ほぼ日手帳2016 PRESENTS 手帳のことば展
似ているふたり、
初めてのことば。
松本隆×糸井重里スペシャルトーク


第3回 詞と曲の関係性
糸井
皆さんはどう思ってるかは知らないけど、
作詞っていうのはサブですよね。
曲がメインだとすると、サブの仕事ですよね。
絵本でいえば、絵がメインで文字がサブ。
松本
ああ、音楽がメインっていうのはありますね。
誰も詞なんて聴いちゃいないっていえば
聴いちゃいないわけです。
糸井
だけど、記憶に残るのは詞ですよね。
松本
聖書的に言うと「初めに言葉あり」ですよね。
実は、文化も文明も言葉の中にあるのかもしれない。
だから、非常に重要なはずなんだけど、
詞はないがしろにされやすいところがあります。
この両極端な矛盾の中で、言葉を拾ってくるんです。
糸井
言葉はあまりにも世の中に満ちているものだから、
作詞って、どこから言葉を取ってきても
「あぁ、さっき見たよ」っていうものになるんですよね。
松本
そういう意味でも糸井さんのコピーは、
これ以上短くできない中で
みんなに伝わる言葉になっています。
それは、すごい才能だと思いますよ。
いってみれば、俳句より短いじゃないですか。
糸井
才能だった‥‥というより、そういう仕事だったから。
空手家の拳にタコができるように
続けていく中で伸びていった力だと思うんです。
才能として、僕にあったとは思えない。
松本
そうなんですか。
糸井
うん。ただ、言葉にできないことに気がつくっていう
才能はあるのかもしれない。
「なかなか言葉にできない感じ、
 これはどうしたらいいんだろう」っていう。
松本
それは、詞も同じですよね。
糸井
同じだと思うんですね。
苛立ちっていうか、くすぐったさっていうか。
松本
僕の場合、コンプレックスがメインにあるんです。
詞の中にも、自己嫌悪があるのかもしれない。
糸井
ああー。
松本
みんなね、誰でも自己嫌悪はあるわけでしょ。
それって、影の部分じゃないですか。
でも、光だけじゃ絵は描けないわけですね。
じゃあ、絵を描くためにはどうしたらいいかっていうと、
真っ白いところに黒いところを作って、影を作る。
だから、花を描こうと思ったら花の影を描く、
ということにある時気づきました。
マイナスのことを書きながら、プラスを表現するんです。
糸井
それは、はっぴいえんど時代にはわかってましたよね。
その頃って、「詞は俺の仕事だ」というのは
どうやって決まったんですか。
松本
細野さんが「松本は詞を書け」というふうに。
当時は何を考えて言ったのかわからないんですよね。
いま聞いてみると、いつも本を読んでるからとか、
文学青年だからって言うんです。
でも、細野さんだって自分で詞は書いてるんですよ。
お世辞にも上手いとは言えないような‥‥。
観客
(笑)
松本
当時の話ですからね、当時(笑)。
今は、細野さんは素敵な詞を書いてますよ。
僕だって最初は大して上手くもなかったはずなんです。
そこを細野さんに乗せられて。
糸井
すごい耳の奥が痛い(笑)。
いや、たぶん大学生時代って、
それぞれに大欠点だらけの詞を書いてたはずなんで。
松本
そうそう。
それで、見せっこするわけですよ、
その時に「これは使えるな」と思ったのかな、
細野さんは本当に天才のプロデューサーだから。
何が天才かは、よくわからないんですけど
とにかく天才なんです、会った時から。
細野さんと初めて会ったのは、
原宿のコンコルドっていう喫茶店だったんですが、
最初から、この人は天才だと思った。
糸井
えっ、大学で会ったんじゃないんですか?
松本
大学じゃないんですよ。
僕は慶応で、細野さんは立教だったんで。
糸井
そうか、そうか。
松本
慶応のメンバーで組んでいたバンドから、
ベースが抜けたんですね。
ああ、困ったなぁと思っていたら、
立教にベースのうまいやつがいるらしいと
噂を聞いて、電話番号を教えてもらったんです。
「松本っていうんですけど、どこかで会えませんかね」って
細野さんに電話をしてみたら、
「じゃあ、原宿のコンコルドでどうですか」って。
糸井
えっ、それって何年ですか?
松本
1968年。
糸井
‥‥そのとき僕、コンコルドに勤めてましたよ。
松本
えぇ? ウェイターでいた?
じゃあ、その時いたんじゃないですか(笑)。
糸井
いやあ、今まで一度も会わなかった人から、
コンコルドの話を聞くとは‥‥。
僕は深夜のバイトだったんです。
松本
あ、でもそれは午後でしたよ。
午後4時とか。
糸井
じゃあ、その時にはいないかもしれないですね。
ああ、でも松本隆と細野晴臣は
コンコルドで初めて会ったんだ。
松本
ちなみに、僕と細野さんがコンコルドで会った
大学1年の時に「バーンズ」っていう
アマチュアバンドを作って、
青山のコッチっていうディスコティックで
朝まで生演奏するバイトをしていたんです。
「エイプリル・フール」の1つ前のバンドですね。
糸井
デビュー前のビートルズみたいですね。
松本
ハンブルク時代のビートルズにちょっと似てますよね。
僕らはさ、ギャラがすごく少ないんだけど、
とにかく演奏をしたいわけですよ。
それができたから、うれしかった。
ほとんど毎晩のようにやって、うまくなったみたいな。
糸井
はあ。そこがハンブルクだったんだ。
松本
そうですね。
リズム隊のベースとドラムの感じは
その時に構築できました。
だから「エイプリル・フール」の時には、
けっこう上手にできていたんです。
糸井
細野さんと松本さんの出会いが、
そのバンドでは重要な歴史なんですね。
松本
そうです。その時にやったのがR&Bだから、
それが発見だったのかな。
リズム隊の中核になったんです。
糸井
バイトとして長い演奏をする場所で、
基礎を身につけたわけですね。
松本
16ビートの乗り方っていうのを
基礎的に学んだんじゃないかな。
糸井
松本さんは「バーンズ」の頃には、
まだ詞を書いてはいないんですか。
松本
はい、まだ書いてないです。

(続きます)
2015-10-27-TUE