布のきもち。 アートと 手工芸と 量産品の あいだ。  江戸の布・江戸東京博物館 西村直子さん、田中裕二さん篇 HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

第5回 平成に生きる職人さんたちは。
── 以前、江戸型染の作家さん
取材をしたことがあるんですが、
浴衣の柄は、染めでつけるんですね。
西村 はい。型紙で染めます。
江戸以前からそうなんですけど、
三重県鈴鹿市に伊勢型紙というのがあって、
そこで独占的に型を作っていました。
それぞれの、たとえば京都なら友禅の型、
江戸には小紋という、また浴衣とは違う型紙、
それから浴衣には、
長板中形(ながいたちゅうがた)っていう
型紙があるんですけど、
それを注文によって型彫りをして、
納めていたんですよ。
── 長板中型はどんな染め方なんですか。
西村 生地に何回かこの型紙で
糊を付けて型付(かたつけ)するんですけど、
表と裏と同じ柄のものを
ずれないようにやっていくという手間があるんです。
── いちどに片面にしかできないんですね。
西村 そうそう、片面にしか付けられないから
両方やるっていう。
そこで、ずれないように型付するのが、
江戸っ子職人の技。
── 腕の見せ所!
西村 というので、大正時代とか、昭和初期ぐらいまで、
結構盛んだったんですよ。
── 長板中型は1版(ひとはん)で1色なんですね。
西村 はい、そうですね。
その後に、明治時代に開発された
注染(ちゅうせん)という染めのやり方があって、
こちらは一気に色が何種類も染められるので、
長板中型よりも効率がいい。
注染では表と裏が一気に型抜きができるというので、
この長板中形の後に普及していった。
大阪の方で開発されてますので、
西から普及していったやり方になりますね。
でも今は、注染もちょっと
伝統芸能のようになっていて、
たとえば今販売してる手ぬぐいとかでも、
注染染めというのを時々見かけると思うんですけど、
それはちょっとお高いですよね。
で、プリントだとすごく安くなる。
注染は開発されたときは
手間のかからない方法でしたけれども、
今いちばん安いプリントに比べると
もちろん手間はかかります。
── 長板中形での染めは、今は。
西村 今も、それで浴衣を作ってるところも残ってはいます。
ただ、東京では、長板中形をやってるお家は、
江戸川のほう、東の方に残ってますが、
ほとんどもう、郊外の、埼玉の方とかに
移転されてまして。やっぱり厳しいですね。
なぜかというと、これ、型付に糊付をして、
糊を落とさなくちゃいけないんですけれど、
そのときに大量のきれいな水が必要なんですよ。
── なるほど、川で。
西村 はい、川でやってたんです。
浴衣の染めのはなしなんですけれど、
浴衣って夏場に着るじゃないですか。
で、作るのはその前なので、
注文はその前年に受け付けて、
作業するのが冬場になる。
型付をして、水がきれいな寒い季節に糊を落として、
干場(ほしば)で乾かして、
それから藍染めをするんです。
ここは分業制になってまして、
藍染めは紺屋さんという、
専門の方に渡して染め上がるというような
かたちになってますね。
この型付は、清水幸太郎さんという、
昭和30年に人間国宝に指定された方の
型紙なんですけども、
やっぱり作業場が、東京の中でも
少しずつ動いていって、
葛飾区の四つ木の方でやられていて。
あちらに工場(こうば)と自宅があったんですが、
もう、水が使えないということで。
田中 今の状況では、ほんとにこういう職人さんというのが
もういなくなってきちゃいますよね。
もちろん、ものが売れないと、
職人さんも生活していけないので、
今の商品経済の中で、
大量生産のものと競えるのかっていったら、
経済原理からいうと、ほんとに、
引退せざるを得ない運命に
あるっていうところですよね。
西村 そうなっちゃうんですよね。
── 昔は庶民が使う普通のものだったのが、
特別なものになってしまって、
それでも生き残れば
いいのかもしれないですけれど‥‥。
西村 本来の使われ方とは違うもの、
貴重品というか、アートみたいな、
高級品みたいなものになるっていうのは、
まあ、しかたがないのかもしれないですけど、
ちょっと、違和感があるというか、
寂しい感じですね。
── 値段も高いですものね。
西村 原料費が、高くなってしまうと、
単価も上がってしまうので。
結局、ここの、清水さんも、
息子さんがもう80代とかなんですけど、
お父さんの仕事を継げなかったんですよ。
やっぱり浴衣はどうしても絹の着物に比べると
単価が安いですよね。
で、いい仕事をしていても、
数が売れなければ生活がやっていけないということで
別の職業に就かれて、
というかたちになってしまってるんですよね。
田中 こういう技術は一度廃れてしまうと、
もう復活はむずかしい。
西村 師弟制度で型染めのやり方は教わっていくので、
そのあたりのカンというか、糊の調合ですとか、
型付の仕方のところ、
肝心のところが継げなくなってしまうんですね。
── 型は残っていても。
西村 そういうことなんですよ、はい。
田中 その技術の伝承はさすがに、
映像記録とか文字とかだけじゃ、
伝え切れないところがもちろんあるので。
西村 江戸っ子は何か凝り性なところがあって、
仕事のこういった冴えを
お互い競い合って見せてっていうところが
分かる人がいなくなってしまうと、
田中 その、江戸っ子の粋みたいなところ、
ちょっとした違いとか差異なんだけれど、
それが評価できる、
あ、それ粋だねって言う人もいなくなっちゃうと、
西村 やっぱりただの伝統技術になってしまう。
── 観る人、使う人も大事なんですね。
西村 はい。そうですね。
── 実際、今、夏になると結構若い人でも
浴衣着てる人多いですけどね。
それこそファストファッションの感覚で売られていて。
西村 まずはそこから(笑)。
最初はそこからでも構わないと思うんですよ。
── ゼロよりましなのかもしれませんね。
それで、もう少し大人の人が、
もっといいもの着なさいよと
言ってあげればいいのかもしれない。
西村 それでまた、いろんな浴衣も比べてみるようになって、
こういった技術のよさとかも
自然と見分けが付くようになればね。
こういう浴衣の生産が盛んだったころは、
やっぱり江戸も東京も
着る人の目が肥えてるので
柄も洗練されているんですよ。
── はー。
西村 地方に残ってる型よりも洗練されてるんですね。
田中 都会的なんですよ。
西村 そうですね。柄なんかも、
こういった柄でお願いしますっていうのは
江戸の型紙を卸す問屋が発注するんですけど、
そういうのもお客さんの嗜好で
リクエストしていくので、
やっぱりそこで、地域性というのが出ますよね。
この型紙はうちで所蔵してる、
浴衣の型紙の目録なんですけれど、
明治以降から昭和初期くらいの間の
型付(かたつけ)で使われた型紙なんです。
で、やっぱり流行が浴衣の柄も
時代によってあるんですけども、
この、ちょっとこのぐらいの大柄なものは
大正時代の好みの型だったり、
こういう細かい柄は
もうちょっと古い時代の明治期から
大正初めぐらいに好まれた柄ですね。
田中 ぜひ、浴衣とか着物を復活させていきたいですよね。
大正時代に独特のモダンな柄が生まれたように、
現代の江戸の粋みたいなものを
見てみたいじゃないですか。
── ほんとうですね。
田中さん、西村さん、
ほんとうにありがとうございました。
布を見る目がちょっとだけ
かわった気がします。
田中 そうですか、だとしたらうれしいです。
いろいろと脱線を途中でいっぱいしましたけど。
── その脱線が楽しかったです。
西村 (笑)こちらこそありがとうございました。
田中 また江戸博にも足を運んでくださいね。
── はい、ぜひ!
  (おわり)


2012-02-17-FRI


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