第8回 『鉄腕アトム』
糸井 書きたいという気持ちがとくになくて、
ある意味、誰が書いてもいいと思うんだけど、
それを自分が書けたときはうれしいし、
それをほめられたりすると、またうれしい。
谷川 その感じはすごくわかりますよ。
だからぼく、なんていうのかしら、
自分の詩で、いちばん理想的に流通しているのは、
『鉄腕アトム』なんですよ。
糸井 ああーー、なるほど。
谷川 『鉄腕アトム』の作詞者がぼくだということを
知らない人は、すごく多いんです。
「え? 谷川さんが書いたんですか。
 ぼくは小学校のときから好きで歌ってました」
みたいなことを言われるのが、
詩人としてのひとつの理想的な姿です。
「詩人は忘れ去られているけれども、
 歌は巷に流れている」っていう
『詩人の魂』というシャンソンがあるんですけど、
そういうのが本当は理想です。
あるいは、万葉集の「詠み人知らず」とかね。
糸井 はい、はい、そうですね。
谷川 本当の理想はそれですよね。
ただ、そうすると
著作権使用料も原稿料も入ってこないから(笑)、
しょうがなくて名前を出しているわけですけど。
糸井 いやもう、本当にそうですよね。
谷川 ねえ。理想としてはそうですよね。
糸井 理想ですよね。で、もう一個、別の話として、
やっぱり食っていくこととか、
生きていくための原稿料はありがたいっていうか。
だから、『鉄腕アトム』は、まさに理想的ですね。
谷川 うん。
糸井 そっかー、あれを谷川さんの作品だと
知らない人は、けっこう多いんですね。
谷川 なんか、びっくりするみたいですよ。
「こんな有名なものをあなたは書いたんですか?」
みたいな感じでさ。
糸井 ははははは。
谷川 あと、あの歌って、
大昔の歌だと思ってる人もいるみたい。
だから、いま、目の前の生きてる人が
書いてることにびっくりしてたり。
糸井 だいたい、ものすごく広く
オーソライズされたものって、
死んだ人がやったことだと
みんな勝手に思う傾向があって。
谷川 (笑)
糸井 教科書に作品が載っている
「谷川俊太郎」という詩人は、
当然、この世にいないものという認識が‥‥。
谷川 そうそう、ほんと。
糸井 「生きてたんですか?」っていうのは、
直接じゃないけど、言われるでしょう。
谷川 直接言われたこともあります(笑)。
糸井 直接もありますか(笑)。
谷川 「あ〜、生きてるう〜」って。
一同 (爆笑)
谷川 幽霊見た、みたいにさ。
糸井さんは、まだ言われないですよね。
糸井 まだ言われたことはないですね(笑)。
でも、『鉄腕アトム』ほどではありませんけど、
歌謡曲の中にぼくの名前を見つけて
驚いたり喜んだりしてくれる人がいるのは
ものすごくうれしいです。
谷川 ああ、やっぱり。
糸井 あのうれしさって、なんだろう、
たとえばダンスバンドの喜び、楽しさなんです。
つまり、体育館に男女が集まって
楽しくダンスを踊っているとき、
誰も見ていない舞台の上で演奏しているのが
ダンスバンドなわけですよね。
谷川 ああ、なるほどね。
糸井 音楽の喜びって本当はそういうところにあって、
もともとは、音楽そのものや、音楽をつくった人は
主役にならないものとして
存在してたわけじゃないですか。
谷川 クラシックもそうですよね。
宮廷音楽なんて、ご飯食べるときに
横で弾いていただけなんだからね。
糸井 まったくそうですね。
絵だって、肖像画なんていうかたちで、
発注されて、お役に立ちたくて描いてたわけだし。
谷川 そうそう。
工房でね、王様のために描いたり、
貴族のために描いたりしていたんだから。
糸井 表現が主役になってしまってから、
ややこしくなったんですね。
だから、谷川さんの
『鉄腕アトム』の仕事なんていうのは、
とっても宮廷音楽的で。
谷川 そうですね。
糸井 要求されて、がんばって、
鉄腕アトム様のためにつくった詩なんですよね。
谷川 そういうほうがぼくはしっくりくるんです。
簡単にいえば、芸術家としてのものよりも、
職人的なもののほうが好きだし、
自分でも、そうありたいんですね。
だけどやっぱり、いまの人たちというのは、
逆に、芸術家になろうとする趨勢にある。
糸井 そうですね。
谷川 いまは、誰でもなんでも
気軽にメディアで表現できますからね。
だから、その方向で飽和点に達したときに、
逆に、どうなるんだろうと思いますけどね。
糸井 そうですね。
谷川 どの道を生きるにしても、
たいへんな競争になったりもしますし。
そのへんはどうなっちゃうんだろうとは思います。
  (続きます)

2008-04-29-TUE



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