「六本木の赤ひげ」は、無国籍。

──
建物の醸し出す雰囲気がすごいんですが、
どれくらい古いんですか?
山本
この洋館は大正時代に建てられたもので、
築100年くらい。
港区の歴史的建造物に指定されてます。

だから、うちのドクターは
この建物よりちょっと若いくらいだねって
いつもジョークを言ってたの。
──
お亡くなりになられたのは‥‥。
山本
90歳でした。
──
コミックエッセイ『患者さまは外国人』を読んで、
「エスコート・ナース」という
ルミさんのお仕事を知ったんですが、
世界各地にケガ人や病人を迎えに行っては
母国に届ける‥‥なんて、
世の中には
おもしろい仕事があるなあと思ったんです。
山本
ありがとうございます(笑)。
──
でも、その本のなかに出てくる、
ルミさんの勤務先
六本木インターナショナル・クリニックの院長、
エフゲニー・アクショーノフ先生も
同じくらい、おもしろそうだと思いました。

そこで、本を編集された江口絵理さんに
院長先生に取材できないか相談したのですが、
その翌日、永眠されてしまって‥‥。
ずっと、ご体調を崩されていたんですね。
山本
もうここ何年も、病気をしては立ち上がり、
病気をしては立ち上がりという状態でした。

だから今度もまた
この診察室に戻ってきてくれるかなあって
思ってたんですけど。
──
そういう事情だったので、
企画のことはどうしようかとも思ったんですが、
もう20年以上、
一緒にはたらいてきた山本ルミさんに
アクショーノフ先生のことを
おうかがいできたら
それもすごくおもしろいのでは‥‥と。
山本
うまく話せるか、わからないですけど。
──
この椅子が先生の席、だったんですね。
山本
60年ちかく、ここに座ってました。
──
国籍がないんですよね。無国籍。
山本
うん、満州生まれのロシア人で、
戦時中、
日本の華族・津軽義孝さんと知り合い、
その方のお招きで、
日本へ医学を学びに来たんです。

でも、日本の敗戦で満州が消滅すると
ドクターは
「生まれた国」を失ってしまって。
──
以来、国籍がないまま、と。

そのことによって
なんか、困ることってないんですか?
山本
日本から永住許可をもらっていたし、
再入国許可証もあったので、
海外旅行や再入国も自由だったの。
もちろん、医師の免許も取ってます。

だから、いつも
「国籍なんて持ってなくても
 困ることはないよ」って言ってた。
──
そうなんですか。
山本
まあ、今から21年くらい前、
ここではたらきはじめてから数カ月後に
「うちのドクターには国籍がない」
と知ったときは
さすがにビックリしましたけどね(笑)。
──
生前、何度か「六本木の赤ひげ」として
メディアに取り上げられていますよね。

日本ではたらく外国人が頼ってくるけど、
お金のない患者さんからは
お代、治療費をとらなかった‥‥とか。
山本
自分自身が、戦時中に苦しかったことを
重ねていたのかもしれない。
──
そうか、
もともとは「そっちの立場」だったから。

レストランではたらいていた不法滞在の男性に
治療費を免除してあげただけでなく
「おこづかいまで渡した」
みたいなエピソードも、本で読みました。
山本
この人にはもう行き場がないだろうって、
わかってたんでしょうね。

週に1回、ここへ来たら診察してあげて、
薬はもちろん、
すごいカロリーのある栄養ドリンクなんかも
プレゼントしてました。

よっぽど困っている人には
食事代と言ってお金も渡していましたし。
──
そこまでいくと、医者以上の何かですね。

そういうところが
赤ひげと呼ばれた所以なのでしょうけど。
山本
まあ、ドクターの持論としては
「お金の取れなかった患者さんに関しては
 勉強できたと思えばいいじゃない」と。
──
どういうことですか?
山本
たとえば、診断してみたら
日本では超めずらしい種類の結核だったり、
習慣や常識が日本とは違っていて
怪我した指にコーヒーの粉を塗りたくった
ブラジルの人が来たり‥‥。

なんというかまあ、ほんといろいろなのよ、
ここに来る患者さんって。
──
たしかに、そのようなことは
ふつうの病院では、学べなさそうですよね。
山本
ただね、私なんかとしては
「ドクター甘い!
 ちゃんと治療費もらってよ!」って
いつも言ってたんだけど。
──
以前、治療費を払えなかった人が
ずいぶん大きな荷物を抱えてきたなと思ったら
「ニシンが10匹入っていた」という
仰天の逸話もありますよね。

つまり「支払い」を「生魚で」と(笑)。
山本
しかたがないから
昼休みに3枚に下ろしたんだから、私が。

ある日突然、
「めっちゃくちゃ巨大なタラバガニ」が
届いたりとかもしたし。
──
おもしろいです(笑)。
山本
そんなことがあっても、
本人はずっと
「国籍や人種は関係ないよ。
 ムスリムも、カトリックも、
 日本人も、中国人も、アメリカ人も、
 患者であることに変わりはない」
とか言って、
自分には国籍がないから、
どんな人が来てもわけへだてなく診るんだって。
──
仮に「不法滞在の人」が来ても。
山本
治療を優先してましたね。
──
あらためて、どんな先生でしたか?
山本
とにかく、患者さんのために
自分の時間の100パーセントを使ってる人でした。
──
100パーセント。
山本
週末や夜間はもちろんですけど
「祝日の朝方の5時」みたいな時間でも
依頼があれば、往診に行くんです。

私がせっかく土曜の夜に食事に誘われて
出かけていたとしても
「ルミちゃん往診」って呼び出されたり。
──
うわあ、そりゃたいへん。
山本
目の前の本人じゃなくて、
遠い祖国のお母さんの病気の相談に乗ったり、
「赤い手紙」を持ってきて
「日本語が読めないんだけど、これ何?」
って言うから
開けてみたら水道料金の請求書だったり。
──
つまり、滞納してるから「赤い」‥‥と。
山本
学校に入るから保証人になってほしいとか。
──
みんなの「よろず相談役」だったんですね。

あらためて
盛大に「医者の仕事」をはみ出しています。
山本
とにかく、どんな用件であっても
クリニックに来た人が元気を取り戻して
笑顔で帰っていく、
そのことが「快感」だったんだと思います。

お金だけじゃなく、
「ありがとう」って感謝されて、頼られて。

で、だんだんその性格が
私にも、うつってきちゃったというか‥‥。
──
たしかに、20年以上も
先生と一緒にはたらいてきたってことは
「うつって」ないと無理ですね(笑)。

ちなみに
「お金のない患者からは治療費を取らず
 おこづかいまで渡していた」
と聞くと、
ものすごく「聖人君子」な姿が浮かびますが、
実際には、どうだったんでしょう?
山本
うーん、「聖人君子」というより‥‥
もっと「人間味のある人」だったと思います。

往診で、朝、ホテルに呼ばれて
ホテルのバイキングで朝ごはんを食べたりすると
リンゴやらゆで卵やらパンなんかを
ポケットに入れて持ち帰ろうとするんですよ。

上着のポケットをパンパンに膨らましながら、
「大丈夫だからホラ」とか言って
私のバッグにもねじ込もうとしてくる(笑)。
──
その姿を想像するとかわいらしいです(笑)。
山本
私が
「ドクター、持って帰っちゃいけない」って
ちょっと怒って言ってるのに
「いいからいいから。
 ルミちゃんコッソリ入れてって」とか。

戦争で満足に食べられない時期を
経験してるからなのかも知れませんけど。
──
なるほど。
山本
でも、私もこの前、海外から帰ってきたとき、
バッグの奥底から「白い粉」が出て来たんだけど、
それ‥‥「ゆで卵」だったんですよ。

なんかもう、ボロボロに崩れ果てた‥‥。
──
つまり「そっちの癖」も、
いつの間にかルミさんに「うつって」いた(笑)。
山本
まあ、これは冗談半分だと思うんですけど
街を歩いていて
ミニスカートの女の人が向こうから来たりすると
私に「見て見て、ホラ見て!」って
うるさいんです(笑)。

「わかったから、大人しくしてください」
「私に言ってどうするんですか!」
とかって言うんだけど、
「見てみて、ルミちゃんホラあそこ」って。
──
チャーミングですね(笑)。
山本
そんなことを
90歳ちかくになってもやってたんですよ?

かわいらしいというか、
いつまでも男の子みたいっていうか、
そういうところのある人でした。
<つづきます>
2014-12-08 MON