「あなた」のためのデザイン。 醤油と味噌とインテリア・ファブリック。 【対談】脇阪克二さん × 福田利之さん  20代で渡欧、フィンランドのマリメッコ社、 ニューヨークのラーセン社で ながくテキスタイル・デザイナーをつとめた脇阪克二さん。 現在は京都を拠点に絵を描きつづけている脇阪さんを、 イラストレーターの福田利之さんがたずねました。 ひとりの後輩として、 また、同じ土俵で仕事をする仲間としての、 福田さんによるインタビュー、 全3回で、お届けします。
第1回 ぶつける相手によって、作品は変わる。
第2回 自分を受け入れるまでに。
第3回 京都だから生まれるもの。
 

 
第1回 ぶつける相手によって、作品は変わる。
福田 脇阪さんが奥様に毎日出されている
手描きの絵はがきのこと、
ほんとにすばらしいなと思っているんです。
アイデアっていうものが、
無限というとちょっと大げさかもしれないですけど、
ほんとに人間って、それぐらい
いろんなものを考え出せるんだなって。
脇阪 ありがとうございます。
もう20年以上描いています。
けれどもある時期、描けなくなることも
けっこうあったりしたんですよ。
けれどもやめてしまうと、もう終わりです。
マンネリでもいい、
何でもいいからとにかく続けていると、
また何か開けてくるんです。

▲脇阪さんは、毎日1枚ずつ、はがきに絵を描き、
奥さまに宛てて投函している。
その数は、1万枚以上になっている。
福田 おそらく脇阪さんは
「絵」はいくらでも描くことができるんですよね。
けれども、その「描こうと思う気持ち」は
どういうところからわいてくるものなんですか?
脇阪 それは「受け取る人がいる」
ということかなと思います。
僕、別に彼女に愛情を込めて描いているとか
そういうことや、ないんですよ。
ものって、ぶつける相手、
誰か受け取ってもらう人に対して、
発信するものだと思うんですよ。
そして表現するっていうのは、ごく身近な人、
自分がこの人にぶつけよう、と思う人に向かって
やっていることなんじゃないかなと思うんです。
人って、そうやって
物をつくるんじゃないかと。
たとえばピカソであっても、誰であってもね。
それはデザインにしても、絵にしても、です。
福田 はい。
脇阪 司馬遼太郎さんも、
不特定多数の読者に書くんじゃなくて、
まず奥さんに向けて書くと仰っていたそうです。
そして、その奥さんがいいって言ったら、
これはたぶん(みんなにとっても)いいんだろうな、と。
あまりにも漠然とした何かに向かって書くというよりも、
直接的な誰かに向けている。
マリメッコの場合でも、
デザイナーのマイヤ・イソラはやっぱり
創立者のアルミ・ラティアに向かって
デザインをぶつけていたと思うんですよね。
で、そのぶつける人によって、
出てくるものが違うし、
いろんなものが変わってくるんじゃないかと思うんです。
その関係がとっても大事じゃないかな。
だから僕のハガキにしても、
とにかく彼女に向けているということが、
大事なのかもしれないですね。
福田 アーティストって言われる人っていうのは、
内なるものに向けてというか、
自分の自己満足とか自己欲求のために描くという人も、
たくさんいらっしゃると思うんですけれど、
そうではなく、対象者がいるっていうことが、
たぶんイラストレーションとかデザインの
あるべき姿のひとつじゃないかなと、
僕も思っているんです。
というか、そういうものが僕、
もともと好きなんだと思います。
逆に、アーティスト、芸術家って言われることに
ちょっと抵抗があるくらいです。
脇阪 ああ、なるほど。
僕もそうです。
日本人はそうじゃないかなと思いますけどね。
福田 あ、僕もそう思います。
脇阪 ですよね。
自分自身のために何かをやるっていうよりも、
人のためにやる方が力が出るっていうか。
たぶん福田さんも、
糸井さんに対してタオルをつくるという、
ひとつのテーマというか、
目標があったほうが、
つくりやすいんじゃないかと思いますよ。
福田 そうですね、そうです!

福田利之さんが手がけた「ほぼ日」の「やさしいタオル」
脇阪 で、また福田さんの新しい何かが
タオルで出てくる可能性が
あるんじゃないかな。
福田 そうですね。
そして、好きにつくっていいよって言われるよりは、
何か期待されつつ、
何かちょっとテーマをもらえた方が
やっぱり、やる気がわくというか。
どう相手を喜ばせようとか、
納得させようっていう気持ちが
すごくエネルギーになって、
そこに集中できるっていうタイプです。
脇阪 僕も全くそうですよ。
僕は、それが、日本人としては、
ひじょうに素直な、健康なかたちじゃないかなと
思いますけどね。
だから僕、日本のアーティストの人って、
この人たち、大変やろなーと
美術館でいつも思いますもん。
福田 (笑)はい、そうですね。
あるとき誰かがこれはすばらしいって言ったがために、
もうその人はずっとその呪縛から逃れられずに、
ずっと描き続けなければいけない、
アーティストと呼ばれる人たちの
その窮屈さを想像しただけで
おそろしいなと思います。
やっぱりできるだけ最初から柔軟性を持って、
いろんなものに興味を持って、いろんな絵を描いて、
いろんな表現でやっていくっていうことを
自分としてはやっていきたいなっていうふうに思うんです。
脇阪さんにも、そんな柔軟性を感じるんですが、
何かの外圧、その力によって、
たとえば場所であったりとかそういうもので
変わっていくっていう喜びみたいなものも
あるっていうことですよね?
脇阪 僕も、フィンランドに行ったり、
ニューヨークに行ったり、
日本へ帰ってきたり、
いろいろしてますけども、
できるだけそういう、違う空気の中とか、
違う会社、あるいは違う人に出会って、
そこで仕事をすると、
そういう空気の中で生まれてくるものがあります。
そこへ行ったらまた、
そこの空気の中で生まれてくる、
違うものがある。
そういうふうな感じで、
新しく変わっていくということが、
すごく、楽しみなんですよ。
福田 はい。
脇阪 たとえばフィンランドならフィンランドっていう、
その空気感とか、文化のなかに、
デザインの必然性みたいなものが
あると思うんですよね。
マリメッコであれば、アルミ・ラティアという創立者の
個性であるとか、感じであるとか、いろんなものを含めて、
それに合うように、自分の表現を徹底していけば、
いいものが生まれるんじゃないかと思ってますので。
今の仕事もそうなんです。
日本の空気、日本の文化の中で、
今の空気に合ったものをつくることができればと。
たとえば、日本人にとっての、豆腐であったり、
味噌であったり、醤油であったり、お米であったり、
何かひじょうにベーシックな大事なもの。
めちゃめちゃ高いものじゃなくて、
日常でふれる、そういうふうなものが、
テキスタイルデザインの世界でつくれるんじゃないかなと
思ってやってるんですよ。
福田 描かれたものがまずテキスタイルになるわけですが、
それが立体の商品、
たとえばバッグや服や靴になるという、
そこのところは、いかがですか。

▲脇阪さんが現在手がけているデザインは、さまざまな商品になって、
SOU・SOUの各店舗でふれることができる。
いまも毎月、新作を発表しつづけている。
脇阪 僕は描いた時点でかなりもう、
自分の興味は終わってしまっているんですよ。
だから僕は、どっちかって言ったら
デザイナーというよりも、絵師なんでしょうね。
テキスタイルの上で描いている。
それがどういう商品になるかは、考えていません。
けれども、これは今の仕事のしかたが幸運なんです。
普通は──、どうでも好きなようにしてください、
って言ったら、あんまりいい感じのものって
上がってこないものなんですよ。
「やっぱり自分でやらんと。
 人に任しとくといいのができないんだな」
というような思いにとらわれるんですけども、
いまは、そういうことはない。
それは、SOU・SOUの若林剛之くんという人と
組んでいるからこそのものなんです。
逆に言えば「あ、こんなふうになってくるのか!」と。
それは悪い意味じゃなくて。
福田 なかなか、そういう相手にめぐりあうことって、
ないと思うんですよ。
脇阪 そう、出会えないんですよ。
それが理想なんですけど、
そういうことってなかなかない。
得ようと思って得られるようなことでは
ありませんから。
  (つづきます!)

 

2012-12-19-WED

福田さんのやさしいタオル
 


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