かみ添さんと白い紙
 その2

伊藤まさこさんのプロフィール

第1回 伝統技法に、グラフィックデザインをかけあわせて。

伊藤 かみ添さんは、版木を使った古典技法で
オリジナルで手摺りの紙を
つくっていらっしゃるんですよね。
襖紙(唐紙)、壁紙のような大きな紙から、
便箋、封筒、ポチ袋まで、
いろんなものがありますね。
こういうスタイルのお仕事は
とても珍しいことだとお聞きしました。
嘉戸 京都には老舗さんがありますし、
材料屋さんとして唐紙を売っているところもあるんですが、
お施主さんと話をして文様から提案し、
別注で作るっていうのは
ほどんどないと思います。
伊藤 ご主人はその老舗の‥‥、
「唐長」(からちょう)さんで修業を?
嘉戸 はい、入ったのは8年前になりますね。
独立して3年になります。
伊藤 その前は何をなさっていたんでしょう。
ご出身は‥‥。
嘉戸 生まれは京都です。公務員の家に生まれました。
短大でプロダクトデザインを専攻して、
椅子が好きなので椅子ばかりつくっていました。
卒業製作で椅子を50脚つくろうと思ったんですが、
そこまで実物がつくれないから、
1脚だけつくり、残りを、
当時普及しはじめていたコンピュータの
3Dレンダリングを勉強して描いたんです。
それを評価いただいたときに、
グラフィックも面白いなって、
平面をもっと勉強しようという気になったんです。
それで、いちど外に出ようと思い、
思いきってアメリカの大学へ行きました。
卒業して、そのまま1年半ぐらい、むこうで、
グラフィックデザインの仕事をしていたんです。
伊藤 そのあと京都にもどっていらした?
嘉戸 はい、京都に帰り、同じようにグラフィックの仕事を
始めたんですけれど、たまたまご縁があり、
「唐長」さんに行くことになりました。
当時大学に通っていた1999年頃、
サンフランシスコって、ちょうど
Apple とかマイクロソフトとかが一般に普及し、
みんながデジタルなことをやっていたんです。
そんななかで古典の方にいく人って
なかなかいないんですよ。
そっちをやりながら、じゃあ1回、
のりを炊くところから始めよう、なんて人って
あんまりいない。
でもそれはそれでまた個性になるかなと感じていたのが
「唐長」さんに行ったきっかけです。
そこで5年、つとめました。
伊藤 独立のきっかけって何ですか?
嘉戸 5年も経ったら、いろんな仕事任さしてもらった。
それに、「唐長」さんはそもそも家業でされているわけで、
そこで一生働くかといえば、
なかなかそういうこともないやろ、
ということは薄々感じていました。
その頃、ぼくも家族を持ちましたので、
「いつかどうにかせなあかんな」
という話は、妻と、していたんです。
それで、自分でやるタイミングを探してるときに、
この場所が見つかった。
それで「やってみるか」と。
そんなに、さあ、独立するぞ!
みたいな感じではなかったんですよ。
それまでの経歴も、
あんまり戦術的ではなくて、結構、ぼく、
消去法で今まできてる感じっていうのが正直なところです。
伊藤 そんなことはないでしょう!
嘉戸 できることをやっていったら
今に至った、って感じでしょうか。
京都に帰ってきて、
京都でしかできないことをやっています。
伊藤 場所が見つかったのが大きかったんですね。
嘉戸 西陣やったら、場所的にすごいいいですし、
ぼくらがやりたいようなことできるんちゃうかな、
というのがあって。
伊藤 「やりたいこと」というのは。
嘉戸 もともとぼくはグラフィックをやっていたので、
妻といっしょに、唐紙の経験を活かした
デザインの仕事がしたかったんです。
「唐長」にいた5年間、プラス、
グラフィックの仕事をしてたときの2年間で、
いろいろ勉強したことを活かしたいと。
そう言うと「唐長」のご当主が、
「君がここにいた5年間てすごい貴重な5年間やから、
 たとえばグラフィックを8年やって独立をする人と、
 5年間こういうところで修業したのとでは、
 あんたの経験値が全然違う、
 ここで得たことは十分使っていけ」
っておっしゃられた。
伊藤 それはうれしい言葉ですね。
嘉戸 ぼくは文様も考えますし、
デザインの仕事もしてるんですけど、
それプラス、
「唐長」で習った材料のこととか、
技法とかを使った仕事をしています。
大きな振り幅はあるんですけど、
要は木版刷りなんですよ。
つまり「印刷技術」なんです。
絵具のつくり方とか、紙と絵具の関係とか、
刷り加減とか、その日の湿度とか気温とかあって。
伊藤 うんうん。
嘉戸 デザインしてるときはコンピューターで版下を作って、
それを印刷会社に送って、印刷の職人さんと組んで
仕上げていく作業ですよね。
言ってみれば、それを自分で考えながらやるわけです。
古典技法や手作業のなかで
何かまた違ったことが
できるんちゃうか、っていうのがあって。
けれどもつくる方に集中していると、
「この紙はこうやって使わなあかん」とか、
「こうじゃないとだめ」という部分も出てくる。
そこに、妻もいろいろとアイデアを出してくれますし、
お施主さんと直接やりとりをするなかで、
客観的な意見を聞くことができる。
「こうしたらいいんじゃないか」とか、
「この色合わせの方が面白いんちゃうか」って。
それを受け入れて、ものをつくって完成する。
こういうことは、最初から唐紙屋さんやりますって
始めていたら、できてなかったと思います。
伊藤 プロダクトからグラフィックへ、そして唐紙へ、と、
一見全然別の世界から別の世界みたいに見えるけれども、
今、やっていることは、
心の中では全部つながっていたんだなっていうか。
嘉戸 そうですね。
それがすごいおっきいですね。
実際にいろんな人と話をしてみると、
こういうものを作る人って
ちょっとデザイナー嫌いな人が多いんです。
「また何かごちゃごちゃされる」っていうか。
けれどもデザイナーにしても、
ものすごい皆さん、しっかり、
いろんなコンセプト立てをしてやってはるっていうのも
わかりますし。
そのへんはもう臨機応変に、職人の顔になったり、
デザイン好きの顔になったり、
そこは仕事によって使い分けたりはします。
けど実際やってるのは、
絵具溶いて、ハケで染めてっていう仕事なんですよ。
伊藤 と同時に、唐紙の世界にも、
デザインのお仕事があるんですよね。
嘉戸 はい。文様を考えるということもそのひとつです。
古典文様って、ぼくにとっては、
ロゴを考えるのと同じかもしれません。
たとえば「家紋」も、要は、ロゴじゃないですか。
伊藤 そうですね!
その仕事はまさしくグラフィックデザイン。
嘉戸 そうなんです。

2012-11-08-THU


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(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
写真:有賀傑