国家・家・大衆・
知識人

  • 時間

    80
  • 音質

    年代は古いが
    クリアに収録されている。

  • 講演日時:1966年10月31日
    主催:大阪市立大学社会思想研究会/大阪市立大学新聞会
    場所:大阪市立大学
    収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年)




〈大衆の原型〉というのは、
自己の生活の繰り返しの範囲でしか
自分の考えを動かさないということです。
大衆はどういう歴史のくぐり方をしてきたかを
考えてみますと、たとえば中野重治の
「村の家」という作品に出てくるような
おやじさんというのは、一面でいうと
赤紙がくれば即座に応じて兵隊となって戦争へいき、
自分の命がなくなっても戦争をやる。
そしてある場合には戦争をやり過ぎて、
軍部上層の意図を超えて残虐行為もやってしまう。
つまり、〈大衆の原型〉は、国家から支配されれば
支配のままに揺れ動くとともに、本当の意味では
国家と接触さえもしていない存在として考えられます。
そのことは、大衆が近代的意識を
乗り越えてしまう基盤を持つひとつの契機を
なすのではないか、という考え方も成り立ちえます。
知識人であることの意味は、
いかにして〈大衆の原型〉が本質的にはらむ問題を、
自己の思想の問題として組み込むことができるか
という問題を避けない、ということです。