その3
原点は家族や親しい人のためにする仕事。

もともとうちでやっていることは、職人の仕事ではなくて、
家族や恋人ほか、いろんな愛する人のためを想ってつくる
女性の仕事の延長にあるものを、
仕事に、商売にしているようなことです。
身近な大切な人のことを想って、
畑で育てた綿を紡ぎ、織り、
藍で染めた布を縫って仕立てる‥‥
その一心につくりあげたものの魅力を
できるだけ大事にしたいっていうのが、
いまの私の気持ちです。

本来は無償のものに、
商売っ気を出してつくったものは、
やっぱりかなわないんですよ。
かなわないんだけれども、やっていく以上は、
無理でもそこを見つめて、
目標としながらやっていきたいと、
ずっと思っているんです。

その気持ちをあらためて強く感じたのが、
2年くらい前、
岩立広子さんに初めてお目にかかったときです。
岩立さんについては、
今回、「ほぼ日」でご紹介されて、
すごいなー、って思われた方が、
きっと大勢いらっしゃるでしょう。

岩立フォークテキスタイルミュージアムで、
バングラデシュのカンタの展示を見せていただいたんです。
カンタというのは、刺繍、刺し子のような手仕事です。
うちの村はラオスですけれども、
そこに流れるおかあさんの愛情っていうか、
家族のために、っていう、その原点は同じなんですよね。
それを、岩立さんのミュージアムで、
もういちど確認したんです。

▲子供用布 [カンタ] 19世紀後半
ベンガル地方 (岩立コレクション)

原点は、家族や親しい人のための仕事。
岩立さんのお話を聞いたり、
コレクションの布を拝見したりして、
その気持ちは、もちろん今も強くあるんだけれども、
いっぽうで、さっきお話したような、村の人たちの現実、
「大切な人のために」が
違うほうに向かっているという現状では、
原点というものが、ひじょうに遠くなっていく。

ほんとうにね、
岩立さんのコレクションの
布のようなところに近づいていけたら、
どんなにうれしいかと思うんだけれども、
そのベースが、
原点からだんだん遠ざかっていくんだったら、
これから先、やる意味はあるのかなとも思いますよ。

「手仕事に未来はある」とおっしゃる岩立さんのことばは、
とても心強くてすばらしいと思うのですけれど、
現場にいて空しいものを感じている私の心は、揺れます。
それでも岩立さんは、私たちの手仕事のしかたを、
貴重だって言ってくださる。
それがすごく、私の励みになるんです。

私の場合、手仕事を商売にしてるという側面もあります。
この16年、私が村の人たちといっしょにやっていることは、
初めから、今も、ずっと同じなんだけれども、
見方によっては、
貧しい村の人たちを助けて、立派ですね、
なんて言われることもありますし、
逆に、村の人をこき使って、搾取してるんじゃないか、
そう言う人もいるわけです。

私は立派なことをしてるつもりなんて、ないんですよ。
ただ、やりたくてやってるだけ。

企画は私がやっているとはいえ、
糸を紡いだり、染めたり、織ったり、縫ったり、
じっさいに手を動かしているのは村の人たちです。
最終的に全責任を私が取るとはいえ、
みんなが作ったもので、
私はこうやって生きてるわけですから、
搾取っていう、その一面はやっぱりあると思うんですよね。
それが私にとってはとても、つらいところでもあるんです。

最近、思うことがあるんですよ。
搾取なのかもしれないという、
つらい部分を自分の内側に抱えながら、
それを売って回し続けていく、そういうことから、
サバサバと離れてみるのはどうだろうか。

私も16年あの村に、ドボンとつかるようにいて、
糸のつくり方だとか、染め方だとか、織り方だとか、
何となくできるようになったんです。私なりに。
せっかく布つくりを覚えたんだから、
こんどは自分でやってみようかなと、
じつは、村で今ちょっと、やったりしてるんです。

たとえば村の人が誰も布つくりをしなくなっても、
私はできるだけ捨てたくない。
せっかく縁あってやってきたんだから、捨てたくない。
今はそういう気持ちなんです。

でも、その先を考えてみると、
それをつくってどうするんだろうって思うんですよね。
自分でつくったものが、お金になるとはとても思えないし、
お金にならなくてもいいと心を決めてつくったとしても、
そこには、「切羽詰まった感」がないと思うんです。
たとえひとりで糸を紡いで、染めて、織ったとしても。

切実感がない中でつくり続けたら、
趣味的な、ゆるいものができてしまう気がするんです。
まだ頭の中で考えているだけなんですけど。
もう誰もやっていない、自分ひとり、っていうことが、
切実感につながるのだろうか。
やってみないと、わかりませんよね。
でも、村の人が持っている切実感というものを、
私はあまりにも近くで見てわかっているから、
自分がつくったものにはそれがないだろうと思う。
これが今、私の課題なんです。

村の暮しが変わっていくのは、しょうがないんですよ。
そう。変わらざるを得ない。
みんながそれを選択して、
それが発展だと思ってるんですよね。
昔、日本がそうだったように。

そこが、心配なんですよ。
そうしているうちに、
手仕事をしなくなったという経験を、
日本人はしていますよね。
今の日本で、昔のままの生活をどうぞ、と言われても、
まずできないですよね。時間も、能力もない。
手仕事の大切さに気がついたときには、もうできない。

きょう、お話をしていて、
私、ちょっと違うことを思ったんです。
この先、どんどん日本が貧しくなっていったら、
手仕事がもういちど
生まれるのかもしれないんじゃない? って。
今は安く買えている服が、
とんでもなく高価になったりしたら、
もう仕方がないと、手仕事が得意じゃない人も、
やむにやまれずやるかもしれない。
そして、やってるうちに好きになってくるんですよ。
切羽詰まって、泣きながらやってるんだけど、
なんか工夫したりして。楽しくなってきて。

そこに未来がある、ともいえるのかな。
あまりにもネガティブ? そうですよねぇ。
でもそんなふうになると、
ほんとうに大事な人のためにつくるとか、
気持ちをこめるとか、
そういうつくり方が残るのかもしれません。
最後に残るのは、
大切な人を想いながらものをつくるっていう、
それが、やっぱり、原点なのかもしれませんね。

TOBICHIの「ラオスの布と手仕事展」で、
手仕事にたずさわる
岩立広子さんと陶工の鈴木照雄さん
3人で座談会をさせていただくことになりました。
鈴木照雄さんは布ではなくやきものですが、
いまの日本で、何もかも承知の上で、
あえて地を這うような思いで
40年間手仕事を続けている人です。


▲鈴木照雄さんのうつわ。
『鈴木照雄作陶集』より(撮影・杉野孝典)

日本で素朴で力強い雑器を作り続ける鈴木照雄さんと、
手仕事の行く末をずっと一途に思い続けた
岩立広子さんとお話することで、
この先の手仕事について、
どんなヒントが出てくるのか
私は本当に楽しみなのです。


※谷さんが鈴木照雄さんのうつわとの
出会いを書いた
「ひとつの湯呑茶碗から」もぜひ、ご一読ください。

(おわり)

2015-10-30-FRI
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN