特別WEB掲載東京工業大学柳瀬博一教授の
メディア論B
メディアメーカー、
岩田聡さんについて
参考テキスト:『岩田さん』

任天堂の元社長としてゲーム人口の拡大に努め、
2015年に亡くなったあとも世界中のファンから
リスペクトされている岩田聡さん。
岩田さんの母校である東京工業大学で、
柳瀬博一教授が岩田聡さんを紹介する
メディア論の授業をしているということで、
教室におじゃまさせていただきました。
参考書籍はもちろん『岩田さん』です。

第5回岩田さんという人

自分たちの得意なこと

岩田さんは任天堂の社長になったとき、
かなり早い段階から経営目標を定めました。
それは「ゲーム人口の拡大」です。
コアなゲームファンだけでなく、
あらゆる層の人が気軽に
ゲームを楽しめるようにする、
ということですね。

これ、じつはですね、突き詰めていくと
高校時代の岩田さんの話に戻るとぼくは思っていて、
すなわち隣にたまたまいた友だちに、
「これちょっとやってみてよ」と勧める、
「おもしろいじゃん」とその友だちが言ってくれる。
これのN乗が「ゲーム人口の拡大」ですよね。
Nが1億になれば、日本人全員だし、
70億になれば世界人口全部になるわけです。

それには、ひとりひとりの具体的なお客さんと
向き合っていかない限り、
ゲーム人口は拡大できません。
あらゆる人が、具体的に、ゲームをたのしんでくれる
という状況をつくらないといけない。

そのために徹底的にこだわってゲームをつくる。
現場の人たちときっちり話をして、
まるでプログラマーがバグを取るみたいに、
よくない原因をたしかめて取り除いて、
ゲームをたのしんでもらうための環境を整えていく、
ということをやったわけですね。

もうひとつ、任天堂がいいゲームをつくるために、
ひとりひとりの社員にいい仕事をしてもらうために、
岩田さんがこころがけていた重要なことがあります。
それは「自分の得意なこと」を
ちゃんと知るということです。
これも『岩田さん』のなかに
とてもわかりやすく書いてあります。

同じエネルギーを注いでいるのに、
すごくよろこばれる仕事と、
そんなによろこばれない仕事がありますよね。
ものすごく苦労したのに
あんまり反応がなかったという経験、ありませんか。
一方、逆もありますよね。
すごくラクして、すぐできちゃったんだけど、
妙によろこばれて、ほめられちゃうもの。

これ、ラクをしたのにほめられるものが
「得意なこと」で、
苦労したのに反応が薄いものが
「得意じゃないこと」です。

みなさんが仕事とか、あるいは研究とか、
なにに取り組むかということを考えるうえで、
「自分の得意なこと」がなにかということを
早い段階で知っておくというのは
とても重要なことです。

たいしたエネルギーをつかってないのに
まわりにとてもよろこばれたり、
やってみたら異様に早くできちゃったこと。
それがその人の得意なことで、
それって必ずしも好き嫌いと関係ないわけです。
好き嫌いは趣味の世界でやっていていいですし、
不得意だけで好きなこともあっていい。
でも、仕事をするときに重要なのは
岩田さんの言っている
「得意なこと」の視点なんですね。

変わり続けること

この考え方を押し進めて岩田さんはこう言います。
つまり、よい会社というのは、
自分たちが得意なことをしている会社。
ひとりひとりが得意なことをしている集団。
得意なことをする集団というのは
ものすごく効率がいいから、
同じ人数、同じリソースでも、
ほかの何倍もの速度、効率で動けるわけです。
岩田さんが会社を経営するときに
一番考えたことのひとつは、これなんですね。

経営者としての岩田さんを考えたとき、
もうひとつ、とても大切なことがあります。

任天堂もそうなんですが、
いったん、会社が大成功します。
すばらしいことですが、
同時に難しさもここからはじまります。
それは、自分たちが成功したそのやり方が、
ほんとうにそれでいいのかと
問い続けなければならないという難しさです。

さっきも言いましたが、
ゲームのハードやプラットフォームは
技術革新によってつねに変わっていきます。
実際、岩田さんが大成功させた
ニンテンドーDSもWiiも、後継機に変わって、
いまはもうないわけです。

ハードもプラットフォームもどんどん新しくなる。
ということは、自分たちが成功させた、
いまいいと思っているやり方にこだわっていたら、
いつか立ち行かなくなるんです。
たとえば、ニンテンドーDSやWiiを大成功させた。
あとは、この環境を維持したまま、
いいソフトだけをつくっていけばいいんじゃないか?
というふうに思ってしまう。
それがじつは落とし穴なんですね。
これ、成功した日本の企業は
しばしばこういう状況に陥ってしまいます。

だから、よくいわれる、
「にほんでなぜiPhoneがつくれなかったのか?」
という原因のひとつがこれなんですね。

iPhoneやiPadが発売されるまえに、
そのベースとなる重要な商品がAppleから発売されました。
それがiPodという音楽の再生装置だったんですが、
この機械、トータルで技術的に考えると、
ものすごい発明があるわけではありません。
むしろ、従来の家電製品の仕組みのなかで、
インターネットという概念や
明らかに将来性がある技術を組み合わせて、
結果的にまったく新しいデバイスに仕上げた。
それがiPodとiTunesだったんですね。

言ってしまえば、これ、技術的には、
日本のどの家電メーカーもできたはずです。
ソニーなんか、もう、余裕でできたはずです。
でも、いま成功しているやり方にこだわってしまうと、
不完全だけど次世代を担うような
iPodやiPhoneはできないんですね。

メディアをつくる人

岩田さんは、自分たちが変わるということに対して
ものすごく意識的な経営者でした。
ですから、任天堂はどんなに成功しても、
自分たちを疑い、自己否定に見える道も選んで
新しくなるということをどんどん繰り返します。
だからこそ、新しいハードウェア、
つぎのプラットフォームをつくって、
そのうえで、昔から愛されているコンテンツは
ちゃんとバージョンアップして維持してる。
その両方をやってるわけですね。

岩田聡さんは、
経営者やプログラマーとしてというよりも
ひとりの人間として、
人をよろこばせるのが好きな人でした。
なにか問題があったら
原因を調べてその問題を解決し、
困っていた人をよろこばせる。
そういうことを自分のよろこびとして
感じられる人だったんですね。

たぶん、それは、高校時代に
はじめて自分でゲームのプログラムを組んで、
隣の席の友だちに遊んでもらったときから
ずっと変わらなかったのではないかと思います。

自分のつくったものを、友だちがおもしろがってる。
おもしろがっているのを見るのが、おもしろい。
それは、きっとみなさんもそうですよね。

これ、なんでもいいんですよ、
プログラムでもいいし、文章を書くでもいいし、
ほんとうになんでもいいんですよ。
なにかをつくって、あるいは誰かの問題を解決して、
その結果、人がよろこんだりうれしがったりする。
これを見ることが、じつはものすごくおもしろい。
ゼロからなにかをつくってたのしませる、
それが、クリエイティブですよね。

だから、自分自身がつくり手になるおもしろさ、
当事者でいるよろこびってここにあるんだと、
これは岩田さんは本のなかで強調しています。

さて、いよいよ、
この授業の最後のまとめになります。

東工大のホームページのなかに、
「スパコンからポケモンGoへ!」という
コンテンツがあります。

東工大が誇るスパコンTSUBAMEの開発に携わり、
設計を担当した松岡聡先生と、
『ポケモンGO』の開発者である
野村達雄さんの対談です。
(松岡先生は現在、
理化学研究所・計算科学研究センター長。
スパコン世界一となった
「富岳」の開発も牽引されました)

松岡先生は、さきほども話しましたが、
岩田さんといっしょに池袋西武のマイコンコーナーで
プログラマーとしての腕を磨き、
ともにHAL研で『ピンボール』などをつくった方です。

で、その松岡先生が東工大につくった研究室で
学んでいたのが野村達雄さんなんです。

野村さんは松岡さんのもとでスパコンの研究をして、
アメリカのGoogleでインターンをやったあと、
ビッグデータの解析やAIの研究をして、
『ポケモンGO』をつくるわけです。

対談のなかで松岡さんは、
不思議な縁について語ってます。

東工大卒業生のなかで、
ゲームの世界でクローズアップされた存在といえば
岩田聡さんでしょう、と。
そして、その岩田さんとも深く関係する
「ポケモン」のゲームで、
自分の研究室の教え子である野村さんが活躍されるのは
なにか不思議な縁を感じる、と。

「私は学生時代に彼(岩田聡さん)と一緒に
 ゲームづくりをしていました。

 その後、私はスパコン研究者の道に進み、
 岩田さんは経営者となって
 世界のゲームファンに敬愛される存在になりました。

 そんな岩田さんや野村さんのように
 コマーシャルな世界で個人がハイライトされることは、
 後進の若い人たちの励みになる、
 とても良いことだと思っています。

 …しかしまさか自分の優秀な教え子の一人が、
 かつての盟友である岩田さんの会社と縁の深い
 ポケモンのゲームで名をあげるとは
 思ってもいませんでした。
 なにか不思議な縁を感じています」
(「スパコンからポケモンGO!へ」より引用)

池袋西武百貨店のマイコンコーナーで出会い、
プログラムの腕を磨き、
同じ会社に入って『ピンボール』などの
ファミコンソフトを開発した岩田さんと松岡さん。

その後、松岡さんは東工大でスパコンを研究し、
岩田さんは任天堂の経営者になって
世界中のゲームファンに敬愛される存在になりました。
その松岡さんの教え子である野村さんが、
岩田さんと縁のあるポケモンのゲームで
また世界中のゲームファンをたのしませている。
なんだか、たすきが受け継がれているようで
おもしろいでしょう?

岩田さんと松岡さんがつくった
ファミコンソフトの『ピンボール』は、
最新ゲーム機であるSwitchでいまも遊べます。
松岡さんが開発したTSUBAMEというスパコン、
そして野村さんが開発した、
ビッグデータとAIを駆使した『ポケモンGO』。
東工大にゆかりのあるこれらのものは、
なんだかぜんぶつながっているような気がします。

ハードとプラットフォームは
技術によってどんどん進化していきます。
ファミコン、ゲームボーイ、64、
DS、Wii、WiiU、スイッチ、どんどん変わるよね。
でも魅力的なコンテンツやキャラクターは、
ずっと受け継がれる。永遠なんです。

アイディアや精神はずっと生き続ける。
技術はどんどん新しくなる。

岩田さんがすごかったのは、
その両方をつくったということなんですね。
彼がこれをどこで学んだのか?
ぼくはふたつあると思っています。
大学で学んだ部分と、街で学んだ部分です。

岩田さんは優等生ではなかったとおっしゃってましたが、
同級生の方はプログラム実習では
誰もかなわなかったと言ってました。
「体系的に知を学ぶこと」。
これは、大学でできるとても大切なことです。

一方、街で学ぶことは、お客さんのことを知ること。
そして、仲間をつくることです。

この両方をやったからこそ、
岩田聡さんという人は形成されたし、
世界中のゲームファンをたのしませることができた。
まさに、ハードとプラットフォームとソフトの
すべてをつくることができたのだと思います。

授業を通してぼくはずっと言ってきました。
メディアをつくる仕事は、理系が八割を担います。
その意味がわかっていただけたのではないかと思います。
ここにいるみなさんのなかから、
次世代のメディアメーカーが生まれることを願ってます。

ということで、私の授業はこれで終わります。
最後、うしろにいるアシスタントさんに
課題のレポートを提出してください。
レポートに関して、どうしてもまだ直したいという人は、
今日の18時までだったら
西9号館のポストが開いてるから、
そこに投函してください。

それでは、終わります。ありがとうございました。

これまでの岩田さんを知ってる人たち。