつくってもらって、
糸井さんに作詞してもらって、
オレが曲を書いて、
うちのおやじが歌うって、どう(笑)?


 
好評をいただきました座談会も、
これで終わりです。
いかがでしたか? 感想をぜひ、
postman@1101.comまでお送りくださいね!
15日(日曜日)の父の日は、
ピノキオグッズの豪華バージョンをご用意して
お待ちしておりますよ。

ぜひ、このページをのぞいてみてくださいね。

★読者メール紹介!★
私は、一人っ子で小さい頃は父にべったりでした。
でも中1の時に母を亡くしてからは思春期を迎えて
どんどん離れてゆき、ずーっと反抗期でした。
母が生きていた頃、子育てをすべて任せていた父は
急にふたりきりになり、
私への接し方にとまどっていたみたいです。
無口だったのに、急におしゃべりに変身して
びっくりしました。
そんな父が嫌いでした。
一人暮らしを始め、全然実家にこない私にしびれをきらし、
「米を持っていく!」とか
「しょうゆを持っていく!」とか用事をつくって
父と新しい母の二人で大きなリュックを担いで
うちにくるようになりました。
「会いたいから」って言えないからって・・・。重いのに!
7月に結婚式するのですが、
最近「これはお父さんがやっておいたから!」
なんて一人で先走っちゃって困らせられています。
それも娘のためを思ってですよね。
当日泣いちゃうかなー、あたしが。
父の日のプレゼント渡しがてら会いにいってきます。
(光子)

「いくつになっても
 かわいくてかわいくてしかたない!」
っていうのがお父さんの気持ちなんでしょうね。
一人娘に対する父の心は、
相当複雑なものだろうなあと思います。
色々あってもあきらめてしまわないで、
ずっと光子さんを
見守り続けてくれているお父さん、
一人娘をお嫁に出すときの気持ちって
どんなのでしょう・・・。
それを考えただけで、わたしまでじんときます。
光子さんも、お父さんからの愛情を
いっぱいひきついで、
素敵な家庭をつくってくださいね。
それがもう、最大のプレゼントですよね。
おめでとうございます!
(さとみ)


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昨日は私の誕生日でした。
夕方に携帯に父から着信がありまして。
「お誕生日おめでとうございます。
 これからも元気で、健康に気をつけて頑張って下さい。
 夏には帰っておいでよ。
 今ね、仕事終わって車で帰り中。
 うん、じゃーね。」
と。正味30秒のミニ会話でした。

何で敬語なの?

照れ屋で、私に電話している姿を
家族に見られたくないので、
実家の固定電話からはめったにかけてきません。

電話もらったの初めてじゃないのに、
たった30秒なのに、沁みて泣けました。
お父さん、健康に気をつけて頑張ります。
夏には帰ります。
(まい)

父親って娘に連絡をしたいくせに、
めったにしてこないんです。
電話をするのは母だけど、
実は電話をさせているのは父だったりして。
その分、本当に伝えたいことだけ、
ぼそっと言われると
気持ちにずっしりしみこんできますよね。
(ほぼ日)

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我が家の10歳の娘も
こんな話のできる娘に成長して欲しいと思います。
今は、パパのことが大好きですけど、
これからもずーっと、大好きでいてくれるように。
ちょっとふくらみはじめた胸もかくさず、
パパと入浴できる娘が、
どんなふうになっていくのか
何だかとっても楽しみになります。

身体がとっても大きくなってしまった息子は
甘え方がへたっぴいだけど
やっぱりパパを大好きで
わざと隣でくっついて昼寝したりしている。

数年後に自分達が愛をもって語られるような
そして話し合えるような
親になっていたいなぁ…と思います。
(美智)

自分の子供は、いくら大きくなったって、
「今現在の年であるそのまま」が
いちばんかわいいんですよね〜。
私はもう30をすぎましたが、
「30をすぎたこの状態を、きっと
 父はかわいいと思ってくれているんだ」
ということを、子供をもって
はじめてわかりました。

(ほぼ日)
★★★★★★


番外

今日6月15日は、父の日です。
みなさんのお父さんは、いま、
近くにいらっしゃいますか? それとも、
遠くにいらっしゃいますか?

読者のみなさんから
「お父さんと、いっしょ」宛に届いた
たくさんの、お父さんへのメッセージ。
「こんなにまで父のことを考えたことは
 いままでありませんでした」(誠一)
といううれしい声も、いただいているんですよ!

子どもの数だけある、「お父さん」の姿。
ここに、みなさんのお父さんを、
ご紹介いたしますね!

元を遠く離れて、嫁いでいます。
実家に電話をかけて父に代わってもらうと
さわやかな青年みたいな声で出てきます。
「お父さん、いい声だね〜」って言うと、
「いや、いやあ〜」って、まんざらでもなさげ。
母いわく、とっておきのよそゆきの声らしい。
父、80歳。
かなわないよなー親には。いつまでも。
(千恵子)

の父は登山が趣味。
幼いころから姉弟3人で日本全国の山に
連れていってもらっていました。

私が中学2年生のとき
夏休みを利用して白馬に行きました。
まだ小学生だった弟2人は、
登りながらも「お腹がすいた」ばかり言っているので、
父はしかたなく、登山道のすぐ横の
ちょっとしたがけっぷちみたいなところで
昼食を食べる準備をしてくれました。
メニューはサンドイッチと紅茶でした。
めいめいにモグモグとおいしく食べました。
そしてそのとき、弟が、がけの端っこに置いてあった
紅茶を取りに行ったのです。
ふと、弟の姿が消えたのです!
一瞬の空白のあと、父が
「ぅわぁっ〜〜〜〜〜!落ちたぁっっっ!」
と見たこともない慌てっぷりで叫び、
下に降りていきました。
見ると、頭からザーザー血を流して
弟が泣いているではないですか。
まだ携帯電話がなかった時代だったので、
父は頂上の公衆電話をめざして一人急行。
残された私はどうしていいのかまったくわからず、
半ベソで、拭いても拭いても真っ赤になるタオルで
弟の頭をおさえていました。

その数十分後、父はヘリコプターに乗って
救急隊と一緒に戻ってきて、
嵐のように弟を運び去って行きました。
困ったのは私ともう一人の弟です。
「二人で頂上まで登っとけ!」と言い捨て、
アイゼンだけを渡され、
夏山と言えど、雪の残る白馬でどうしろっちゅうねん!
アイゼンのつけかた知らんっちゅうねん!
などと四苦八苦。
そこへ、先程のヘリが戻ってきて、
私たちも、弟のいる長野の病院まで
連れていってもらえたのでした。
幸い、弟のケガは大事には至らず、
包帯+ネットのメロン頭で、笑顔を見せてくれました。

ですが、ヘリコプターのチャーター代が
100万円もかかってしまったのです。父は
「ほんとは150万と言われたけど、
 俺は100万に値切ったったわ」
と、何故か自慢げでしたが、
自分の不注意が招いたことだからと、
お小遣いから、毎月ローンで返すと宣言しました。
が・・・。
このあと、ミラクルが起きました。
宝くじで100万円が当たったのです!
無事無借金パパになれた父ですが、
その後家族全員、山に恐怖を抱くようになってしまい、
誰一人「お父さんと、いっしょ。」に
山に登っていません。
いつも父は控えめに誘ってくるのですが・・・。
もう10年も前のことだし、
そろそろ解禁にしてもいいかな、と思っている
今日このごろです。
(雅子)

つだったか、父の高校の同窓会に
いっしょに参加したことがありました。
そこで、父の若い頃の写真を
見せてもらいました。
そこには、バスケのユニフォーム姿の父が
映って
いました。
いつもの父というより
若いひとりの元気そうな青年でした。
たった一枚の写真がとにかく
不思議にじぶんに刺さってきたことを
憶えています。
家ではあんまり見せない笑い声や楽しそうな姿も、
いまでも目にやきついてます。
お父さんがお父さんをしていないときの
お父さん
を知るって体験が
あってよかったなぁと思っている、このごろです。
(のどか)

ちの父は、
大正8年生まれということもあってか、
向田邦子さんの小説にでも出てきそうな、
昔の「父という置物」という感じ。
今の世代の父と子のように、
楽しいコミュニケーションが、母を交えなかったら
ほとんどないといってもいいくらいでした。
とてもとっつきにくく、父に対して
あきらめにも似た感情を
持っていたのを思い出します。

私が小学校1年生のとき、父が転勤になり、
引っ越しをしました。
引っ越し先の家の外で、
同じくらいの年頃の女の子を見つけて、
「うちの子、ひろこちゃんって言うの。
 なかよくしてやってね」
って、その、「とっつきにくい」父が
頼んでいたんです。
今でもそのときの父のようすと女の子の顔を
はっきり覚えています。
父は元気で健在ですが、
なぜかそんなことを思い出すだけで、
涙が出てきてしまいます。
(ひろこ)

れは、中学の父親参観日、科目は美術。
うちの父は絵を書くのがうまかったのですが、
授業中に父が気になり後ろを向くと、
姿が見えない・・。
どこに行った?と、キョロキョロしていたら、
最後列の男子生徒の席に座り、絵の指導をはじめ、
あげく筆を取り上げ、塗っていました。
・・・やめて!お父さん。

父は普通のサラリーマンなんですが、
酒も飲まず友達もいません。
でもなんだか楽しそうです。
春は会社を勝手に抜け出して、
山へたけのこや山菜を取りに行き、
停電があれば会社を早退して、
熱帯魚の水の温度を保つために、
水の入れ替えにせいをだす。
「会社は?」とたずねると
「熱帯魚が死ぬからそれどころじゃない」と父。
小さいころは、
父はきっと窓際社員だろうと思ってました。
が、63歳を迎えたいまも、働いている父。

面と向かってしゃべったりしたことも
あまりないのですが
もくもくと自分の好きなことをし続ける
彼の姿を見ていたことが、
いろんなことを教えてくれた気がします。
(美紀)

に対して、
いまでも普通に接することができません。
平日はほとんど顔を合わせる事もなく、
どうやって接していいのかわからないまま
大人になってしまいました。
もしかしたら父親に対する
長い長い反抗期なのかもしれません。
「お前はいつもケンカ口調だなぁ」と言われる度に、
自分でも好きでそうしているわけではないので
悲しくなります。
どうしても父に対して大人になれない自分が
もどかしいです。
ただ、こういうことは無理に
どうにかしようとしても
ダメなんだろうとわかっているので、
時期が来るのを待っています。
(タバサ)

姉妹で三番目の私。
イイ子でもワルイ子でもなくて
父と二人っきりになると
話題を探して話しかけるような
お互いに気を使っている親子関係でした。
でも、中学生のときにどうしても観たい映画があって
それが夜の部の上映だったのです。
そこに、父がついてくることになりました。
なんで監視されるのかなぁと、思いながら
「理由なき反抗」を見終わった帰り道に
父が「お父さんは映画が大好きなんだ」とポロリ。
姉妹の中で一人だけが秘密をもらったようで
とてもうれしかった。
それが、父とのいちばんの思い出です。

それから、二度と一緒に映画を観ることはないけれど
対談を読んでいて思い出した、その夜の父。
父は今70歳を越えて、山歩きを楽しみにしています。
(KAORU)

子供が成長するにしたがって、
いろいろに変わる「お父さん」の姿。
お父さんとの距離感に、
悲しかったりうれしかったり、するんですね。
父子の関係は、ずうっと、魅力的に
変わっていくんだろうなあ、と思います。
「お父さんと、いっしょ。」ご愛読くださいまして、
ありがとうございました。

谷川俊太郎さんと賢作さん
横尾忠則さんと英さん
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