糸井 あらためてお伝えしますけど、
ぼくは御手洗さんのブログやツイッターを
ほんとにおもしろく読んでいまして。
御手洗 ありがとうございます(笑)。
糸井 もちろん、ブータンへの興味もあるんですが、
純粋に読み物としても楽しみにしていて、
なにが魅力なんだろうと思ったら、文体なんです。
文体がほとんど話体なんですよ。
御手洗 「ワタイ」?
糸井 話し言葉、セリフなんです。
あなたの書く文章って、
カギカッコの中の言葉だらけなんです。
首相も、同僚も、クリーニング屋さんも、
動物も、空も、雲も、
カギカッコでしゃべっているんですよ。
御手洗 たしかに、そうかもしれないです。
でも、あの、なんていうか、
ブータンの空気をセリフ以外で
伝えるのって、難しくて。
糸井 それは、御手洗さんが
セリフでしか伝えられないような
感じ方ができたからですよね。
つまり、ブータンでぼくらが出会った
夜這いの話をすごく熱心にしてくれる
おじいさんのことを例に挙げると、
彼の独特な魅力や雰囲気を
セリフを使わずに伝えるのは難しいと思うんです。
あの、しゃべりながら照れてたり、
身を乗り出してたり、大笑いしてたり‥‥。
御手洗 そうですね(笑)。
にやーっとうれしそうな顔をしたり。
糸井 でも、おそらく日本の新聞が
あのおじいさんを紹介するときは、
カギカッコをほとんど使わずに
新聞社的な書き方で書くと思うんです。
それに対して、御手洗さんの文体は
セリフを通してブータンの空気そのものまで伝えている。
そこに、すごく魅力を感じるんです。
御手洗 私は、「ブータンの人たちは、こういうトーンで暮らしている」
というのをそのまま伝えたいと思っていました。
糸井 じつは感覚的なんですよね、御手洗さんって。
一見、「んもうっ」な側の人で、
自己分析としてもロジカルなつもりでいるけれども、
ほんとうは感覚的なもののほうを
大切に思っている人なんですよ。
だから、ブータンで感じた戸惑いとか、
おもしろみとか、いらだちとか、感動を伝えるときに
ふだん「んもうっ」な気持ちで我慢していた部分が
どーっと、セリフの中に出ちゃって、
おもしろくなっていったのではないでしょうか。
御手洗 そうかもしれません。
糸井 ぼくがいちばん好きだったのは、
ブータンに雨が降ったときの、
あなたのツイッターのつぶやきですよ。
雨が降るだけで、あんなにおもしろくなる。
御手洗 雨、ですか。
糸井 なんだろう、おもしろかったねぇ。
だって、あれ、書く必然性ないんだもん。
御手洗 はい。
糸井 特別な景色でもないしね、雨は。
御手洗 私はブータンに住んで、
雨が、好きになりました。
家にいるときに、サーーーっと
雨がふってくる音が聞こえると、
「ああ、雨だ!」
と、とてもうれしい気持ちになります。
サーーーっと、いうんです。
小さな雨が、いっせいに森の葉にふりそそぐ音。
窓を開けていると、すうっと風が入ります。
でも、ツイッターで「雨が降っています」と書くだけでは、
この、うれしい雨は、伝わらないかもしれない。
糸井 うん。
御手洗 私もべつに、前から雨が好きだったわけでは
ありませんでした。
なんで、ブータンの雨はいいのかなぁと思って、そこで、
「ああ、音が違うんだ」と気がついたりしていました。
ブータンの私の家の周りで降る雨は、
アスファルトではなく、森に降り注ぐ雨でした。
音が、柔らかいんです。
糸井 それを、言いたかったんですよね。
御手洗 はい、伝えたかった。
糸井 それは、ブータンの季候をアピールする
公務員の立場とはまったく関係なく。
御手洗 そうですね、仕事とは、関係ないです。
糸井 まさに、「感じた」っていう話じゃないですか。
御手洗 ええ。
「いま、雨が降っていて、
 それはとてもやさしい音で、気持ちがいいです」
というだけです。
糸井 それが伝わるんです。
読んでいるほうも、ブータンの雨が好きになる。
それとおんなじように、
夜中に牛が遠くで鳴いてたり、
でっかいガガンボが部屋を飛び回ってたり、
そういう、わざわざ知らせることないだろう
っていうようなことを、
ひとりで作った歌を歌っているように
表しているっていうのが、
ぼくにはものすごくおもしろかったんです。
それは、誰かが目的をもって書いている
外国の旅日記みたいなものとはぜんぜん違うんですよ。
ひとりの人間が外国に行って、
話しかけて応える人がいるわけでもなく、
自然と語り合うようにつぶやくというのは
もう、古典のなかで歌に詠まれていることと近い。
御手洗 でも、ブータンにいる身としては、
そんなことはぜんぜん考えてなくて‥‥。
糸井 ご本人は。
御手洗 ええ。
ブータンの暮らしの中で、
セーターの袖がなくなったり、
上司とくだらない話で笑ったり、
水力発電について考えたり、
部屋で雨の音を聞いてたりする。
そうした生活を、自分が感じるバランスのまま、
つらつらと、書いていました。
糸井 それは、まさに、くちずさむ歌ですよ。
御手洗 ひとり言、のような。
糸井 そこでしょうね、ぼくが読みながら、
「これはいいなぁ」としみじみ感じたのは。
それはさ、なによりも
ブータンのよさを伝えることだと思いますよ。
御手洗 そうですか、とてもうれしいです。
ああいうものを書くのは、
国家公務員の仕事とはまったく違うのですけど、
仕事のすごくおおもとのところに立ち返ると、
「ブータンを知ってもらいたい」
っていう気持ちにつながっていました。
糸井 うん、うん。
御手洗 ブータンのことを知ってもらいたい。
でも、ブータンに暮らしながら私が感じる
「知ってもらいたいブータン」って、
GNHがなんなのかとか、
観光名所のタクツァン寺院が標高何メートルにあるか
っていうような話じゃなくて。
糸井 ブータンの雨。
御手洗 そう、その、空気みたいなところでした。
私がいいなあと思うブータンの景色の
香りみたいなものがちょっとずつ
読んでる人たちにも移っていって、
たまに、ふらっと、「行ってみたいな」と
思ってくれるくらいでちょうどいいのかなって。
糸井 うん。だから、その、御手洗さん個人が感じた、
「ああ、私はべつに雨が好きじゃなかったのに
 ここの雨が好きになっている」
っていうことは、そこの環境についての
すごくポジティブな話じゃないですか。
そういうものが、少しずつ積もって、
粘土細工になって、彫刻になって、
っていうふうに固まっていったら、
観光資源っていう名前がつくわけですよね。
ブータンの雨を観に行く、みたいな観光だって
あるかもしれないじゃないですか。
御手洗 ふふふふ。雨のブータン。
糸井 もしかしたら、ガイドさんが、
「雨が降ると、またいいんですよね」
って言うようなね。
そういうことが、御手洗さんがいた1年のあいだに
すごくできてたんじゃないでしょうか。
それは、ブータンの産業に対して
ロジックで役立つようなことではなくて、
好きだなあって、ちょっとずつ発見したことを
ぽつん、ぽつんと置いておくようなやり方でね。


(つづきます)


2012-03-05-MON