第7回 書きたいと思ったことはない。
谷川 糸井さんは、1年中、毎日、
なにかしら書いてるわけでしょう?
たいへんじゃないですか。
糸井 たいへん、でしょうね。
谷川 でしょう?
糸井 苦しいんだろうなぁ、と。
谷川 なにか、他人事みたいに言っているね(笑)。
糸井 うーん、他人事といえば
他人事のようなところもあるんです。
なんていうか、その、
あえて言うほど、苦しくはないから。
谷川 波動の人だから、もう流れているのかな。
こう、流れに身を任せて(笑)。
糸井 苦しいときって、おかしな話ですけど、
時間がたっぷりあるときなんですよ。
「ああ、もう、いま書かなきゃ寝られないぞ」
っていうときは、むしろ、サッと書けるんです。
そうじゃなくて、たとえば今日は
ゆっくりと食事に出かけるぞ、っていうときに
「明日の原稿をいまのうちに書いておくと
 締切を気にせずゆっくり食事ができるな」
という感じでキーボードの前に座ると
たいてい、苦労しちゃうんです。
つまり、時間があるから、時間をかけて
苦労して書くこともできるぞっていう
チャンスがあるもんだから、
そのチャンスに押しつぶされて苦しいんです。
谷川 うん、うん、なるほどね。
糸井 なまじ時間に余裕があると、
手に負えないような材料を運んできて
なんとか家を建てようとしちゃうんです。
そりゃぁ、無理ですよね。
逆に、溜めてた材料が、いつか、
建てられる家のサイズに減るようなこともあって
そのときはうまく書けるんです。
谷川 若いときから、そんな感じでした?
糸井 うーん、若いときには、
なんにもなかったですからね。
文体もないし、書きたいこともないし。
作文で褒められたことは、一回もないです。
それはもう高校まで、一回もないです。
で、得意だとも思ってませんでした。
谷川 じつは、ぼくもそうなんです。
糸井 あ、そうですか。
谷川 うん。子どものころに詩を書いたこともないし、
書きたいと思ったこともないし。
たとえば思春期になったころに、
友だちには、書いている人もいるんですよ。
それこそ、詩集を出したいということで、
原稿がみかん箱3杯くらいあるとかね。
それから、有吉佐和子さんみたいに、
一日書かないと手が震えてくるっていう人もいる。
そういうのを聞くたびに、
本当に、劣等感にさいなまれてね。
一同 (笑)
谷川 ほんとに書きたいという気持ちを
持ったことがなかったんですよ。
だから、そのあたりは
ちょっと糸井さんと似ているんですよ。
糸井 ちなみに、いまはどうなんですか?
谷川 いま、ぼくは、詩を書くの、
すごく楽しくなっています、うん。
でも、やっぱり、つねに、
他者からの働きかけによって動いてますね。
糸井 発注によって、導かれて、書くという。
谷川 うん。ぼくの場合は、そうですね。
もちろん、最初のうちは注文なしで書いてたけど、
しばらくやって、注文がくるようになったら、
一所懸命それに応えるという形で
ずーっとやってきましたからね。
やっぱり、他者がいるという点で
書く力が鍛えられたのかもしれない。
糸井 それも、粒子か波動かでいうと、
波動的な話ですね。
他者との関係というのは
物体ではないですから。
谷川 そうそう。
糸井 ぼくもやっぱり、生み出すものは、
誰かとの関係のものだという気持ちが大きい。
それはもう、楽器を使って
音楽を奏でるのも同じだと思うけど
「欲しいのは音楽でしょ?」っていう気持ちが
根本的なところに存在するから、
極端にいえば「オレじゃなくてもいい」って思う。
その気持ちは、じつは、ずーっとあります。
で、そういう前提のうえで、
「自分じゃなくてもいいものを
 自分が出せた喜び」というのはある。
谷川 うん。
糸井 ほめてもらえるとすごくうれしいし、
「買いました」「読みました」って
言ってもらえるとすごくうれしい。
そこの自分はすごく点滅してるんですね。
谷川 ああ、その感じはすごくわかりますよ。
  (続きます)

2008-04-28-MON



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