武田双雲ー糸井重里 HOME 言葉について、書について、 「いつでも帰ってこれる場所」について


第5回 言葉の幹と根は沈黙である
糸井 今、ぼくがいろんなものごとを考えるとき、
あたまに思い浮かべるのは、
吉本隆明さんの「芸術言語論」なんですよ。
武田 芸術‥‥言語論。
糸井 そう、そのなかで吉本さんは
「言葉の幹と根は沈黙である」と言ってる。
武田 それはつまり
反コミュニケーションということ?
糸井 そうですね‥‥言葉の枝葉をたどっていくと、
「言葉の幹と根」にぶつかって、
それは「沈黙」である‥‥って話なんです。
武田 すごい、ぼく、まさにそういうことを‥‥。

ようするに、
「コミュニケーションのかたちをとらない
 コミュニケーションの在りかた」を
ずーっと、考え続けてきた気がする、今まで。

うわぁ、その言葉、すげぇなぁ‥‥。
糸井 ですから、さっきの話でいうと、
「人間くさい」書で書かれた大河ドラマの題字は
直接的なコミュニケーションの手前で
いろんなことを、語っているわけですよね。
武田 そうか、そうですね。
糸井 吉本さんによれば、心のなかで思っていたり、
口のなかでモゴモゴいってるような
「言語化される以前の、
 自分のなかだけで発している言葉」が、
言葉の幹であり根であり、
そして、それは「沈黙」なのである、と。

で、よけいな飾りのついてないその部分こそ、
「その人そのものである」と。
武田 うわー‥‥。
糸井 それに、コミュニケーション以前の「沈黙」が
認められない世界では、
どうやったって、
西欧的なコミュニケーション理論にかなわない。

つまり、アメリカ流の
「言葉にしなきゃ、わからない」というロジックに
いつまでたっても、勝てないんですよ。
武田 いや、すごくよくわかるなぁ‥‥。

言葉は強烈なちからを持ってるんだけど、
その幹と根は「沈黙」なんだ。

で、その部分こそが、その人そのもの。

なるほどなぁ‥‥あの、糸井さんの場合、
たとえば「キャッチコピーをつける」という
お仕事があったとしますよね。
糸井 いまじゃほとんどやってませんが。
武田 ご自身とは価値観のちがう世代も含めて、
「日本語のわかる人たち」に向けて
ひとつのキャッチコピーを考えるときって‥‥
何に頼ってるんですか?

言葉ですか? 言葉以外の何か、ですか?
それこそ、沈黙の部分?
糸井 うーん、説明しづらいですね。
武田 だろうとは思うんですけど。
糸井 「みんな、わかるに決まってる」ということが、
オレにわかるときが、ある。 ‥‥というかね。
武田 そういう、ご自身の感覚がよりどころ?
糸井 たとえば、洗濯ができるだけじゃなく、
さらに「干して、たたんでくれる洗濯機」が
「理想の洗濯機」じゃないですか。

まぁ、そんなのは、
いまのところ実現不可能だとは思うけど。
武田 ええ、ええ。
糸井 でも、実現することができなくたって、
コピーを書くことはできるんですよ。

ただ、すなおに
「干して、たたんでくれる洗濯機、発売」と
書けばいいだけだから。
武田 なるほど。
糸井 そのコピーは
商品の魅力を正確に伝えていると同時に、
なんのウソも誇張もない。

ですから、できるんだったら、
そういう商品をつくってしまうのが、理想なんです。
武田 つまり‥‥。
糸井 「干して、たたんでくれる洗濯機」みたいに、
それ自体、コピーを発してるような商品をつくること。

これが、重要なことだと思うんです。
武田 はぁー‥‥そうか、そうか。

コピーから商品をつくる、みたいな。
すごいな‥‥それは。
糸井 広告もそうですけど、
表現によって何かを伝えることができたら、
少なからず、
よろこんでくれるお客さんがいるわけです。

だとしたら、
自分で「よくない」と思ってるものを
「これはいい!」って
言っちゃうわけにはいかないんですよ。
武田 はい。
糸井 できるだけ、その商品の「いいところ」を探して
きちんと伝えたいとは思うんだけど‥‥
それだけやってても、おもしろくなくなってきた。
武田 そうですか。
糸井 だから、いまは
「広告しなくてもいい商品」をつくることを
自分の仕事の大部分にしてます。
武田 広告しなくていい商品。
糸井 つまり、さっきの
「干して、たたんでくれる洗濯機」みたいなこと。

最近では、
「商品に広告を練り込む」という表現をしてます。
武田 なるほどー‥‥。
糸井 商品じたいが広告になってる。
武田 そういう考えにたどりついたのって、
「言葉の否定」とは
ぜんぜん、また、ちがうんですよね?
糸井 うん、言葉の否定じゃないですね。

それこそ、吉本さんのいう沈黙じゃないけど、
「言葉のもとになる部分」を
つかみだすような作業‥‥といったらいいか。
武田 言葉のもと、ですか。
糸井 頼ってるかどうかはわからないけれど、
肝心なものがあるとすれば、そこかなぁ。
武田 それは「思考のルール」みたいなもの?
糸井 考えるときの枠組みというかね。
武田 さっきの芸術言語論の「沈黙」とも、
関わり合ってくるんでしょうか。
糸井 かもしれませんね。どこかで。

<つづきます>

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2008-12-26-FRI

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