これまでのこと、ブタフィーヌさんのこと。

第7回 たかしまさん、独立する。

── ふつう独立っていうのは、
独立するにあたっての貯えであるとか、
独立後の仕事のあてをあるっていうのを
言うんですが、
ただ辞めただけ‥‥ですね。
たかしま そうですね。
イラストがちょこちょこ雑誌に載ったんで、
その雑誌を持って、営業かけられるかなと。
── 基本、ここまで、やっぱり、
無鉄砲ですね。
たかしま とっても無鉄砲ですよね。
計画性なしですよね。
で、辞めて、
バイトを始めるんですよ。
食べていけないんで、
CADっていう3Dのソフトの学校をやってる会社が
講師を募集してるって言うんで、
使ってるマシンがUNIXだったんですよね。
CADは使ったことはないんですけど、
ちがう部署でCAD担当の友達がいて、
触らせてもらったりはしてたこともあったし
ま、コンピュータ好きだしなんとかなるだろう、
っていうことで応募したら。
── また無茶な。
たかしま はははは。
でも雇ってくれて。
── でもほんとうはたかしまさんは
経験則で、わかっちゃってたわけでしょう。
そのソフトが。
たかしま そうですね。
使ってみたら、わかるし、
もとがUNIXですから、
トラブルも対処できるし。
わりと、スムーズに講師は続けられてて。
で、輸入してきたソフトなんで、
マニュアルがなかったんですよ。
ぼくは、そうやって触ってるうちに、
そのソフトについてわかってきたんで、
マニュアルを「じゃあ、ぼく作ります」
っていうことで。
── 編集者の経歴も生きましたね。
たかしま はい。
DTPもできますみたいな話をしたら、
マニュアルを作らせてくれることに
なったんですね。
── バイトのすることじゃないですね、もう。
たかしま そうですね。
ただ、マニュアルも作って講師もやってると、
イラストを描く時間がなくなっちゃうんで、
「すいません、
 ぼく講師辞めて、在宅ワークで
 マニュアルを作る仕事にしてください」
っていうことで、そこから、
在宅ワークができるようになったんですよ。
── ほう。
たかしま それで時間もけっこうできてきたところに、
MacFan時代の先輩編集者が
あんな形で辞めたにもかかわらず、
ちょこちょこ仕事をくれ始めたんです。
── 編集長は‥‥
たかしま 編集長は、直接は、ま、
なにも言ってくれないんですけど、
でも、最終的に、クレジットも
「たかしまてつを」で入れてもらってたんで、
それを通してくれてたってことは、
陰ながら見守っててくれたというか。
‥‥わからないですけどね。
そういう形で、ちょこちょこイラストの仕事を
もらえるようになってきて、
家でマニュアルを作りながら
イラストの仕事をして、っていう形で
その頃に名刺も作るんですね。
「イラストレーター たかしまてつを」
っていう名刺を。
── はい。
たかしま だんだん、だんだん、
その仕事をくれてた編集者が
また別のところに紹介してくれたりとか、
MacFanに載ってる絵を見たという人から
たまに仕事をもらったりとかしながら
イラストの仕事が増えてきたんで、
マニュアルを作ってた会社にも、
「すいません、そろそろ‥‥
 忙しくなっちゃったんで」と。
そこの社長さんもすごくいい方で、
ぼくがイラストの仕事をやっていきたい、
っていうのも話してはいたんで、
「じゃあ、うちの会社の中の
 机をひとつきみ用にあげるから、
 そこで、イラストの仕事もやっていいよ」
みたいなことも、
おっしゃってくださったりもしたんですけど、
でも、ぼくはもう、
そこまでイラストの仕事が膨らんでくると
「すいません、イラスト一本でいきたいんです」
っていうことで、お断りして辞めたんですね。
そこからですね。
初めて、イラストのみで
仕事を始めたっていうのは。
それが、いくつかな‥‥
28、9ですね。
── 早い。
そこからは、ずっと
フリーのイラストレーターとして
生きてきたんですか。
たかしま フリーのイラストレーターです。
最初のうちは、絵を描きつつ、
グラフィックソフトのレビュー記事みたいな
文章も書いたりもしてたんですけど、
一応イラストレーターとして、
なんとか、かんとか、食べていけましたね。
2008-12-16-TUE
(つづきます!)
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