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july2014
海のブローチ 2

グレートブリテン島の、南のほうに位置するロンドン。
それでも、1年のうちで最も暑くなる7月の平均気温は20℃以下だ。
昼間に30℃を超える日が続くと夏だなと実感するが
曇ればとたんに肌寒くなる。基本的に海の水も冷たい。
だから、日本と同じ島国とはいえ、私は長年イギリスで
「海水浴へ行こう」という気持ちになれなかった。

けれども昨年の今ごろ、息子の長い夏休みに
どこか良い国内の旅行先はないか調べていたところ
イングランドのコーンウォール地方に美しいビーチを見つけた。
遠浅の白い砂浜、碧く澄んだ水。
こんな海がイギリスにもあったのか。
それまで、ドーバー海峡に近い
どよんと濁った海しか知らなかった私はすこし驚いた。
場所はイングランドの西の果て、Sennen Beachとある。
「千年ビーチ」かと一瞬錯覚したが
いや、これはおそらくセにアクセントをおいて
「セネンビーチ」と読むのだろう。
こんなに綺麗な海なら、泳げなくてもいい。
ビーチで遊ぶだけでも、楽しめそうだ。

ロンドンから車を約6時間飛ばして
私たち家族はセネンに無事たどりついた。
夏のバカンスにぴったりな、突き抜けるように高く青い空。 
気温も少し汗ばむほどだ。
さっそく持参した日よけを立て、敷物を広げる。
私は、この暑さなら泳げるかも、とニヤリと笑みを浮かべ
試しに海に入りに行った。が、甘かった。
水がやっぱり氷水のようだ。信じられないことに
気にせず泳いでいる地元人とおぼしき方々もいるが、
日本人の私には到底無理。すごすごと砂浜へ引き返した。

それでも、セネンビーチは
夏を楽しむのに充分な場所だった。
磯に大小の水たまりがいくつもあったが
その水すら限りなく透明で、
足の裏にあたる砂は心地よい温かさ。
波打つ音と通りすぎる爽やかな風を感じながら、
バケツで海水を運び、親子で砂の城をいくつも作った。
幸いなことに、ビーチに面したレストランのシーフードも
新鮮で抜群に美味しかった。

我々はすっかりセネンビーチに魅了され、
ロンドンに帰ってきたあとも、「あそこは良かった」
「また行きたい」と何かにつけ話題にした。
イギリスの海に対する印象が変わったのが自分でも嬉しかった。

あれからちょうど1年経ち、今月また家族で
セネンビーチを訪れる計画をたてた。
今回ははりきって海のそばの宿も予約して、準備万端だ。
そんな折、週末の買い付けで足を運んだ
ロンドンのアンティーク市で、私は偶然
上の写真のブローチに出合った。

19世紀末のヴィクトリア時代に、
イギリスのTorquay(トーキー)という町で
土産物として作られたブローチ。
これら2品はひとまとめにされ、
アンティークディーラーのテーブルの隅に置かれていた。
素朴で、人の手を感じるところに惹かれた。
銀にエナメルで描かれた海藻らしき植物。
もう片方は、楕円形の真鍮のプレートに
トーキーの景色が刻まれたものだ。
目を凝らしてみると、海に面した丘に家々が建ち並び、
船着き場にボートが何艘かとまっている。とても描写が細かい。
ここはきっと、夏に人気の観光地だったのだろう。
ふたつ併せると、町の雰囲気がよく伝わってきた。

私は想像してみた。ブローチの贈り主/持ち主だったひとは、
トーキーでどんな休暇を過ごしたのだろう。
土産品には、置物、食器、当時もいろいろあったはずだ。
そのなかで、どうしてブローチを選んだのだろう。
真鍮のブローチの裏には、修理の跡があった。
そうしてまで、この品を手元に留めておきたかった理由は?
ただひとつ確かなのは、
100年以上昔にも、私と同じように、大きく広がる海を前に
この光景をずっと心にのこしておきたい、と
強く願ったひとがいたということだ。

地図で場所を調べると、トーキーは
セネンビーチからそれほど離れていない
イングランドの南西に位置する入り江の町だった。

 
2014-07-28-MON


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