The last piece.  ギー・ラリベルテ  シルク・ドゥ・ソレイユという パズルを埋める最後のピース
4 交渉
糸井 アメリカ進出を果たした
シルク・ドゥ・ソレイユは、
ショーの本場であるラスベガスで、
さらなる成功をおさめます。
ぼくらはショービジネスに関して素人ですが、
それでも、ラスベガスというのは
エンターテインメントの面においても
ビジネスの面においても、
一筋縄ではいかないプロ中のプロがそろっていて、
そうとうタフな状況だったんだろうと想像できます。
一方、シルク・ドゥ・ソレイユは、
たしかな実力と個性を持った有能な集団だとはいえ、
いわば、カナダから出てきた大道芸人の集まり、
だったわけですよね。
ギー ええ、そうですね(笑)。
糸井 そういうギーさんたちが、
世界一タフな交渉相手たちと対等に渡り合って、
最終的には、MGMミラージュなどの
巨大なホテルグループに
自分たちの常設ショーを開催するための
専属シアターを建設してもらうまでになった。
そんな難しいことが、どうしてできたんでしょう?
ギー 3つの要素があると思います。
糸井 はい。
ギー 1つは、運です。
2つ目は、正しい場所を選んだということ。
3つ目は、正しい時に、それをやったということ。
その3つが重なって、
私たちは成功をおさめることが
できたのだと思います。
糸井 時、場所、運。
ギー はい。具体的にいえば、
MGMミラージュという
大きなリゾートグループが、
自分たちの系列のホテルのシアターを
とてもいいタイミングで
私たちのために開放してくれたんです。
そのシアターで、
私たちはラスベガスでの最初の常設ショー、
「ミステール」を行うことができました。
場所としても申し分ありませんでしたし、
当時、私たちの頭のなかには
新しいショーのアイデアが
あふれんばかりに湧き出てました。
そのタイミングで、
いい場所に自分たちの拠点ができた。
それはもう、空から
天使が舞い降りてきたかのようでした。
糸井 そのときの、MGMとの交渉を、
ギーさんたちは、
自分たちのクリエイティブに対する
イニシアチブを失うことなく、
対等なままの関係で進めてますよね。
ギー そうです。
クリエイティブについて
他者から干渉されないというのは、
私たちが絶対に譲れない条件ですから。
糸井 シルク・ドゥ・ソレイユの物語を
読み進めていくと、
そこがやはり不思議なんです。
何度か訪れる転機において、
シルク・ドゥ・ソレイユは
自分たちのクリエイティブの可能性を
一度も狭められることなく大きくなっている。
たとえば、昔のアーティストというのは、
どれだけ才能があっても
ビジネスの面ではほんとうに非力で、
不当で不利な契約を結んでしまう、
ということが多々あったと思うんですね。
当時、おそらくビジネスの
プロとはいえなかったギーさんたちが、
経験量も、お金も、パワーも違う人たちを相手に
どうやって乗り切っていったのか知りたいんです。
ギー もちろん、MGMとの交渉は、
簡単なことではありませんでした。
ですが、正直にいって、
かなりフレンドリーな雰囲気のまま、運びました。
MGMの代表の人と個人的に
親密な関係ができたということもあり、
お互いに言いたいことは
しっかりと言い合うことができました。
そして、なにより、根本的な部分として、
MGMグループのシアターで
私たちがショーをやるというのは、
シルク・ドゥ・ソレイユにとって
うれしいことであるだけでなく、
MGMにとっても
非常にうれしいことだったのです。
ですから、その交渉は、簡単ではなかったけれども、
すごく難しくもなかった。
糸井 ああー、そうですか。
それは、やっぱり、演目というか、
シルク・ドゥ・ソレイユのショーという
コンテンツのクオリティーが非常に高くて、
自分たちがそこに強い確信を持っていたというのが
交渉にのぞむにあたって大きかったんでしょうね。
ギー そうなんです。
なにしろ、当時の私たちのショーは、
チケットがかなり売れてましたから。
糸井 それだ。やっぱり。
ギー そうですね。
そういったさまざまなことが
バックアップしてくれて、
私たちにとってもMGMにとっても
結果的にすごくいい契約を
結ぶことができたんだと思います。


(つづく)

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2010-01-22-FRI

HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
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