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ある日の日記(8)

今月、ニューヨーク滞在中に
メトロポリタン美術館を訪れたのには、ふたつ目的があった。

ひとつは、名物の古代エジプトのコーナーにある、
ジュエリーの展示。

古代エジプトの王族といえば、女性に限らず男性も、
ゴールドをはじめ、ターコイズ、ラピスラズリ、カーネリアンなど
色づかいも大胆なジュエリーを身につけていたイメージがある。
私が仕事でエジプトのジュエリーに関わることはまずないけれど、
紀元前という大昔に作られた
それらの品々を改めてじっくり鑑賞してみたかった。

古代エジプトでは、青、緑、黒、白、黄、赤、の6色を基本とし、
それぞれに「永遠」「豊穣」「死」等、
信仰的な特定の意味があったそうだ。
昆虫や鳥などのモチーフも各々に意味を持っていた。
解説を読んでいると
当時のエジプト人の死生観や美意識がうかがえて、
普段私が買い付けているイギリスの古いジュエリーとの違いも
くっきりと浮かび上がってくる。

展示品はゴールドを惜しみなく用いたものがやはり見応えがあった。
とくに私は、あるダイアデムがとても気に入った。
ダイアデムは冠の一種で、
王や王族たちが頭につけていた飾りのことだ。
布製から金属製まであって、
ヘッドバンドあるいは前半分だけの冠
(つまり、ティアラのような形をしたもの)を指す。

古代エジプトのコーナー。何部屋ものうちの一室。手前のガラスケースの中に‥‥



黄金のダイヤデムが展示されていた。

上の写真は、紀元前1648-1540年ごろに作られた品だ。
ガゼル、雄鹿、星、花がモチーフになっている。
ところどころに欠けや修復がみられるものの、
3500年以上経っているようにはとても見えない。
男性用だったのかもしれないが、どことなく可愛さもある。
ミュージアムショップでレプリカが売られていたら、
買って帰って部屋に飾りたいくらいだ。

来館したもうひとつの目的は、曾祖父の絵だった。

残念ながら私は美術の才を受け継いでいないが、
京都の曾祖父は日本画家で1950年前後はニューヨークに住んでいた。

彼は新たな作風を模索するためニューヨークへ渡り、
そこでも日本画を描き続け、
ロックフェラーなどアメリカの社交界で出合った人々を顧客に
絵で収入を得ていた。
その頃の作品、そして日本へひきあげる際に
彼が寄贈した江戸時代末期の版画といった十数点が、
今もメトロポリタン美術館に所蔵されている。

けれども晩年の曾祖父は、
病を患ったり金銭のトラブルに巻き込まれじつに不幸だった。
私が生まれる前に曾祖父はすでに他界していたが、
そうした話を聞かされるにつけ、
やるせない気持ちになってしまうので、
普段は両親にあまりその話題をふらないようにしてきた。

それでも、ニューヨークへ行くからには絵を見てみたかった。
ロンドンを発つ前に美術館に連絡したら、
アジア美術担当の職員が快く案内を引き受けてくださった。

館内にあるアジア美術部署のオフィス。この奥にアジア美術専門職員の研究室や資料室がある。

当日、職員の方たちは、大小の作品を閲覧しやすいように、
わざわざある部屋にまとめて待っていてくださった。
最初に目に飛び込んできたのは、
横幅が4メートル近くある一対の屏風。
銀箔のうえの猿たちは、筆に迷いなく勢いよく描かれていた。
他にも、緻密な美人画や習作の馬の絵などを閲覧することができた。

The Metropolitan Museum of Art, Gift of Japan Institute Inc., 1942 (42.39.1, .2); Seymour Fund, 1953 (53.66a, b)

The Metropolitan Museum of Art, Gift of Roland Koscherak, 1957 (57.173)

The Metropolitan Museum of Art, Gift of Suizan Miki, 1952 (52.197)

肉筆の絵というものは、
時間を超えて描いた本人の動作や気持ちの揺れまで伝えてくれる。
私は曾祖父に一度も会うことができなかった。
それでも、彼が異国で描くことに真剣に向き合っていた姿、
遠く離れても祖国の日本を思っていた姿に、
この日、絵をとおして対面することができた。
それはとてもふしぎな、心にのこる体験だった。

※館内と所蔵作品の写真は
 メトロポリタン美術館の許可を得て掲載したもの。

(十二月の更新へ、つづきます)


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2013-11-28-THU

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