気仙沼のまるきでおちつけ。中華そば まるき 熊谷一政さんインタビュー 気仙沼のまるきでおちつけ。中華そば まるき 熊谷一政さんインタビュー
ほぼ日にとっても縁の深い
宮城県気仙沼市のラーメン屋さん
「中華そば まるき」店内の壁には、
ほぼ日の「おちつけ」掛け軸が飾られています。

繁盛店でひたすらラーメンを提供し続ける
じぶんに向けての「おちつけ」。
食欲がそそられる煮干の香りがする店内で、
ラーメンを待っている間に「おちつけ」。
この3年ほどの間、まるきさんのようすを
この掛け軸がいつも見守っていました。

東日本大震災や新型コロナウイルスなど、
先の見えない不安と向き合ってきた大将が
いま考える「おちつけ」のお話。

担当は、ほぼ日の平野です。
(3)まるきのチャレンジは続く。
──
ラーメンの専門店「中華そば まるき」として
再オープンとなったとき、
味は食堂時代と変えたのでしょうか。
熊谷
最初は食堂時代とほぼいっしょだったんですよ。
じいちゃんの代からのレシピとほぼ同じで
営業をはじめたんですが、
オープンして1年も絶たないぐらいの頃に、
香川県の製麺機メーカーがやっている
ラーメン学校を知人から勧められて、
お店を2週間休みにして
ラーメン学校に1週間通ったんです。
──
まるきさんは味や素材の研究を続けてこられて、
その都度、変えていらっしゃいますよね。
熊谷
思いついたら、すぐやっちゃうから。
麺もかなり変化していまして、
はじめは自家製麺でもなかったんですよ。
ラーメン学校に通ってからは、
作り方もバンバン変えていきました。
──
一度学んでしまえば、
自分でいろんなチャレンジができるものですか。
熊谷
そうなんですよ。
ラーメン学校ではレシピを教わるのではなくて
もっと“根っこ”の部分を教えてもらえました。
ちょっと哲学的なんですけど
「あなたの人生の目的とはなんですか?」
みたいなところから考えるように言われるんです。
それが見つからないようであれば、
ラーメン屋になるのはやめなさいって。
──
人生の目的がラーメンに影響するんですか。
熊谷
なんのためにラーメン屋をやるんだ、
その答えがないんだったらやめなさいって
言われたんですよね。
──
答えはあったんですか。
熊谷
わたしにとっては震災というものが
第1にありましたね。
ラーメンって地元のお客さんの
お腹を満たせばいいという側面もあるんですけど、
話題になるようなお店のラーメンなら、
外からもお客さんを呼べるんです。
炊き出しでラーメンに並ぶ列を見ていたので、
身を持って経験できましたね。
普通においしいだけのラーメンだったら
遠くのお客さんは呼べないんですけど、
どうしたら遠くのお客さんに向けて
このにおいを届けることができるのかなって、
そういう意識に変わったんですよ。
──
ほぼ日の乗組員もそうですが、
県外からいらっしゃるお客さんも、
たくさんいますよね。
熊谷
これがあの震災のすぐ後だったら、
食べるお店自体がなかったわけですから。
ボランティアさんとか、
気仙沼にたくさんいらっしゃっているのに
気軽に立ち寄れる飲食店もない状態だったんです。
とにかく食べるお店を作らなきゃって考えたのが
最初の段階で、早くお店を作らなきゃっていう
プレッシャーはおちつきませんでしたね。
──
なんとか開店はできたけれど、
そこからラーメン学校にいったり、
麺を自家製麺に変えたり、
化学調味料をやめてみたり。
おちつかない日々は
今もずっと続いているんじゃないでしょうか。
熊谷
ずーっと不安定ですね(笑)。
──
その不安定さをたのしんでいらっしゃるんですか。
それとも、もっとおちつきたいんですか。
熊谷
うーーーっん、
おちつきたいっていうのはあるけれど、
おちつくことなんてないんじゃないかなあ。
毎日、日々追われているんだけど
それがもう少し安定してくるといいのかな。
──
慌ただしさも含めて、それが日常に。
熊谷
震災の後はずっと慌ただしかったです。
仕事以外の時間、
家に帰ったときにゆっくりできると思って
最近、やっと少しはおちつけるように
なったのかなと思っていたんですけど。
──
つねに挑戦しようとされているのが、
生きがいになっているんでしょうかね。
熊谷
逆に目指すものが失われたら
耐えられないんじゃないでしょうかね。
──
それこそ、ここ数年はコロナの影響も
かなりあったのではないでしょうか。
熊谷
このコロナ禍で飲食店はみなさんどこも大変ですが、
たぶんラーメンっていうのは
まだ意外と元気なんじゃないかと思っています。
他の飲食店さんには申し訳ないですけど、
ラーメンってひとりで入って、
無言でも食べられますよね。
顔をあわせて会食するようなお店よりは
『孤独のグルメ』みたいに静かに食べられるのかなって。
──
そうか、もともと黙食の文化だったから。
熊谷
もちろんコロナの影響がなくはないし、
実際、かなり影響はあったんです。
最初に緊急事態宣言が出たときは休みましたから。
通常どおり営業を続けていると
県外からのお客さんも来てしまうので、
しばらく営業を自粛して
休めるのがいいのかなと思ったんです。
──
あの頃は「この先どうなるんだろう」っていう
不安がありましたよね。
熊谷
どうしていいかわかりませんでした。
最初は一部地域ぐらいで捉えていたのが、
日本全体にまん延してしまいましたからね。
気仙沼みたいに東京から遠いところに住んでいると、
「あ、仙台でも出たか」「あの街でも出た」
「いよいよ気仙沼にもやってきたか」って
みんなが震え上がっていました。
感染者を特定しようとするような風潮もあって、
あれは、嫌なムードでしたね。
──
自分の街にコロナが近づいてくる不安は感じつつ、
飲食店のみなさんが生活をするためにも
営業は再開しなきゃいけませんよね。
熊谷さんはさまざまな試行錯誤をされてきましたが、
いま目指しているものってなんですか。
熊谷
明確な目標はないですけど、
大雑把に言えばもう少しお店を安定させたいかな。
従業員がもうちょっと増えて、
それに見合う売上もちゃんと出せるといいです。
前までは家族だけで
やりたいようにやってきたんですけど、
従業員も以前に比べて増えて、
4人をシフトで入れ替えている状況です。
──
目指すのは、お店の安定なんですね。
熊谷
あと、ちょっとだけ考えていることがあります。
コロナがまん延するちょっと前から、
震災前みたいな食堂を復活させたいなって
思ってはいたんですよ。
天ぷら、カレーライス、カツ丼みたいな、
本当に大衆食堂的なお店なんですが。
──
港町で喜ばれそうですねえ。
熊谷
町中華のお店みたいな感じの、
何でも出てくるようなお店にも興味があります。
ラーメン屋では素材の味を重視して、
自家製麺とかストイックな方向にしたんですけど
食堂ならメニューのバリエーションもなるべく広げて、
ボリュームもあって、ちょっと安いのがいいかな。
これまでおとなしくしてきた分、
その反動で実現できたらなって思うんです。
やれるかどうかはさておきね。
──
その食堂ができたらニュースになりますね。
熊谷
ストイックに突き詰めたラーメンもおもしろいですけど、
大衆食堂もやってみたい気持ちが
最近またふつふつと出てきたんですよね。
震災前のお店とまったく同じものじゃなくて、
ある程度、素材も重視して
だけどおいしくて安い、というふうにしたい。
──
ラーメン作りで培ったストイックな経験が
活かされていくわけですよね。
熊谷
イメージとしてはあるんですけど。
──
もしお店ができた暁には、
「おちつけ」の掛け軸を
喜んで贈らせていただきますので。
熊谷
あはは、ありがとうございます。
この掛け軸はひとつずつあるといいですねえ。
(おわり)
2022-03-14-MON
ほぼ日の「おちつけ」
気仙沼観光はじめてガイド
ほぼ日編集部 いま、気仙沼にいます。