地球と月と、宇宙のふしぎ。
ほぼ日のアースボール、
こんどはアプリで「月」に大変身! 
月の表も裏もまるっと見られて、
アポロ船の着陸ポイントも
写真付きでたのしめる新コンテンツです。
監修は天文学者の渡部潤一先生。

そもそも月ってどうやってできたの? 
なんで月には表と裏があるの? 
太陽系って最後どうなっちゃうの? 
月のきほんから宇宙のふしぎまで、
いろいろ先生に教えていただきます。

聞き手は「ほぼ日」稲崎です。
01 なぜ人類は月に行ったのか?
──
本日のオンライン取材、
どうぞよろしくお願いいたします。
渡部
はいはいー、よろしくねー。
写真
──
ええと、まずは、先生‥‥。
渡部
ぼくの声、聞こえる? 
ぼくの声、聞こえますか?
写真
──
心の声まで聞こえてきそうです‥‥。
渡部
ん、なに?
──
あ、いや、なんでもないです!
あの、先生の背景が、
なんだかすごいことになってますが。
渡部
ワッハッハッハ。
たまたまこういうのがあったので。
まあ、気にせずはじめてください。
写真
──
さっそくですが、
きょうは「月」の話を中心に、
いろいろ質問したいと思っています。
渡部
わかりました。
──
最初にやっぱり月というと、
「アポロ計画」が思い浮かぶのですが、
たしか先生はリアルタイムで
ご覧になられていたんですよね。
渡部
ちょうどそういう時代でしたね。
世の中が宇宙時代に入って、
アポロ11号の月面着陸は
リアルタイムでテレビを見ていました。
小学4年生くらいだったかな。
──
まわりはどんな雰囲気でしたか?
渡部
社会全体が沸きに沸いてましたね。
注目度の高さでいえば、
オリンピックなんかとは
比べものにならないくらいですよね。
ほとんどの人が興味をもって
中継を見守っていたと思います。
──
その日のことって
いまでも覚えていらっしゃいますか?
渡部
それがあんまり覚えてなくてね。
あの日、世界中に月面着陸のようすが
生中継されていましたけど、
ぼくが覚えているのは、
親にせがんで夜中に起こしてもらって
見たという記憶なんです。
でも、アポロ11号の着陸って
日本時間のお昼頃だったんですよね。
そこからもう記憶があいまいで。
──
夜中に見たのは
11号の打ち上げだったとか‥‥。
渡部
うん、たぶんね。
すごく眠い目をこすりながら
月面着陸を見た覚えがあるんだけど。
あれは打ち上げだったのかもね。
▲1969年7月16日、アポロ11号の打ち上げの映像。(映像提供:BBC America)
──
先生はその頃から
宇宙に興味があったんですか?
渡部
わたし自身は理科少年で、
いろんなことに興味があったんです。
ただ、当時の理科少年ができることって、
いまよりだいぶん少なくてね。
星を見るか、虫をとるか、ラジオを作るか。
そういう興味のひとつの星というか、
月に人間が行ったわけだから、
やっぱり子供ながらに興奮しましたね。
──
それから50年以上経つわけですが、
そもそもアポロ計画とは、
どういうプロジェクトだったんでしょう。
渡部
アポロ計画そのものは、
アメリカが「月に人を送る」という
国の威信をかけたプロジェクトでした。



1960年代というのは、
共産主義国のソビエト連邦と
資本主義国のアメリカ合衆国とが
冷戦状態にあった時代です。
ほんとうの戦争にはならなかったけど、
代わりに両国の威信を高める
さまざまな施策をやりあっていて、
そのひとつが宇宙開発でした。
──
最初はソ連のほうが、
宇宙開発では勝っていたんですよね。
渡部
アメリカが宇宙に人工衛星を
打ち上げる準備をしていたとき、
先にソ連のほうが「スプートニク1号」の
打ち上げに成功してしまったんです。
さらに「人類初の有人宇宙飛行」という点でも、
ソ連のユーリイ・ガガーリンに先を越されました。



それでアメリカは「これじゃだめだ」となって、
「アメリカ航空宇宙局(NASA)」をつくり、
月に最初に行くのはアメリカだってことで、
本気で「アポロ計画」を立ち上げたわけです。



ただ、いまになって思えば、
非常に無理をして進めた計画だったので、
アポロ1号では火災事故が起きて
宇宙飛行士3名の方が亡くなっています。
──
当時の資料を見てみると、
かなり悲惨な事故だったようで‥‥。
渡部
でも、それを乗り越えるのが、
やっぱりアメリカ人のすごいところで。
そのあと着実に準備を進め、
事故の2年半後には
着陸船を月に下ろすところまで
もっていったわけですから。
──
ソ連との競争があったからこそ、
そこまで本気になったともいえますね。
渡部
宇宙開発そのものの動機が、
他国に国力を見せつけるものでしたからね。
そういう意味では、
純粋に月の成り立ちを知りたいとか、
科学的になにかを調べたいとか、
そういうのではなかったわけです。
でも、もともとの動機がどうあれ、
人類は月にも行けるんだということを、
世界が知るいい機会にはなりましたよね。
写真
▲アポロ11号の乗組員によって月面で撮影された写真。
(写真提供:NASA on The Commons
──
アポロ船は11号から17号まで計6回、
人が月の上で調査をしましたが、
そこではどんなことがわかったんですか。
渡部
当時はロボティクスという概念もないので、
人が月に行って調査するという意味は
とても大きかったと思います。



例えば、アポロ計画では、
月に地震計を置くことで、
地球と同じ地震のような現象が
あるということもわかりました。
──
へーー、月にも地震があるんですね。
渡部
他にも地球からレーザーを発射して、
月までの距離を正確に測れるようになりました。
その結果、月が毎年3~4センチずつ、
地球から遠ざかっていることもわかりました。
科学的には非常にたくさんの成果があります。
──
「ザ・ブルーマーブル」という
有名な地球の写真がありますが、
あれもアポロ17号から撮影されたんですよね。
渡部
あれはたしか、月に向かう途中で
撮った写真じゃなかったかな。
つまり、それくらい離れた距離じゃないと、
ああいう地球の全体写真というのは
きれいに撮れないんですよね。
──
かなり地球から離れないと、
ああいう写真は撮れないんですよね。
渡部
宇宙ステーションが飛んでるのは、
地上から数百キロ離れた空間なので、
そこだと地球の一部しか見えないんです。
つまり低軌道人工衛星では、
地球の全体像はぜんぜん収まらない。



そういう意味で「ザ・ブルーマーブル」は、
人類が本格的に宇宙に行く時代になったことを
告げた写真でもあったわけですね。
写真
▲1972年12月7日、アポロ17号の乗組員が撮影した写真。
通称「ザ・ブルー・マーブル」と呼ばれ、地球全体を写した貴重な一枚になった。
(写真提供:NASA on The Commons
(つづきます)
2021-09-16-THU
ほぼ日のアースボール 

新コンテンツ「月」登場! 
写真
ほぼ日のアースボール、
こんどは「月」になります! 
月の表も裏もばっちりのぞけて、
アポロの着陸ポイントもわかって、
月の地名や地形なんかも調べられます。

2021年9月16日(木)より配信開始。

アースボールの専用アプリを
最新バージョンにするとお使いいただけます。
秋のお月見のおともに、ぜひ!