糸井 1年暮らしたブータンから帰国して、
どうですか?
未練はありますか?
御手洗 ちょっと‥‥いや、未練はありますね。
糸井 案外、サッと帰ってきましたよね。
もっと泣いたり叫んだりするのかと思ったら。
御手洗 それは、ブータンの人たちがしないんです。
ブータンの人たちは、心のどこかで、
「またきっと、会うんだろうなぁ」
と思っているみたいで。
それは、私が実際に戻ってくるかどうか
ということではなく、
人の縁というものについて、
ゆるく、そんな風に考えているように思います。
糸井 あぁ。そういう感覚なんですね。
御手洗 ホテルの経営者をしていた
ブータン人の友人から聞いた話なんですけど。
彼が若くて、駆け出しのガイドだったころ、
まだ西洋の文化などをよく知らなかったそうです。
一週間一緒に過ごした海外のお客さんが、
いよいよ帰るとなったとき、
空港で「本当にありがとう。でも、寂しい」
とハグをされた。「アイ・ミス・ユー」と。
でも彼は、そのときなにをしていいか
わからなかったそうです。
なんて返していいかわからず、
ハグをされながら、ぼーっと立っていたと。
今はそういった海外の文化にも慣れて、
「アイ・ミス・ユー」
と自分も言えるようになったけれど、
最初はどうしていいかわからなかったんだ、
と言っていました。
糸井 おもしろいですねぇ。
御手洗 たぶん、ブータンの人の中にある自然な感覚は、
「お互いの人生の中で
 ふらっと一緒になることもあれば、
 ふらっと離れることもあって、
 またでも一緒になるかもしれないなぁ。
 それもご縁だなぁ」
というようなものなんじゃないかと思います。
だから、私がブータンから帰国するときも、
とても自然でした。
一応お別れ会をしてくれたのですが、
それはほとんど「たまこのお別れ会」
という口実の飲み会で。
糸井 ははははは。
御手洗 飲み会が終わるころには、
私がいなくなることはすっかり忘れていて、
解散のときには「じゃぁ、みんなまた来週ねー」
なんて言いあって。
そこで誰かが、
「あ、たまこは来週いないんだっけ!?」と(笑)。
糸井 ははははは。
御手洗 でも、私がある日、
ふらっとブータンに戻ったら、
「おお、たまこおはよう」なんて言われながら、
また自然とすっと、
その輪に戻れてしまうんだろうなという気がします。
なので、寂しいというより、
ひとつ、帰れる場所ができたというか、
簡単には消えないであろうつながりができた、
そんなうれしさのほうが、大きいです。
糸井 そういう意味で言うと、
ぼくは、ちょっとブータン人ですね。
御手洗 あ、ブータン人ですか。
糸井 うん。話を聞いていると、
どうやらちょっとブータン人ですね。
練習しないと「アイ・ミス・ユー」ができない。
御手洗 私も、その点はブータン人です。
糸井 あなたも?
御手洗 はい。
ブータンを去る2週間ぐらい前になって
「どうしよう、私、きっと泣けない」と思いました。
でも、思ったんです。
ある日、ふっと私が来たのも
ブータンの人たちにとっては
突然のことだったと思うんですよね。
糸井 うん、そうでしょうね。
御手洗 ブータンの仲間たちにとって私は、
ある日ふらっと現れて、輪に入り、
またふらっと去っていく存在だったのかなと思います。
そして、またふらっと戻ってくるのかもな、
と思っているような。
ブータンの人には、そうした、
一歩引いてものを捉えているようなところが
ある気がします。
糸井 それで、そういうあっさりした別れに
なったんですね。
あなたとブータンの関係って、
影響を与え合ったというより、
もともと資質として似ていたのかもしれませんよ。
御手洗 そうなのかもしれないですね‥‥。
先日、ブータンの上司が仕事で日本に来て、
再会できたのですが、
そのときも上司は、昨日も会っていたかのように、
「おー」みたいな軽いノリの挨拶で登場しまして。
夜ごはんを食べて帰るときも、
次はいつ会えるかわからないのに
「いやぁ、すっかり飲みすぎちゃったねぇ」
なんて笑いながら、
「じゃ、おつかれー!たまこも気をつけて帰るんだぞー」と、
また明日会うかのような挨拶で去っていきました(笑)。
糸井 でも、そっちのほうがラクだね。
御手洗 ラクですね。
糸井 泣いて抱き合ってっていうのも
うらやましいときもあるし、
自分でもやれるときもあると思うけど、
基本的には「じゃあね」のほうが
日本人に合っている気がしますね。
御手洗 そうですね。
糸井 「アイ・ミス・ユー」は英語ですから。
御手洗 別れるときの「アイ・ミス・ユー」って、
日本語だと、なんでしょう。
糸井 ないんですよ、たぶん。
日本の人は、別れるときに
「寂しい」って言わないものね。
「元気でね」とか、「じゃあね」とかになっちゃう。
御手洗 そうですね。
糸井 別れについて繊細な感情がないわけじゃない。
それこそ、馬と別れるのだって
「青の別れ」みたいな講談になっていたりするし。
だから、そういう感情をとどめておくのか、
表してしまうか、っていう違いですよね。


(つづきます)


2012-03-06-TUE