第4回:ラブレターは「本物」がいい。

糸井 さーて、どのコンテンツが良かったなぁとか
しゃべったほうがいいですか?
そういうこと、みなさんお好きでしょうかね?
SFC 順位をつけて、発表してくださーい!(笑)
糸井 順位は‥‥つけられないかもしれないなぁ。
だから
可能性がある、という話をしましょうか。
松家 はい、お願いします。
糸井 じゃ、さっそく。

永田さんがさっき言っちゃったんですけど、
「手」は可能性があると思います。

もっとメディアを大きくしても、やれそう。
SFC 大きく、というのは?
糸井 ようするに、女性誌だとかテレビだとか、
そういう大きさのメディアでも
この「手の話」ってできると思うんです。

というのも、
昔から「手の魅力」について考えてる人って、
たくさんいたんですよね。
SFC あ、そうなんですか。
糸井 いや、ようするに、世の中にはね。

でも、表現をする人たちが
そういう「手」の特集なりコンテンツなりを
やらなかったというだけで。
松家 なるほど。
糸井 おそらく、小さいメディアでやる場合には
かるい変態の話に収まるんです。

だけど、大きな規模に広げてやった場合には
「手の魅力」が
明確な「得点」になるんですよね、その人の。

つまり、手が魅力的だったおかげで
急にモテるようになった人が増えたり
あるいは「手」から派生して
うなじ歯並びバージョンも出てきたりとか、
そういう広がりを感じます、コンテンツとして。
松家 広がりという視点は、重要ですね。
糸井 だから「見せかた」をどう工夫するかが、
これからの苦労じゃないかなぁ。

あのままだと、
やっぱり愛好家が猥談してるのと
同じに見えちゃって、
通りがかりの人を引き込めないんだよね。
松家 ああ、なるほど。つまり、広がらない。
糸井 「たまんないよね〜」みたいな話で
終わらないための
表現上の工夫を、見てみたいですね。

それと、その「手」のチームは
もうひとつ、
絵のコンテンツも作ってましたよね。
松家 はい。
糸井 あちらも、大人と子どもの両方に
何を描いてもらったら面白いか、という問題を
きちんと考えられていたと思う。

好きなもの、嫌いなもの、鬼、虫‥‥みたいな、
問題を出すちからがあったし。
松家 ええ、ええ。
糸井 なにより、コンテンツの雰囲気からして
「あー、こいつら
 けっこう仲良く楽しくやってたな」

というのが想像できたんです。
松家 一人のものになっちゃうと‥‥。
糸井 ふくらまないんですよ。

ほぼ日の作りかたでもそうなんですけど、
たったひとりで考えて
どこまで走っていくっていうやり方では
面白くて
豊かなコンテンツって、作れないんです。

その意味でいうと、
あのチームはよくできてたなと思います。
全員 おおー。
松家 あの‥‥平野レミさんの料理本で
「手」がイラスト表現になってる本があって。

料理やその他は、写真なのに。
糸井 ええ。
松家 その理由について、夫の和田誠さんが
「料理写真に写る手っていうのは、
 なまなましい。
 手ってのは、すごく微妙なものであるから、
 そのまま載せたくない。
 だから、
 出てくる手を、ぜんぶイラストにした」
とおっしゃっていたんですね。

養老孟司さんによれば、
解剖台の上の死体で
いちばん表情があってこわいのは
顔よりも手なんだそうです。

だから、手っていうのは、
気持ち悪いものでもあるんですよ。
糸井 なるほど。
松家 ぼくも、はじめてこのコンテンツを見たときに、
ああ、これって
和田さんの言ってたことだなって思ったんです。

だから、このコンテンツで
手をタイプ別にグループ分けしたりする場合は
写真より
絵のほうがいいかもって、ちょっと思いました。
糸井 マガジンハウスの「anan」が
まーこ(日笠雅水さん)の手相観の本をつくるときは、
かならず、
上田三根子さんというイラストレーターに
手を描いてもらってるんです。

それはつまり、その人の描く手のイラストが、
気持ち悪くなくて、
手相観の本に出てきても不自然でないくらい
リアリティもあるから、なんですよね。
松家 なるほど。
糸井 そのへんは、見事ですよね。

それと「手が気持ち悪い」というのは、
他者なんですよ、手って。
SFC 他者?
糸井 たとえば、
「熱いから触っちゃダメよ」って言われたのに
わざわざ触って
「アチッ!」とか言ってる子どもいるでしょ?

あれって、自分の身体の一部なのに
手ならどうなってもいいと思ってるわけで。
松家 ああ‥‥。
糸井 あるいは、暗闇で何にも見えないときには
かならず、手を前に出しますよね。

それも同じ。

他者なのに、自分の身体の一部でもある
という気持ち悪さが、
つきまとうんだと思うんですよね。
松家 なるほど、なるほど‥‥面白いです。

話を「ラブレター」に変えたいんですけれど、
いいですか。
糸井 はい。
松家 糸井さん、さきほど
ラブレターの宛先が人じゃない
ということに、
すごく反応されてたじゃないですか。
糸井 ええ。
松家 あれは、なぜ?
糸井 たぶん、ラブレターを思いついたときには、
「LOVE」が
たっぷり、入ってたんだと思うんですよね。

でも、実際ラブレターを書く段になったら、
本当に書くべき相手と内容を隠して、
鼻毛とか、コンタクトとか、体脂肪とか‥‥。
松家 はい、はい。
糸井 で、たいがい、隠してるところ
その人の「いちばんやりたいこと」が
潜んでる
もんなんです。
松家 なるほど‥‥。
糸井 そこに真正面からぶつからずに
鼻毛とか、コンタクトとか、体脂肪にしちゃったんで、
残念だなあと思って。
松家 自分をさらけ出したほうが、
面白かったんでしょうか。
糸井 フィクションですからってウソをついて
本物のラブレターを書いたら、
たぶん、
ここにいるみんなが、よろこんだと思う。
松家 なるほど。
糸井 いまどき、すごく難しいと思うんですよ、
本物のラブレターを書くのって。

いったん「書くぞ!」という気になっても
絶対「立ち往生」しますよね。
松家 そうでしょうね。
糸井 自分には、なんてちからがないんだと
思うかもしれないし、
これで通じるだろうかって
思い悩むかもしれないし、
うまく書けたような気がしたときには
素直によろこべるかもしれない。

それって、
見ていて面白かったと思うけどね。
全員 ああ‥‥。
糸井 だから「ああ、もったいない」と思って。
全員 あああーー‥‥。
糸井 別の言いかたをすると、
やっぱり「恥をかいておく練習」って、
学生のうちに
やっておいたほうがいいと思うんです。
松家 あ、そうですね。
糸井 おまえ誰々のこと好きだろうって言われて
真っ赤になってバレちゃったとか、
そんなのさ、
大人になったら、できないぞー!
全員 (笑)
糸井 その意味では、渾身のラブレターを書くことを
松家さんの授業とは関係なく
おやりになったらどうでしょうかね、みなさん。
全員 ざわざわ。
糸井 それと「おばあちゃんがよく出てくる」理由も、
ぼくには、なんとなくわかるんです。

さっき
「最近の学生は、
 おばあちゃんのほうを向いてるんですね」
みたいな話になったけど、
これは、大昔からそうなんですよ。
松家 ええ。
糸井 つまり「おばあちゃん」という記号は、
ひとつには
「都市」に対する「田舎」であり、
「純粋」とか「無知」のシンボルでもあって、
「尊敬してます」とか言うと、褒められる。

つまり「ジョーカー」なんです。

コピーライティングや表現における
「おばあちゃん」というのは。
松家 なるほど。
糸井 だから「おばあちゃん」を出してきたときには、
自分で自分を
「あぶねえな」と思ったほうがいい。
その表現は、使われ過ぎてますから。
松家 はー‥‥。
糸井 あと、おばあちゃんたちに
大学を体験してもらうというコンテンツで、
おばあちゃん、
最後に作文を書いてくれたんですよね。
SFC はい。
糸井 あれ、おばあちゃん、偉かったと思うんです。
松家 それは、つまりどういう?
糸井 まだ、さまぁ〜ずバカルディだったころ、
こういうギャグがあったんですよ。

喫茶店で
「ここのコーヒー、おいしいね」って言ったら
「じゃ、作文をお願いします」って。
全員 (笑)
糸井 笑うけど、これ、本当にイヤだと思うんですよ、
作文を書かされるのって。

中学や高校のころ、みんな、イヤじゃなかった?
全員 ‥‥‥‥。
糸井 そんなイヤなものを、
おばあちゃんは、書いてくれたんだから。
永田 だから「ほぼ日」のことで言うと、
「出てくれる人」がどう思うかというのは
相当プライオリティが高いです。

コンテンツを作るうえで、ぼくらの中では。
糸井 そうですね。
松家 なるほど、出演者がどう思うか。
糸井 デザインの授業を受けるなんて、
ふだんのおばあちゃんの好奇心とは
まったくちがうわけだから、
座ってるだけでも、
なかなか、つらかったと思うんですよね。

ようするに、
おばあちゃんがずっと大人だからこそ
付き合ってくれたわけで、
そのあたりに対する「畏れ」みたいなものを
持ったうえで、
あの企画をもう一回練り直したら、
すごく、いい企画になるんじゃないかな。
松家 うん、うん。
糸井 ついでに言うと、宅急便のコンテンツで
「おばあちゃんからの宅急便」に
何が詰めてあったか‥‥を見せるだけで
あれだけ面白いんだから、
あの部分は
もっともっと、徹底的にやるべきでしたよね。

そこをもうひとつ磨けば、
「手」に勝つぐらい、面白かったと思う。

<続きます>

2011-05-05-THU