『新選組!』
with
ほぼ日テレビガイド
第38回 「ある隊士の切腹」を見て

〜読者のみなさまへ〜

「ほぼ日テレビガイド男子部修学旅行」
でお伝えしたとおり、今回の男子部の雑談は、
京都にて、放送を観たあとに行われました。
そこには堺雅人さんもいらっしゃって、
雑談にも自由に入ってきてくださったのですが、
発言の掲載についてうかがったところ、
「ドラマがまだ続いているのに、
 その途中で出演者だった自分が
 それについて発言するのはよくないと思う」
というはっきりとしたお答えをいただきました。
そのため、今回の「ほぼ日テレビガイド」は、
堺さんの発言をすべてカットして編集してあります。
たのしみにしてくださった方も多いと思いますが、
なにとぞご容赦くださいませ。


永田 さあ、たったいま、京都で、
第38回を全員で観おわったところですが‥‥。
西本 いやあ‥‥。
糸井 きっついなあ。
永田 なにも京都でみんなで
こんな回を観なくても‥‥。
西本 でも、よかったですね、ほんと。
ふたり よかった。
糸井 まず、軽いところから‥‥いける?
永田 いや‥‥もう、重いところから、
どんどん話していきたい気分です。
西本 ひとつ、報告しておきましょうよ。
読んでる人も気になるでしょうから。
今週はね、会いましたよ。
『新選組!』関係者に!
なんと、山南を演じてる堺雅人さん!
糸井 偶然ですけど、ぼくも会いました。
永田 ‥‥横に、浴衣着て、
座ってらっしゃるじゃないですか。
一同 (笑)
糸井 しかし、これでもう、にしもっちゃんの
「会いましたシリーズ」が
尽きたんじゃないですか。
西本 ええ。確かにそうです。
むしろ今回が総集編、最終回です!
永田 悔いないよね?
西本 ええ、もう、満足です。
糸井 まず堺さんが、
ぼくらがあまりにも押し黙って
熱心に観ているのでびっくりされてましたね。
永田 熱心さでは、女子部に「気持ち悪い」と
いわれるくらいの我々ですからね。
西本 堺さんも真剣でしたよ。
というか、正座に腕組みで
テレビを見つめる姿
にどきどきしました。
糸井 とにかく、同席したべっかむ3を含め、
5人で1時間、ひと言も発せず観ていたと。
永田 修学旅行における夜の過ごしかたとしては
やや異常かと思われます。
糸井 熱心さだけがぼくらの取り柄ですから。
永田 思えば、3人そろって
録画じゃない放送を観て、
直後にこうして話し合うのは
『新選組!』でははじめてですね。
糸井 あああ、そういえばそうだね。
『離婚弁護士』以来。
西本 「ほぼ日テレビガイド」の
原点に戻った感もありますね。
永田 頭のなかを整理しながら
無理矢理ことばにして
ぶつけ合っていく感覚が久々です。
西本 ちょっと戸惑ってます。
糸井 で、まあ、やっぱり、
今回は「ある隊士の切腹」ですよ。
永田 ‥‥悲しかったなあ。
糸井 ‥‥渾身の一撃だったねえ。
西本 ‥‥まいりました。
糸井 こういう言いかたは変だけど、
新選組を観る理由を
また思い出した感じがするな。
西本 そうっすね。観る我々としても、
歴史的に少しずつ悪い方向へ進む新選組に
ちょっと慣れてきたかもと思ったころに。
糸井 嫌いになっちゃうぞと
自分で脅かしを入れながら
観ていたこともあるもん。
でも、ガツンときたよなあ。
永田 悲しい回でした。
ダントツで悲しい回でしたね。
これまでも悲しい回はあったんですが、
いつもは悲しいだけじゃない、
「なにか」があったと思うんです。
でも、今回は純粋に
「悲しい」で終わった回だったなあ。
糸井 新選組全体の印象もいつもと違ったね。
偏った理想の追求というよりも、
「堕ちた」って感じだよね。
ここからはますます事実としては
なんでもない組織となっていくわけで
まあ、人間になっていくわけですね。
西本 歴史的な意義がどうこう言うより、
人間としての純度が
どんどん高まっていってますよね。
三人 ‥‥‥‥。
糸井 いやあ、ちょっと黙っちゃうね(笑)。
西本 ‥‥まいりましたね。
観たあとに、すぐしゃべれる
永田さんはどうですか?
永田 ぼくは、こう、全体として、
脚本を書くって残酷なことだなあ、
と思いました。
糸井 永田くんはいつもつくり手に行きますね。
永田 ああ、そうかもしれません。
今回でいうと、つくっているほうは
お話をどんどん悲しくできるじゃないですか。
けど、それを自分で止めることもできる。
逆に、もっともっと悲しくもできる。
三谷さんほどの力があれば、
どんどんいけちゃうわけですよね。
「こうすればもっと悲しくなる」って。
たとえば、河合が助かる夢を見るとか。
谷が介錯を失敗するとか。
飛脚があとから来るとか。
つけ足してつけ足して、
どんどん自分で悲しくしていく作業というのは
いったいどういうもんだろうと思いました。
糸井 たしか史実でも、
谷三十郎が介錯を失敗したり、
飛脚があとから来たりというのはあるんだよね。
ただ、それをどう組み込むかというのは
作者しだいだからね。
つまり、材料としては、あらかじめ、
もう、えげつないくらい、いい話なんですよ。
それ自体がものすごい
イヤなドラマじゃないですか。
永田 そうですね。
そういうものが、イヤなものの材料として
三谷さんにそろっていて、
書いていくなかでそれが
一体化していくんだと思うんですけど、
作家としてどんどんお話を
エモーショナルにしていく自分と、
プロデューサー的に
ただの重い話にしてはいけないという
自分がいるんだろうなあと思って。
もちろんプロ中のプロなんだから、
こんなことを言うのは失礼ですけど、
「どんどん残酷にできてしまう自分」
っていうのは、どういうもんなんだろうと。
糸井 作家って「かき乱す」ということを
喜びとして見いだすところがあって
その意味では、どんどん、
サディスティックになっていくんです。
そういう性質って、
たとえば政治家の仕事なんかとは
相容れない部分で、
現実に対して本当の力をふるえないからこそ
書くというところにいくわけで、
それってどこまでも観念だから
ぶっ飛ぶんですよね。
だからこそ残酷にもできる。
今回は、そのすごみが見事に
表れた回だったんじゃないですかね。
永田 なるほどなるほど。
糸井 思えば、いかに山南さんの切腹が、
みんなの意志がひとつにそろっていた、
キレイな切腹だったかということだよね。
みんなが武士で、
みんなが同じ美意識を持っていて、
まあ、ぼくはそれを
「山南さんは自分たちの中に刃を向けた」
と表現したけど、
その意味で隊列はととのっていたよね。
今回は隊列が整ってないんだ。
永田 いや、きたない回でしたよ、その意味では。
そのへんのきたなさとか、
バラバラな、やり場のない感じが悲しい。
山南さんの死は、
「だからオレたちはこうするんだ」という
ステップになるような意義があったんですけど、
今回の河合の死はステップにすら
なってませんから。
糸井 山南の死のところには、
ある種、数学的な意味が含まれてましたからね。
つまり、あれによって、法度というルールを
全部統合して、法則を完結したわけだから。
だからこそ、それを壊すわけには
いかないんだというつくりでしたよね。
永田 キレイな切腹が統合した法則に従って、
今回のふぞろいな切腹が生まれたと。
糸井 ですね。切腹の描写ひとつとってみても
ふたりは対称的でしたね。
「形だけでいいんだぞ」といったけど
ものの見事に最後は刺したしね。
それが痛かったね‥‥。
西本 あの、「いつつ数えていいですか?」
っていうのが‥‥まいったなあ。
糸井 あの「いつつ」はまいったねえ。
あいたたたたた。
永田 あと、「‥‥飛脚は来ませんか?」
ふたり あいたたたたたた。
永田 視聴者としては、最後の最後まで、
「飛脚来てくれ」と願うんですよね。
切腹の場面からは独白形式が終わって
ドラマのなかの時間が
リアルタイムになってるから、
「ひょっとしたら‥‥」が
ほんのちょっと残ってるというか、
願うことが許されるんです。
だけど、「飛脚は来ませんか?」と
河合が言えば言うほど
「ああ、その線はないんだ」というふうに
観る側が追い込まれていく。
ドラマの展開を願うことすら
できなくなっていくんですよ。
糸井 息苦しいほどだったね。濃かったなぁ。
あれはアイデアだよねえ。
そういうアイデアでいうと、
あの「いつつ」を
誰もだれもカウントしてないというのが
すごいんだよ。
永田 あーーー、なるほど。
糸井 観ているお客が、
「その『いつつ』って、
 どういうふうに数えるの!」
って思うんだよね。
永田 展開を願うことも許されなくて、
さらに、その瞬間がいつくるかも
予想できないようになってるんだ。
西本 息苦しいうえに、身構えられない。
糸井 ぜんぶがぜんぶ、
切腹する河合まかせなんだよね。
その構造は、ちょっとすごいよ。
西本 はああああ。
永田 それで、最後の最後なんですけど、
ぼくは救いだったなと思うのが、
画面がホワイトアウトしたじゃないですか。
いままでなかったパターンだと思うんですよ。
糸井 そういえばそうかもしれないね。
成仏のイメージ?
永田 かなあ、と。ずいぶんしっかりと
ホワイトアウトした印象がありましたから。
そこが唯一の救いとして、印象的でした。
糸井 いい人として死んだという表現ですよね。
ただの見苦しい、
ハンパな侍の美意識に
因るような死に方じゃなくて
「ひとりの人間としてあなたは立派でしたよ」
と献花をしたみたいなもんですよね。
永田 あと、今回、刑事コロンボ方式というか、
先に事実を知らせて、
モノローグで進められることによって、
時流を行ったり来たりさせてますよね。
あれも三谷さんのサービスというか、
河合の12日間を時間を追っていくと、
もっともっと重くなったと思うんですよ。
あの形式だから、まだ、
観る側のバランスが保てたのかもしれません。
西本 そのあたりは、
舞台のお芝居っぽかったですね。
永田 あ、なるほど。
糸井 いやあ、なんか、河合以外のことを
思い出せなくなっちゃたな(笑)。
一同 (笑)
糸井 もっと、ほかにもあったはずだけど。
西本 ぼくは「飛脚は‥‥」のセリフが
耳から離れないんですよ。
永田 オレもオレも。
西本 あと鈴の音。ドラマのなかでも、
前フリの鈴の音が
記号としてずっと残ってましたよね。
糸井 あそこもよかったよね!
お寺の侍に「聞こえませんか?」って
言ったあたりとかさあ。
やりすごしてもいいような感じで
しかも大した伏線じゃないように
「いま、飛脚の音が‥‥」
って言うじゃないですか。
西本 あれはほんと、うまかったです。
永田 うん。ぼくはほんとにあそこで
飛脚が来たんだと思いました。
夢のシーンよりも、そう思った。
西本 あと、独白している大倉さんの表情。
今まで、どちらかというと
コミカルな印象のあった大倉さんが、
あんな目で語ることに
ドキッとしましたね。
すごく二枚目だな、と思いました。
永田 とくにあの、夢から覚めた直後、
独白に戻るところは差が歴然としてましたね。
なんか、憑きものがおちたような、
さっぱりした、体温のない表情で。
糸井 あの演技は、大倉さんの代表作になるというか、
今後、別な役で主役をはったときに、
この場面が思い出されるのかもしれないですね。
西本 今日の回は、流れとしては
「道の回」なんですよね。
糸井 「道の回」というよりも、
「川の回」というか、
道なんかよりもっと太い流れが
感じられますよね。
西本 かといって、歴史年表で
語られるような流れではなく。
糸井 「ある隊士」ですからね。
誰でもあるということでしょ。
「anyone」なんですよ。
永田 そうなんだよなあ。
そのへんもツラいんですよねー。
今日の回は、なんていうか、
残りますよね。身体の中に。
テレビの真ん前で観ていたからかも
しれませんけど‥‥。
西本 そうそう、いつもはぼく、
永田さんの前で観てるじゃないですか。
今回は永田さんの背後から観てたから、
違った意味でどきどきしましたよ。
悲しい場面があるたびに、
永田さんが「びくっ!」って動くから、
これはもう、
彼を抱きしめてやるべきなのかと。
一同 わははははははは!
糸井 しっかし、こういうものを
ひとりで考えてつくっている
人のことを思うとおもしろいなぁ。
西本 今回を観て、また心新たに思ったのが、
この役者さんたちで、
このドラマを観ることができて、
ほんとうによかったなぁということですね。
有名な俳優さんもたくさん出ているなかで
今回のように、大倉さんのような、
これまでメインに来なかったような
役者も観ることができて。
最初に『新選組!』を観たとき思ったように
これから20年くらい、
大倉さんに代表されるような役者さんを
ぼくらは観ながら
生きていくんだなぁと思いました。
長いつきあいだけどよろしくねと。
糸井 それは観はじめたころに
ものすごく思ったことだよね。
「知らなかった役者を知った」というよりも
「出会った!」という感じがしますね。
西本 そうですね。
糸井 そうだ、もうひとつ、思い出した。
今回は斎藤一も別の魅力を持ってたね。
「仲間を斬るのは、誰だってイヤだ」
と言うあたりとか、悪夢にうなされたりとか。
斉藤一という人物の陰影としてよかったね。
西本 オダギリファンとしても、
すごく印象深かったです。
永田 ふだん、その人物がやらないことをやると、
よくもわるくも観ていてショックですよね。
介錯を当然のようにこなしていた
斎藤がああいう悪夢を見たり。
今回の河合の切腹も、前回の松原の死も、
死ぬような人に見えないだけにキツい。
糸井 これまでは、いわば、
「なんでもないような人」として
扱われてましたからね。
まあ、違った言いかたをすると、
いまの新選組は、なんでもない人にとっては
決して優位な組織じゃないということだよね。
それ、組織としてはつらいことですよね。
西本 そうっすねえ。
内部に対してだけじゃなく、
外に対してもそんな感じですよね。
どんどん「大衆のための組織」
ではなくなっていってる。
永田 でも、はたから見ると
どんどん大きな組織になっているように
思えるんでしょうね。
きっと京の街では、
「西本願寺に移って順調だねえ」
なんて言われてるんだろうし、
長州の人たちも
「新選組のやつらはシャレにならん」
みたいなことを思ってるし。
西本 言ってましたよね。
「いまいちばん怖いのは新選組だ」って。
糸井 ところが中はどんどん腐っていっている。
それを冷静に見ているのが甲子太郎で。
永田 今回は久々に甲子太郎イズムが満載でした。
糸井 大きな目で見れば、今回のことは
甲子太郎が新選組に入ったことによって
起こったドラマですからね。
伊東側があの本を
手に入れるという背景がなかったら
メガネノオカッパは返したわけですからね。
西本 バレバレでしたからね。
「そんな男はひとりしかいない」と
土方も言い切ってましたから。
永田 あそこ、今回で唯一、
ぼくらが笑えるポイントだったですね。
西本 「長髪の総髪で、メガネをかけた‥‥」
永田 あれ、本屋の店主に
「メガネの、オカッパの人が」
って言ってほしくなかった?
西本 あああ、言ってほしかったですねえ(笑)。
糸井 「メガネノオカッパ」
というあだ名をつけた身としては
ちょっとうれしかったですね。
西本 あと、土方の肩を、
ポォンと叩くところもよかったですよ。
糸井 だけど、今回は、観柳斎もよかったよねえ。
これまででいちばんよかったというか、
いちばん、男らしい顔でしたね。
いちばん、弱くてダメな回だったけれども。
永田 土方に向かって
「その本を返してもらおう!」
って手を差し出すところなんかよかったです。
弱者なりの強い決意があったというか。
糸井 そして、その観柳斎をかばう近藤がいいんです。
今回の近藤はものすごくよかったですよ。
「観柳斎はオレだ」と言う場面の人間の大きさ。
つまり、観柳斎がめいっぱい背伸びして、
それ以外に道がないんだというところを
ぎりぎり歩いているわけですよね。
その観柳斎を「自分も同じだ」と認めることで、
近藤さんの魅力がドーンと出ましたよね。
土方はそれを言えないんです。
「士道に反するやつ」をグッとにらんで、
近藤さんが止めるのを待つ役なんですよ。
だから、土方の考える美意識に反する
観柳斎に対して、
ものすごい刃を向けるんだけど
それを救う逆の刃は持っていない。
ところが近藤さんは
それを持っているんです。
それを見事に表現した回だったと思うんですよ。
そうすると、かっちゃんにみんなが
ついていく理由ってやっぱりすごいんだなと、
あらためて思えましたよね。
そのあたりを久々にきちんと
描いたなと思ったんですよ。
西本 近藤がその場にいないからこそ
その存在が非常に重いものとして
感じられたということですね。
永田 近藤のいない座布団が
大きく見えましたよね。
糸井 裏を返すと、土方の魅力も
すごく強く出ていた回だったといえますよね。
それだけの強い美意識を持っている
土方の責任と葛藤が、
切ないほど描かれてましたから。
そうやって土方を最高に表しながら、
その最高の上に近藤さんを置いたわけですよ。
これは、ほんとうによかったなあ。
永田 つまり、河合という
「ある隊士の死」を通して、
観柳斎の小ささ、土方の強さ、近藤の大きさを、
それぞれの「らしさ」として
描いた回だったんですね。
糸井 そういうことです。
だけどさあ、土方を救う人って、
ほんっとにいないんだよね。
ツラいよなあ、あれは。
モテモテさんだったわけだから、
女と遊ぶっていうのも
そんなにうさばらしにならないだろうしなあ。
西本 「かっちゃん」とつぶやくあたりの
土方の表情とか、よかったですよねえ。
永田 先週も土方が「誠」の旗を
見つめる場面がありましたけど、
今回は「誠」の文字が
先週よりも大きくなっていて、
ひとり歩きしていく「誠」を
象徴しているように思えました。
西本 なるほど。
糸井 そういや今回は、
寺田屋で龍馬が幕府に囲まれるという、
ほかのドラマなら一大クライマックスに
なりそうな場面もあったんですよね。
永田 あ、そうだ!
西本 その後の展開で、
すっかりかすんじゃいましたね。
どっちかというと小ネタ扱いでした。
おりょうさんのお風呂の場面すら、
印象が薄いです。
糸井 無駄足を踏んだ近藤の広島出張も
完全に小ネタ扱いになってたよね。
永田 あそこで土下座してたの、
よゐこの人でした?
糸井 そう?
西本 違うでしょ?
永田 「そうは申されましても!」
ってずっと言ってた人。
ふたり 違うんじゃない?
永田 あれ? そうですか‥‥。
(後日、よゐこの濱口さんと発覚)
糸井 あっ、そうだそうだ。
寺田屋で龍馬が囲まれるシーンは、
扱いは小さかったけれど
じつは今回の裏テーマが
表現されてましたよね。
ふたり なんですか?
糸井 今回の裏テーマは、
「刀の時代が終わりましたよ」
ということです。
ふたり あーーー!
糸井 完全に鉄砲の時代が来ちゃってるわけです。
龍馬が逃げていくとき、ピストルひとつで
ひょいひょい逃げていきましたよね。
その意味では、いままで信じられていた、
兵法だとか、戦略だとか、
それこそ心意気だとかということが、
バンバン打ち砕かれますよという話なんです。
新選組が、根っこのところでずっと持っていた、
「剣の強さ」というものでさえ、
ついに意味を失ってくるということですよ。
剣の達人の集まりである彼らも、
もう鉄砲の前で無力な人々ということでしょ。
永田 ああ、そうかそうか、そうですね。
それは痛いというか、ツラいなあ‥‥。
だから武田もカンニングをするように
あの西洋兵法の本を手に入れたんだ。
西本 自分が生き残るためには、
ひいては、新選組が生き残るためには、
誰かを犠牲にしてでも
学ぶ必要があったわけですね。
糸井 その意味では、今回は、メガネノオカッパが
主人公だったともいえますね。
死んだ大倉さんは主人公のサブの役回りで。
だから、振り返ってみると、
今回は「ある隊士」という
無名の隊士が死んだわけだけど
無名の隊士は何に殺されたかというと
鉄砲に殺されたんですね。
永田 近代化に殺されたんだ。
糸井 そうです。さらにいうと、
薩長が武器の力を持ったことも
忘れちゃいけませんよね。
これから先は、
「斬り込む人」対「撃つ人」
という構図になってきますから。
だから、龍馬が鉄砲を撃ちながら
軽々と逃げていくというのは
ものすごく上手な演出だと思いますよ。
西本 軍備については
新選組でも近代化として
大砲は撃ってはいたけれども、
各自が槍を手に持つなんてことも
描かれてました。
永田 そういえば、けっこう前の回で、
ささきいさおさん(内山彦次郎)が
新選組に殺されるときに、
拳銃を出してましたけれど、
あれはむしろ逆の意味でしたね。
剣の前では無意味という、
使い切れてない近代化の
象徴として描かれていた。
西本 ばっさり斬られちゃってましたからね。
糸井 あのときは近代化の勢いや、
浸透具合が違ったんでしょうね。
歴史の表テーマは、
いま完全に剣から鉄砲へ流れてますよね。
永田 うーん、なるほど。
そこはまったく気づかなかった。
糸井 そんなところですかねえ、今回は。
ほかになにかありますか?
永田 ええと、最後にホウキを折って
空に向かって泣く照英さんがよかったです。
西本 ああ、あれはよかった。
糸井 あの人はほんとうにああいう
真っ直ぐな人なんでしょうね。
役者に合わせて話を書くという
三谷さんらしい場面でしたよね。
西本 ぼくは土方が柱に頭をぶつけるところ。
それから、ぐっさんの呆然とした表情。
永田 あの横顔は悲しかったなあ。
けど、あそこでなにより印象的だったのは、
「山南の死が無駄になる」って
土方が言っている場面で、
ぼくの視界の隅に、
座ってる堺さんがいるってことですよ。
なにがなんだかわからないような感じでした。
西本 土方が「山南」って言った瞬間、
部屋の空気がピリッとしましたよねえ。
糸井 あれって、要するに、
自分の葬式を観てるようなものだよね?
(笑)


ほぼ日テレビガイド
〜女子の部〜



モギコ
余は眼福である!

ゆーないと
な、なにごとですか。

ナカバヤシ
だいたい察しはつきますけどね。

モギコ
余は眼福である!

ゆーないと
「ガンプク」ってなんですか?

ナカバヤシ
貴重なもの、美しいものなどを
見る幸せ。目の保養。
(※岩波国語辞典第六版より)

モギコ
裸三昧である!

ゆーないと
あっ、わかった!!!!!
今回は、男性陣の裸が
すげー多かったってことだ。

ナカバヤシ
そういうことですよ。

モギコ
斎藤一!

ゆーないと
沖田総司!

ナカバヤシ
藤堂平助!

モギコ
原田左之助!

三人
余は眼福である!

モギコ
左之助のふんどしは
緑色である!

ふたり
細かっ!


ほぼ日テレビガイド
〜美術部〜




ほぼ日テレビガイド
〜読者の部〜

(※印象的なメールを毎週一通紹介します!)

=
第37回『薩長同盟締結!』の回で、
女子部のナカバヤシさまが
「あのコンペイトウは
 なんなんだっ!
 伏線なのか! 象徴なのか!」

とおっしゃっておられましたが、
あれはおそらく象徴ではないか、と思われます。
薩摩屋敷で供された薩摩切子の鉢に盛られた
神々しいまでのコンペイトウの山。
当時、砂糖は非常に貴重で高価だったものです。
しか〜し! 薩摩は奄美・琉球を支配しており
日本における砂糖を一手に握っておったのです!
そして薩摩切子も薩摩焼きとともに
海外に輸出していたはずです。
あのコンペイトウの山は砂糖等で築いた
薩摩の富を象徴するとともに、
ぶすくれた顔をしながらも
ここぞとばかりにばっくんばっくん
コンペイトウを食する桂改め木戸君のセコさをも
象徴しておるのではないか、
と拝察いたします。
(おかべ)

postman@1101.comまで、ぜひ感想をくださいね!
このページを友だちに知らせる。
 

2004-10-01-FRI

戻る