2020年3月11日 若い3人、気仙沼へ行く。HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

りゅートリックス(RyuTricks)

1996年生まれ。早稲田大学 社会科学部卒。
フリースタイルフットボーラー・コンテンツクリエイター。
大学卒業の次の日、就職せずにボールを持って渡米。
現地でストリートパフォーマンスをして生活しながら
アメリカ横断を達成。
ニューヨークでの動画が
国内外でニュースになるなど話題に。
現在SNS総フォロワーは約50万人。

フリースタイル・フットボールの りゅートリックスさん。 - ほぼ日刊イトイ新聞
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2011年3月11日、
どこでなにをしていましたか?

2011年、自分は当時、鎌倉の私立男子校に通う中学2年生。
そして3月11日は初めて骨折した日。

その日、校庭で部活をやっている生徒の中で
「あ、地震だ!!」と最初に気づいたのは自分だったのに、
いちばん避難が遅れたのも自分だった気がする。

ラグビーの練習中、人生初の骨折(しかも足)を
地震発生数十分前にしてしまっていたようで、
地面にうつ伏せで倒れていた。

逃げ足だけが武器だったのに、
もし次にもう一回惨事が起きたら、
いちばん逃げ遅れるのは自分だと考えると少し恐ろしかった。

その後、街はほぼ停電し、交通機関が全て止まっていた。
家に帰れない人は、学校の真隣にある建長寺で、
カンパンと布団が用意されみんなで宿泊することになった。
当時14歳の本音を言うと、
ちょっとした修学旅行気分のワクワク感もあった。

でも翌日、足を引きずりながら病院に向かい、
そこの待合室のモニターで
東京のビルから炎が吹き出す映像や、
東北の惨状を初めて見た。

あのたった一瞬で、そう遠くはない土地と人々の生活が
めちゃくちゃに変わっていた事に衝撃を受けた。
それと同時に、気付かないだけで、
身の回りに計り知れないたくさんの、
しかも巨大なリスクに日々囲まれていながら、
安寧に生きれているのは
もう「運」としか言いようがないなと感じた。

無神論者だけれど、最近自分たちの力の及びえない
「運」というものを意識する機会が多くなってきた。
3.11は自分にとってその原体験とも言えるかもしれない。

(りゅートリックス)

ほかのふたりの
2020年3月11日。

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