先生:寄席のおはやしさん 小口けいさん(おけいさん)  生徒:本願寺出版社のフジモトさん(本願寺)=三味線をはじめて約1年。   「ほぼ日」スガノ(津軽)=ちいさい頃、津軽三味線をやってました。

津軽 おけいさんは大学で
長唄同好会にいらっしゃいましたが、
そこから落語協会に入るまでは?
おけい 学生のときは法学部でね。
「ほうがく」って、
この邦楽じゃないほうだよ。
ふたり はははは。
おけい 法学部を卒業して、
10年間、OLでした。
10年やってたら、なんだか疲れてね。
意外にも10年OL。
おけい ちょっとここらで休もうかなと思って、
勤めを辞めて、家にいたら、母が
「何でもいいからなんかやってよ」
って言うの(笑)。
何でもいいからなんか、って。
おけい 「毎日毎日、スーパーばっかり行って帰って、
 してないで」
と言われたとき、この子がいたわけ。
津軽 いま私が使わせていただいてる、
三味線が。
おけい そう。この子がいたじゃないの! と
思いたちました。
そのときにたまたま、国立劇場の養成課で
歌舞伎とか寄席囃子の研修生を
募集していました。
私が小学生の頃というのは
志ん生師匠、今輔師匠、金馬師匠、
そういう人たちの落語が
ラジオで盛んに流れてた時代なもんですから、
寄席囃子とか、そういったものを
みんながよく知ってました。
その寄席囃子を、国宝クラスのすごい先生が
無料で教えてくださるし、しかも、
3か月で適性試験に通ると
奨学金がもらえるということだったんです。
津軽 「それはいい」と。
おけい だけどねぇ、その研修の適性に受かって、
お金をもらうためには、実は
3年間の就労義務があったんです。
あの、甲乙の書面、ちゃんと読んどけば!
津軽 その世界で働かなきゃいけなかったんですね。
おけい そこで私は懇願しました。
「すいませんけども、
 落としてもらって、
 もう一回やり直したい」
そんな無茶な。受かったんですから。
おけい また、お稽古がやりたかったんです。
だけどだめだった。
それで、落語協会に入って
寄席囃子を演奏しはじめて、もう
ずーーーっと、ここまで来てしまいました。
まあご存知でしょうけれども、こういう仕事は、
年単位で考えます。
いろんなホール落語がありますので、
来年の3月まで約束が入ります。
そうやって、どんどん先が決まっちゃう。
本願寺 未来をおさえられちゃう。
ご指名されるんですね。
おけい 人に恵まれたということもあるでしょう。
ご縁があって、使ってくださる人がいたからです。
そうじゃないと、いまの私はないと思います。
津軽 おけいさんは、長唄から入られましたけど、
長唄と寄席囃子の
演奏の違いはありますか?
おけい 寄席囃子でも、長唄ものを使います。
だけど、特に出囃子って
噺家さんの行進曲だから、
長唄をそのまま演奏しちゃうと
舞台に上がりにくいものになってしまいます。
とちゅうで「あら、あららら」とならないように、
ひぃふぅみぃよぉいつむぅ、
♪(タンチンテンツントン チチチンチン)
と、やや平板に演奏します。
津軽 ああ、それだと歩きやすいですね。
おけい でしょ?
寄席に行ったとき、噺家さんが
歩きやすいかどうか、見ててくださいよ。
あとはね、いまやった
『金毘羅舟々』もそうですが、
短いフレーズが繰り返す、
エンドレスで演奏できる曲のほうが
出囃子としてはいいんですよ。
どこでも頭下げられるし、みっともなくない。
それがきちっとした長唄ものだと、
困ったものです。
その噺家さんがよっぽど
「この曲がいい」と言っても、
高座に上がるときは、出囃子のことなんか、
考えちゃいませんからね。
噺家さんは、もう
自分が座って、
お客さまをつかむことだけしか考えない。
だから、出囃子を、
変なところで切らなきゃならないでしょう。
エンドレスではない曲は、ちょっと。
津軽 そうか。
それは、お客さんにとっても
気分が悪いですね。
おけい ですから、そこをわかってる噺家さんは
出囃子をちゃんと選びます。
権太楼師匠にしても
木久扇師匠にしてもこん平師匠にしても、
やっぱり違うな、すごいな、と思います。
本願寺 どこでも切れる曲を選ばれるんですね。
おけい 柳家小さん師匠(5代目)くらいになると、
自分の曲が耳にちゃんと届いてらっしゃいました。
小さん師匠、耳遠いんですよ。
遠いけれども、わかるんです。
たとえばお辞儀をするところも、
あともう二手ぐらい聞けば
ちょうどいいんだけどなぁ〜、というところで
ちょっと着物を直したり、帯さわったりして、
さりげなくタイミングをはかるんです。
♪(テンツゥテン)でお辞儀、で、頭上げる。
津軽 上がるところまでバッチリですね。
おけい いまはね、お辞儀をしたときに
出囃子をもう止めちゃうんですけど、
ほんとうはそうじゃない。
私は先輩に、
「お辞儀はお客様に対して
 ゆっくりさせるんだよ」
と教わりました。
演奏を早く切っちゃうと
パッと頭が上がっちゃうから、
そこはゆっくり弾くんです。
そして、噺家さんの頭が上がりきるときに
切れるようにする。
津軽 じゃあ、おけいさんたちは、
演奏しながら、見ながら‥‥?
おけい そうよ、もちろん。
だから、疲れます。
今日はこれから新宿で仕事(末広亭)
なんですけど、
あそこは高座が見づらいの。
いま、いちばん演奏しやすいところは
浅草演芸ホールです。
斜めになってて、高座が前ですからね。
津軽 しかも、おけいさんおひとりで
弾くばかりじゃなくて、太鼓もかねも、
息を合わせなきゃいけないわけですから。
おけい 太鼓ねぇ、大きいの、音が。
浅草なんて、お祭りの太鼓で
いちばん大きいのが入ったりするからね。
三味線も、ひとりのときはいいんですけど、
3人いれば3人、
チューニングもリズムも
ピターっと揃ってないといけないんですから。
お稽古するわけじゃないんですよ。
津軽 ‥‥え?
リハなし?
おけい ぜんぶ、ぶっつけ本番です。
当日のメンバーを見て
「私の場合、こうやって弾くから、
 この曲のここのところは
 ふたつやってちょうだいね」
「私はここでこう繰り返すから、
 その先は弾かないでね」
というのを伝達します。
毎回メンバーが違うそうです。
おけい だけど、昔のお師匠さんたちは
そういう伝達もないからね。
探り探りやって、呼吸で合わせます。
お師匠さんのくせが
演奏しているうちにわかっていく。
いまはやっぱり言わなきゃだめですね。
津軽 ‥‥むずかしいですけど、
そうやって、いっしょにやる人の息を
取っていくのって、おもしろいですよね。
おけい そうなのよね。
津軽 練習もなしに、ぶっつけ本番中、
ノリも伝えつつ、太鼓にもかねにも気を配って、
噺家さんのお辞儀も見る。
大変ですよね。
おけい コンサートマスターであり、演奏家であり、
指揮者であり、全部を掌握しなきゃいけない。
太鼓もむずかしいのよ。
最後のテンテンとかドンドン、
それはとても大切なのに、
そんなことを考えてない子たちは、
ガデデンドンドンって、
そっけなくやっちゃうんです。
だけど、そこは三味線と
合わせていかないといけない。
三味線が、自分のノリを
暗黙のうちに渡していく努力をしなきゃいけない。
ほんとうに息の合う人とやったときには、
抜かしたり間違う箇所まで
合っちゃうことがあります。
津軽 はははは、それはすごい。
おけい 顔を見合わせて、「あれ?」ってなるのよ。
だけど、そういうときは、
舞台が終わったあと、
必ず噺家さんに謝りに行きます。
やさしい噺家さんが8割ぐらいですから、
「あ、そうだった? 気がつかなかった」
って、たいてい言ってくださいます。
だけどね、百パーセント、気づいてますよ。
だけど、
「わかんなかったよ。
 お客さんだってわかりゃしないんだから」
とおっしゃってくださるんです。
だからといって、
ちゃんと謝りに行かないお囃子はダメです。
間違いは間違いです。
何年やっても、間違います。
おけいさんにもミスがある。
津軽 そうなんですか。
おけい 言い訳しちゃいけないんだけどね、
お正月の寄席なんてほんとうに、
1部、2部、3部、4部あります。
交代でやっても、80組以上。
多いときはもう、仲入りがどんどん加わって、
ひとりの演者の持ち時間が短いでしょう。
どんどん調子変えて、準備しなきゃいけない。
津軽 じゃあ、曲の頭もパッと
出てこないときがありますね。
おけい そうそう、そこがねぇ。
だから、長距離走じゃなくて、短距離走ね。
80メートル徒競走よ。
津軽 それを80回走るんですね。
しかも狭い部屋で、でしょう。
スリリングですし、
へとへとになりそう。
おけい ですから、
慣れと、慣れしかないです。
津軽 慣れと、慣れ!
おけい たとえ80組ある日でも、
「この人は『金比羅』で、
 こういう人物で、こういう出方をする人で」
ということを自分なりに考えて、
弾かなきゃなりません。
私の先輩たちはそうやってきたんですものね。
やりはじめて10年そこらじゃ、それはまだ無理。
弾くだけで精一杯です。
津軽 噺の内容と弾き方は
関連させるんですか?
おけい 噺とは関係なし。
やっぱりその人物と、歩調。
「この噺家さんは年取ってきたから、
 以前はこのぐらいのノリで行ったけど、
 足元がヨロヨロして合わないから
 もうちょっと締めてあげないとなぁ」
とかね。
やっぱり何とはなしにでも、
噺家さんには
ノッて座ってもらったほうがいいでしょう。
出囃子ばっかりベンベンベンベン速くて、
噺家さんがヨタヨタヨタ、ではね?

(つづきます)

立て前座さん。

寄席囃子には、
三味線、笛、かね、太鼓などの
演奏メンバーがいますが、
太鼓やかねは、噺家さんになる前の
前座さんが演奏されることが多いそうです。
前座さんのリーダー的存在が、
「立て前座」さん。
寄席のすべてを仕切る
プロデューサー的存在で、
「時間が押してるので短めでお願いします」
「次の方が遅れてるので長めでお願いします」
と、時間調整も担います。
出し物が漫才や落語の場合は
時間を伸ばすのも比較的容易ですが、
曲芸などの場合は、
時間を伸ばすために
傘の上で茶碗をゆっくり回したり、
テーマをゆっくり唄ってみせたりするそうです。
おけいさんは、裏でそれを見ていて
「時間を伸ばしたり縮めたりするのが
 みんな上手で、見事だなぁと
 いつも思ってます」
とおっしゃっていました。


2010-05-12-WED