谷川俊太郎 × 松本大洋   詩人と漫画家と、絵本。   『かないくん』をつくったふたり。     谷川俊太郎さんが一夜で綴り、 松本大洋さんが二年かけて描いた絵本、 『かないくん』ができあがりました。 絵本をつくるにあたって、 ふたりは直接顔を合わせませんでした。 ぜんぶの作業が終わったこの日、 物語を書いた詩人と、絵を描いた漫画家が、 はじめてのような、旧知のような、 不思議な挨拶を交わしました。 そして、絵本について、お互いのことについて 深く、長く、ことばを交わしました。 谷川俊太郎さんと、松本大洋さん。 わくわくするような顔合わせの対談を たっぷりとお届けします。
 
#8 ドラマになりすぎる子ども時代。
 
松本 谷川さんの子ども時代の写真で、
模型飛行機を飛ばしてるのがありますよね。
谷川 ああ、はい。
松本 あれはプロの方が撮った写真なんですか?
谷川 いや、プロじゃないと思いますよ、あれは。
松本 ふつうの記念撮影なんですか?
谷川 うーん、どうなんでしょうね、
なんか、あのころの写真って
誰がどう撮ってるのか、よくわからない。
写真機なんか、誰が持ってたのかね。
松本 写真を撮ること自体が
少し特別なころですよね。
谷川 そうですね。いまみたいな感じではないです。
松本 じつは、絵本の最初に出てくる少年は、
あの模型飛行機を持った
谷川さんの子ども時代の写真を見て
イメージしながら描いたんです。
谷川 ええー(笑)。


▲自宅の庭で、1942年頃。
出典『ぼくはこうやって詩を書いてきた―谷川俊太郎、詩と人生を語る』
(山田馨との共著、ナナロク社)

── それは、完全にモデルにっていうことでもなく?
松本 そうですね。
あんまり似せると企画物っぽくなってしまうので、
なんとなく、イメージしながら。
谷川 そうですか‥‥。いや、でも、
どう言っていいんだかわかんないな(笑)。
松本 なんか、手がかりみたいなものが
ほしかったんですよね。
あの写真の谷川さんが、
ちょうど、絵本のなかの少年と、
同い年くらいに見えたので。
谷川 あの写真は5年生ぐらいですね。
松本 ちょうど同じくらいですね。
写真をずっと見てて思ったんですが、
あの谷川さんって、子どものころから、
世界を知ってるような顔をしてますよね。
谷川 ええっ(笑)。
松本 なんていうのかな、子どもなんだけど、
世の中のことをすごくわかってますよ、
っていう顔をしてるんですよ、
写真のなかの谷川さんは。
谷川 ぜんぜんそんなことないんですけどね。
ぼく、すごく人見知りする人だったから、
親しい友だちって、いなかったんですよ。
というより、友だちをつくる必要が
ないって思ってたかな。
そういう感じだったから、
いじめられたりはしましたけどね。
松本 なんかね、顔の造作が
きれいだからなのかもしれないけど、
特別な感じがするんですよ。
たとえば、ぼくの子どものころの写真って、
もっとすごくバカっぽい顔して写ってるんです。
ダンボールに入ってスイカ食べてたりとか。
一同 (笑)
谷川 それは、子どものころのあなたが
自分でやった演出でしょ(笑)?
松本 いえ、そういうんじゃなくて、
なんていうんだろう、ぼくなんかはもっと、
雑に生きてた感じがするんですよね。
だから、写真を眺めながら描いてたときに、
「谷川さんと同じクラスにいたら、
 ぼくと口きいてくれるかなぁ」
とか思ってました。
一同 (笑)
谷川 はっはっは。
松本 谷川少年を見ていると、被写体なのに、
ファインダーの向こうからこっちを見てる、
みたいな印象があるんですよ。
ほかの子たちはみんな、
ボーッとした顔してるんだけど、
やっぱり谷川少年だけ、違うんです。
谷川 それはなんか、深読みがすぎるんじゃない?
松本 そうですかね。でも、なんだろう、
そういうふうに感じさせる
なにかがあるような気がするんです。
── 実際に似せて描いていないとはいえ、
やっぱり、谷川さんと、絵本のなかの少年は
似ているところがあるような。
松本 そう、あらためて見てみると、
ときどき、すごく似てるんですよね。
みんなのなかで真面目にしてる場面とか。
── 谷川さんはご自分でいかがですか?
谷川 うーん、まぁ、似てるかもしれないけど、
俺、こんないい子じゃねえやっていう気も(笑)。
松本 (笑)
谷川 そういう意味では、変な言い方ですが、
自分のいやな面が出てるって感じもする。
── どういうことですか?
谷川 なんか、
利口そうな顔してるじゃん(笑)。
松本 利口そうな顔してますよね。
── 利口そうに見えるのがコンプレックス、
ということでしょうか?
谷川 なんか、子どものころの写真見てると、
そんなつもりはないのに
どれも利発な子みたいに写っててさ、
自分としては、それがちょっと気に食わない(笑)。
松本 そっかぁ。
ぼくとまったく逆ですね。
ぼくはほんとに勉強ができなくて、
特殊学級(特別支援学級)とかに入るんですよね、
学校行くと。
谷川 ふーん、うん。
松本 それが自分でうまく受け入れられなくて。
たぶん、授業の邪魔をするようなことを
してたんだと思うんです。
授業中にうるさかったりとか。
なんか、あんまり記憶にないんですけどね。
こう、みんなが列に並んでるときに、
棒を見つけちゃ振って、
そのまま列から離れて
どっか行くような子だったんです。
谷川 そのころはお母さんとは一緒に?
松本 一緒には住んでないですね。
だから、当時は、そのことを
母親に言われるのだけはいやだったんです。
「そんなんしとったら、お母さんに言うぞ」
って言われるのだけはいやだった。
知らないでいてくれ、って思ってた。
実際に、そういう自分を知ってたのかどうか、
話し合ったことはないんですけどね。
ぜんぶ知ってるよ、って言われるかもしれない。
最初に入れられた施設からも
ほかに移されてしまったりもするから、
たぶん、そうとうひどかったんだろう
とは思います。
── いまの大洋さんと、その時代の大洋さんが
つながってる気がしないんですけど。
松本 そうですよね(笑)。
── どこで、どう変わったんですか。
松本 どこで変わったんだろう。
たぶん、大きい施設に移されたときじゃないかな。
ちっちゃい家庭的な施設から、
わりと大きなところに入って、
なんか、圧倒されたんですよね。
中学生も高校生もたくさんいて、
ちっちゃい施設でイキってた自分が、
大勢の半端ない人たちのなかに急に入れられて、
そこで変わった気がします。
あんまりつっぱってると
ぶっ飛ばされそうだったし。
それで、少しずつ、ちっちゃい子にも
気をつかうようになったし。
だから、そこを出るころには、
ずいぶんおとなしくなってたと思います。
谷川 そこを出るのが何歳ぐらい?
松本 中学生です。
その後、親戚のおばさんのところで、
1年間暮らすんですけど、
そのときはまだ少し荒れてて、
母と暮らしたときには、もう、だいぶ、
いい子だったんじゃないかと思います。
施設にいたときは、
悲しいこともいっぱいあったけど、
たのしいこともたくさんあったはずで、
そういうことをぜんぶ漫画にしてみようと思って、
『Sunny』を描きはじめたんですけど、
やっぱり、さっき谷川さんが
おっしゃった話じゃないけど、
悲しい話ってドラマとして落とし込みやすくて。
谷川 はい。
松本 悲しい経験をベースにすると、
手札がワンペアぐらいそろってるとこから
描けるようなところがあるので、
もう、トンとひと押しすると話ができてしまう。
それに、悲しいほうに振ったほうが、
読んでる人の反応もよかったりして。
谷川 うん、うん。
松本 ばかみたいにたのしかっただけで終わる、
子どものころの思い出とか、
話にしたいって思って描こうとするんですけど、
それだけで1話もたせることって、
やってみると案外難しくて。
谷川 それ日本人独特の感じ方かしら。
悲しいほうがつくりやすいとか、
反応がいいとかってね。
松本 ああ、そうかもしれないですねぇ。


(つづきます)
2014-01-29-WED
 
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