笑福亭鶴瓶の落語魂。
その世界のすべてを愛するということ。




鶴瓶 忙しくても、したいことをしてたら、
しんどくないでしょう?

自分がしたいことを、
ぜんぶやっているっていうことが、
飽きない方法ですね。
今度、田中邦衛さんとドラマをやるけど、
「田中邦衛さんに会える」
っていうのがたのしいじゃないですか。
糸井 麻雀好きな人が、
徹夜で麻雀するのと同じぐらい
一生懸命やれることが、
仕事でもいつもそばにあったら、
最高ですよね。
鶴瓶 ぼくは、昔から、
自分の好きなことしかやってなかったんです。

だいたい、企画づくりからやってましたから。
ヘンな話、それが、吉本に勝つ方法なんです。

大阪ではテレビの企画の数は知れてるわけだし、
ほとんどが吉本なんです。吉本ではないぼくは、
ぼくじゃないと成立しない
テレビを作るからこそ、大阪でやれたんです。
糸井 そのへんていうのは、
『ぬかるみ』
(ラジオ大阪で、
 1978年から12年間放送された
 『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』という番組)
をやっているあたりからですか?
鶴瓶 まずぼくは、東海ラジオの
『ミッドナイト東海』っていう番組で、
名古屋からスタートしたんです。

どんなやりかたがあるやろと
思ってやったんやけど、落語家でも
ふつうにしゃべっていいんだと思っていたから、
「こんばんは。笑福亭鶴瓶でございます」
と入る……それを3時間やっていたんです。

噺家は、割とハイテンションだと
思われてるのがイヤだったので、
とにかく、ふつうに。
糸井 そう聞いていると、
鶴瓶さんは、超アマチュアみたいな人ですね。
鶴瓶 そうそう。まったくそうですよ。
糸井 客席の人なんですね。
鶴瓶 うん、客席の人なんです。
それでも、芸人だと思って
かかってくる人がいるんですね。

ぼくはふつうに入るかわりに、
番組でかけるレコードもぜんぶ聞くし、
ゲストの人のことも調べるわけですよ。

ただ、『ミッドナイト東海』で、
一度、爆発してしまったことがあって。

ゲストの中に、
当時のロック的な人がおったんです。
こちらはお笑いの芸人ですけど、
ちゃんとインタビューをしようと思って
いろいろ仕入れてきているんですけど、
その場で、えらいもめたんですよ。

もめたというか、俺が
「出ていけ、コラァ!」言うてしまって……。
糸井 (笑)
鶴瓶 そのゲストは、
サングラスで来よってね。

まぁ、それはその人の
スタイルやからかまへんけど、
なんかもう、当時の
「ラジオは出たくないブーム」
みたいなものがあったんでしょうね。

そのゲストが、えらい威張ってまして……。
糸井 それって誰ですか?

鶴瓶 名前、忘れました。
だけど当時の名古屋では
すごく威張ってたんです。

で、まぁ、もめました。

ロックの人に対して、落語家がブチキレて
「出ていけ、コラァ!」ってなってるのね。

そしたら向こうが
「俺はちゃんとしとんのや」
みたいなことを言うから、

「なんやコラ!」ってなってるんですよ。
阿鼻叫喚になって、それが効いてしまって……。

その後に、お医者さんと1回モメたんです。
中学2年生の男の子が、
「親に決められてしまって、
 急に高知県の全寮制の学校に
 転校することになってしまった」
と悩んどったんですよ。
夜中に、生放送に電話を入れてきよったんです。

俺は22歳ぐらいで、
そんなことあんのん?言うてて……
そしたら、その子のお父さんが
電話に来たんですよ。
男の子が「こわい」言うから、
「かわれ」いうようになって。

当時で35歳ぐらいの医者が電話口に出てきた。
「いえ、おたくの息子さんが、
 今こうやって電話をかけてくれて、
 ぼくが中に入るのもアレやから、
 もう電話を切ります。
 さっき、お話を聞いたんですけど、
 今からしゃべったってください」

「おまえに指図されることない」

「わかりました」

こっちはものすごく低姿勢だったのに、
向こうは今度、
「おまえ、なんだ?
 こんな時間に電話かけてきてから。
 おまえ、誰だ?」言うて。

「笑福亭鶴瓶ともうします、
 おたくの息子さんが、
 こっちに電話をかけてきはったんです」
ということになったんです。

「笑福亭鶴瓶、知らん」
「ラジオ番組なんです」

なんかで、どうも知ってたんでしょうね。

「おまえ、あのモジャモジャ頭のやつか?」
「あ、そうです」

「おまえ、どこの大学や?」
「いや、京都産業大学の中退」
「そんなやつにそんなことを言われてもなぁ」

こっちもカーッとなってしまって
「あのな、これ電波流れとんのや!」と……。

「俺もな、低姿勢で、
 ちゃんとこうやって話をしとんねん。
 そんなに人気はないけど、
 リスナーも聞いとるんや!
 あなたの息子さんが
 悩んどることを聞いてあげて、
 あんたが出たときも
 『おたくの家のことやから
  ぼくはよお解決せんけど、
  今、電話を切った後に
  解決してあげたらどうですか』
 と言うとるだけやないか。
 何も悪いことないやないか!」

そしたら、なんか言いよったから、

「おまえな、自分とこの
 子どもの精神的な病気もよう治さんと、
 なに他人の体を看とんねん、コラァ!
 アホンダラ、こっちは生放送やっとんねん!
 いつでも来い、コラァ!」
糸井 (笑)
鶴瓶 最後はもう、
「千種区のなんたら病院には行くなぁー!」
言うてしまって、それでぼく、
番組を降ろされかけたんです。
そしたら、ものすごい書名が集まって……。

今まで、ハガキ来ぃへんかったのに、
「こいつ本気や」ということで、
中学生の署名運動で、
当時2千なんぼも集まったんです。

そこでようやく、
名古屋の人間として認知されたんですよ。

  (明日に、つづきます)


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2004-08-04-WED

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