エスコートナースという仕事

──
ルミさんは
院長のクリニックに勤務するかたわら、
「エスコート・ナース」としても
世界各地を飛び回っているんですよね。
山本
ええ。
──
エスコート・ナースというのは、
海外旅行中などに
外国で病気になったりケガをしたりして
自力で帰れなくなった人を迎えに行き、
母国に送り届けるお仕事だそうですが、
それって、どんな感じで依頼が来るんですか?
山本
もう、完全に「突発的」ですよ。

この間なんかは「超突発」で、
夜の10時にパリのエスコート派遣の会社から
電話がかかってきて
「明日、モンゴル行けない?」って。
──
明日。しかもモンゴル。
山本
で、たまたま次の日は休日だったから
「いいよ」って。
──
そこまでの突発‥‥でも、そうですよね。
ケガとか病気が相手ですもんね。
山本
午後1時の飛行機だと言われたので
お昼前には羽田空港に着いてたんですけど、
ま、そこから、
モンゴルの飛行機が飛ぶだ飛ばないだで
大揉めに揉めて、
もう、ありえないくらい大変だったのよね。

そのへんは長いので割愛するけど
結局、午後8時発の飛行機に乗れたんです。
──
お昼前に着いてたのに、午後8時‥‥。
山本
あちらに着いたのは夜中の1時かなんかで、
2時間くらい仮眠したら
もう、患者さんを迎えに行く時間になって。

その人は、ベルギー人でした。

そこで、まずモンゴルからモスクワに飛び、
次にモスクワからパリへ飛んで、
最後、パリからは救急車で陸路ベルギーへ。
──
いや(笑)、笑っちゃうほど、すごいです。
ちなみにその人、病気か何かで?
山本
モンゴルの自然を満喫するみたいな、
アクティブなツアーに参加してたみたいで、
大草原を馬に乗ったり、とかね。

で、その日は釣りだったらしいんだけど
みんなで岩場を歩いていたら、
なんか上のほうから
大きな石がガラガラガラっと落ちてきて、
彼女の足にヒットしちゃったんだって。
──
うわー‥‥。
山本
ずっと出血が続いてるって聞いてたから、
ダラダラ流れてんのかと思ったら、
そうじゃなくて、すごい内出血を起こしてた。

かなりの量の血が固まっちゃっていて、
そこら中の神経や血管を圧迫して、
足が、パッンパンに腫れ上がっていたんです。
──
遠く離れた国で、そんな大ケガをしたら、
さぞかし心細いでしょうね。
山本
そういう状態だったんで、
すぐにでも連れて帰ってくれってことで
私が呼ばれて行ったんですよ。
──
「東京からモンゴルへ
 大ケガしたベルギー人を迎えに行って
 モンゴルからモスクワ、
 モスクワからパリを経由して
 最後は陸路で
 ベルギーまで送り届ける日本人ナース」

あらためて、ものすごいです。
山本
それがさー、帰りも大変だったのよー。
──
‥‥いかがなされましたか。
山本
送り届け終わって、超疲れてたのね。

でも、まだ夕方の6時くらいだったから
外はものすごく寒かったんだけど
近くの駅へ、翌日の帰りの列車の発車時刻とか
料金は8ユーロねとか確認しに行って
朝食のヨーグルトだけ買って、
宿に帰って早めに布団に入ったら‥‥。
──
ええ。
山本
真夜中0時、急激にお腹が痛くなったの。

羽田を出てからというもの、
ずっと「GO! GO! GO! GO!」だったから、
便秘かなとも思ったんだけど
そのうち我慢できないほどの痛みが来て、
一度トイレに走ったら
そのあと、5分くらいの間に
3回も4回もトイレに走るはめになって。

「何だこれは!」と。
──
胃腸炎とかですか。あの、つらいやつ‥‥。
山本
お腹で鳴ってる不気味な音が
耳元で聞こえるくらいな状況になって、
「グルグルグル、グルグルグル、
 グルグルグル、トイレ!」
みたいなのを4時間ぐらい繰り返したの。
──
患者を送り届けたエスコート・ナースが
異国でまさかの「患者」に。
山本
結局、パリ・オフィスの手配で
朝方4時半くらいに救急病院へ駆け込んだら
ベルギーの女医さんが
「ノー・プロブレム」とかって言って
こんな状態じゃ帰りの飛行機に乗れないから
点滴打ってくれって言ってるのに
下痢止め1個で「ノー・プロブレム」と。
──
ははあ。
山本
ま、どうにか帰ってきましたけどね。
──
大変でしたね‥‥。
山本
行きも帰りも超大変よ、もう。
──
冒頭で「突発的」とおっしゃってましたが、
エスコートのオファーって
平均すると月にどれくらいあるものですか。
山本
ひと月に「1回か2回」ですね。

ただ、今までは、
ここのクリニックの勤務がありましたから
断わったりすることもあったけど、
今後しばらくは
エスコートの仕事が来たら行くと思います。
──
えっと、じゃあ、このクリニックは‥‥。
山本
残念ながら、閉めることになりました。
──
そうでしたか。
山本
ドクターの遺志をついでくれそうな人が
見つからなくて‥‥仕方ないよね。
──
エスコート・ナースのお仕事について、
アクショーノフ先生は
どのように、おっしゃってたんですか?

正直、ルミさんが不在だと
困ることだってあったと思うんですが。
山本
私が、エスコート・ナースの仕事を
よろこんでやってるってのを知ってたし、
いちばんは
戦時中、ドクター自身が
奇蹟みたいな
日本行きのキップを掴んだわけでしょ?

だから、チャンスが来たと思ったら
「絶対に逃しちゃいけない」という気持ちが
ドクターには、強く、あったんです。
──
なるほど。
山本
「いい男がいたら絶対に掴んで離すな」って、
いつも、私に言ってた。

あの人は既婚者だって言ってるのに、
「いや、あのようすはルミちゃんに気がある!
 なのに何で逃すんだ!」とかって。
──
ははあ。
山本
ええと、何の話だっけ。
──
「チャンスは逃すな」という流れでした。
山本
ああ、そう、だからね、
エスコート・ナースの仕事が入ったときも、
ドクターとしては
本当はね、行ってほしくないの絶対。

でも
「いつもダメですダメですって断ってたら、
 あの人はいつもダメだなと思われて
 そのうち話が来なくなる」と。
──
たしかに。
山本
だから、好きでやってる仕事なんだったら、
「ノーは言っちゃいけないよ」って。

「できるだけ行ってきなさい」って、
そう、言ってくれてたんです。
──
本当に、深く理解してくれてたんですね。
山本
ありがたいことですよね。

でも、ただ甘えてるだけじゃよくないし、
実際、私がいないと
クリニックが大変になっちゃいますから、
私が看護婦さんを2人トレーニングして、
私がエスコートの仕事で留守にする日は
代わりにクリニックに来てもらっていました。

で、その人たちが勤務した日のお給料は
私が、払ってたんです。
──
え! そうなんですか。そこまでして。

エスコート・ナースのどんなところが、
おもしろいんですか?
他人の給料を払ってまで行く理由って。
山本
そもそも日本で「エスコート・ナース」って、
ものすごく数が少ないんです。

ふつうの病院に勤務してたんじゃ、まず無理だし。
──
なにしろ、夜の10時に
「明日、モンゴルへ行ってくれ」ですもんね。

どれくらいいらっしゃるんですか、日本には。
山本
10本の指で足りるくらいかなあ。
──
わあ、そんな数ですか。
山本
だから「使命感」というものでもないけど、
やりがいは、ありますよね。

あとは、もともと旅行が好きだったりとか、
一瞬でも
異国の空気や文化や習慣に触れられたり‥‥
いろいろあるけど、
やっぱりいちばん大きいのは
患者さんから、めちゃくちゃ感謝されること。
──
なるほど。でも、そりゃそうですよね!

ケガや病気で、ろくに動けない自分を
生まれ故郷まで送り届けてくれるんですもの。
山本
だから、
その部分は、ドクターと「同じ」なんだよね。
──
ああ、なるほど。
山本
うん、ここへ来る患者さんのことを、
いちばんに考えていて、
元気のなかった人が、
元気になって帰っていく姿を見るのが大好きだった、
ドクターと。
<つづきます>
2014-12-10 WED