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最新の記事 2006/07/07
 
 
南極でおきているほのぼのとした出来事を中心に
メールを送ってくださる斎藤さんですが、
今回は
「この話はどこかの回で
 伝える必要があると思っていました」
という言葉をそえて
自然の厳しさを伝えてくれました。


南極の地吹雪、ブリザード。

昭和基地は冬まっただ中。
例年に比べ今年はすこし雪が少ないように思いますが、
風の強い日が多いようです。
すると降っている雪は少なくても、
ずっと以前に積もった雪が
大陸の彼方から飛んできて、数十メートル先、
時には数メートル先も見えないとても危険な状況になります。

そして風はまるで呼吸(いき)をしているように
強くなったり弱くなったりして、
私たちを「もう大丈夫」と誘うがごとく繰り返します。
これがブリザード。
もともと北米大陸北部地方の呼び方です。
いったん荒れ始めると数日続きます。

昭和基地ではブリザードの強さを
A級、B級、C級と三段階であらわしています。

階級 視程 風速 継続時間
A級 100m以上 25m/s 以上 6時間以上
B級 1km未満 15m/s 以上 12時間以上
C級 1km未満 10m/s 以上 6時間以上

気象庁が発表している風の階級を参考に
日本の生活に置き換えてみましょう。
もとは19世紀に
イギリス海軍提督フランシス・ビューフォートが考案した
ビューフォート風力階級です。
ちょっと半端な数字は
ノットをメートルに換算しているからです。

8.0〜10.7m/s 葉のある灌木がゆれはじめる。
池や沼の水面に波頭がたつ。
13.9〜17.1m/s 樹木全体がゆれる。風に向かっては歩きにくい。
24.5〜28.4m/s 陸地の内部ではめずらしい。
樹木が根こそぎになる。人家に大損害がおこる。
28.5〜32.6m/s めったに起こらない広い範囲の破壊を伴う。

これ以上の風速は状況説明がありませんでしたが、
4月10日に南極でおきたブリザードは
最大瞬間風速41.6m/s。
頑丈な建物も揺らいでいました。

さて昭和基地のブリザード。
いろいろな情報から予想はできますが、
突然やってくることもあります。
みるみる気圧が下がり気温は上昇、
風がいつも吹いている方向と変わり始めると、
ブリザードが来そうな予感。
そうなる前に、別の建物に行っている人は
食堂などがある居住区に戻り、
また観測がある人は逆に食事持参で職場へ移動です。

ブリザードの基準になると、
外出注意令や外出禁止令が発令されて
外の仕事はもちろん、建物間の移動もしません。
もっとも、目の当たりにすると外に出る気は
まったく起こらないですね。

ただ、万が一に備え、建物と建物はロープでつなぎます。
これをライフロープ、まさに命綱です。
このロープを伝うとどんな悪天でも
必ず建物に戻れるようにしています。
また全ての建物には長期滞在が可能な量の
非常食が常備されています。

日本の南極観測が始まって50年が経とうとしています。
これまで毎年、同じような環境の中で
安全第一に観測が続けられ、
とても大きな成果があがっています。

しかしとても残念なことにたった一人、
南極の地から帰ることができなかった方がいらっしゃいます。
第4次越冬隊、オーロラの研究者、福島紳隊員。
それは1960年10月10日昼食後のことでした。
8日から続いていたA級ブリザードの中、
視程がよいときを見計らい同僚と二人で
仔犬に餌を与えたのち、
海氷においてあるソリを点検するために外に出ました。
しかしソリまで行く前に天候が悪化し、
二人は戻ることにします。
悪天の中、雪面についた犬の餌になるアザラシの血痕をたどり、
やがて基地近くの岩までたどり着きました。
そこから昭和基地の建物はもう間もなく。
二人は嵐の中進みます。
しかししばらく進んだとき、
同僚隊員はふと福島さんがついて来ないことに気づきました。
その場から動くことも困難な中、
ようやく元の岩を振り返ると
そこに福島さんの姿を見つけ、
大声で呼んだものの突然姿が消え、
それ以来、戻ることはありませんでした。

その後、第4次隊は8日間、
昼夜に限らず捜索、
さらに昭和基地を離れるまで捜索を続けましたが
発見できず帰国。
そして後年、1968年2月9日、
第9次隊により昭和基地から5kmほど離れたところで
福島隊員が見つかりました。

現在、基地内に張り巡らされているライフロープ、
そして外出禁止令などは
この事故の反省の上にあります。
以降、観測隊の殉職者はありません。

福島さんが立っていた岩は
昭和基地からいろいろな観測に出て行くところです。
そこには「状況判断の的確さ冷静さを忘れるな」と
若き研究者が教示しているかのごとく
ケルンが建立されています。


居住区を出たところから見えるケルンです。
赤い建物は車を整備する作業工作棟。


ケルンの前を通るとき「行ってきます」と声をかけ、
安全に戻ることいつも頭に入れ、
気を引き締めて観測・調査に向かいます。


福島ケルン。
奥が海氷で、この横が昭和基地と海氷の出入り口です。
ここを通って調査・観測に向います。


2006年7月5日16:00、
気温−32.0℃、風速4.5m毎秒。
今日は一日中−30℃を下回っています。
さすがに寒い。
南極観測隊 斎藤健

【参考資料】
ビューフォート風力階級
新田次郎著「非情のブリザード」

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南極にいる動物たちや、
お祭りをしている観測隊の方々のすぐそばには、
このような厳しい大自然があるんですね。

斎藤さんからのメールにはたまに
「●日〜●日まで外に出てきますので
 メールを確認できません」
というメッセージが入っています。
いままでは、
泊まりがけで調査に出られているのかな、
と思う程度だったのですが、
このような話を聞くと、
あらためて強く
斎藤さんをはじめ南極観測隊のみなさんが
安全に基地に戻ってきて
また連絡がとれるようになることを
願わずにはいられません。

斎藤さんが無事にパソコンの前に座ったとき、
みなさんからのエール、激励はもちろん、
のんびりとしたお便りや質問も
とても喜んでいただけると思いますので、
ぜひメールをお寄せください。
件名を「南極観測隊斎藤さんへ」として
postman@1101.comにて
お待ちしてます!

南極観測について、
さらに知りたいという方は
こちらの「極地研究所」のホームページ
ぜひご覧ください。
 
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