おいしい店とのつきあい方。

013 シアワセな食べ方。 その4
レストランでまわりの食卓をシアワセにする方法。

「誰かと食事をする場所がレストランだとしましょう。
そのとき、シアワセにすべきあなたの目の前の人って、
いったい、誰なのかしら?」

──40年以上も前のコト。
今と違って、家族でレストランに行くことは、
数日前から家中がざわめくような一大事だった時代です。
しかも行くことに決まったレストランが、
ボクが生まれて育った街を代表する高級店とあれば、
ざわめき方も尋常ではない。
どんな店なんだろう‥‥。
どんな料理がでてくるんだろう‥‥、
と大騒ぎする子どもたちに、
母が冒頭の課題を出しました。

答えはこうでした。

少なくとも、同じテーブルを囲んでいる人だけが
「目の前の人」でないことはたしかな事実。
レストランのテーブルに座っているボクたちの目の前には、
他のお客様がいて、
お客様にサービスするお店の人たちがいる。
ほとんどの場合、彼らは見ず知らずの人たちで、
けれど同じ時間、空間を共有する仲間のような存在です。
できることなら、彼らと一緒にシアワセになりたい。
それがレストランで食事をするというコトなのだと。


「そう。
レストランは社交の場。
社交っていうのはね、
『出会った人の役に立とうと思って集まり、出会う』
という行為。
だから、社交の場としてのレストランで
あなたたちが心がけなきゃいけないことは、
『お店の中にいるすべての人の役に立つよう
工夫するコト』」

そう母は言います。
どうすればいいんだろう‥‥? とまた課題。

テーブルを囲む数人の役に立つには、
その人たちを観察すればいい。
まずお箸の先やフォークやナイフ、
スプーンの先を観察しながら、
それぞれの人の個性に合わせて、
話題を探したり手助けしたり。
テーブルの上はほんわかとした
シアワセに満たされること間違い無し。

けれどお店という大きな空間。
そこに集まるすべての人の手元をみつめて
観察するなんて無理な相談。
下手をしたら、人のコトをジロジロ覗き見する変な人‥‥、
になってしまう。

たとえ観察に成功したとして、
観察の結果をどういうふうにしたら
ひとりひとりをシアワセにすることに
役に立てればいいのやら‥‥。

「すべてを観察できない場所にあっては、
『観察される存在』になればいいのよ」

母の答えは明快でした。

「社交場と呼ばれる場所。
例えばパーティーなんかに
みんなお洒落していくでしょう‥‥。
あれは、『社交の場においては
観察されることがすべてのはじまり』だからなのね。
でも、見た目はひと通りの観察が終われば飽きる。
背の高いビルの最上階から眺める景色もいつかは飽きて、
外を見なくなっちゃうのと一緒。
一瞬、観察されるのじゃなく
『観察され続ける存在になること』。
それが大切」

装いやオシャレで注目を集めるのでなく、
「様子」でレストランにいる人たちの注目を集めるには、
食事を心からたのしんでいる
シアワセな表情やムードが一番。

シアワセそうにしている人を見てると
人はシアワセになるものだから。
テーブルの上をシアワセで満たし尽くして溢れ出せば、
隣のテーブルをシアワセにする。
隣のテーブルのシアワセは、
またその隣のテーブルに溢れ出し、
小さな水滴が大きな池の水面を覆い尽くす波紋のように
お店全体をシアワセにする。

「料理をおいしくみんなでたのしむ。
たのしみながら、テーブルを囲むみんなが
シアワセになりあう訓練は、
もう毎日の食事ですっかりできているでしょう?
だから緊張することなく、いつものように
おいしい料理をたのしみましょうネ‥‥」

と、ほどよきオシャレを身にまとい、
意気揚々とレストランへと出発しました。

「料理がおいしくなかったらどうするの?」

妹がおそるおそる聞きました。

父は「有名な店なんだからそんなはずはない」
とキッパリ言いましたが、
母はやさしくこう言いました。

「わたしたちの舌には上等過ぎる料理が
出てくるかもしれないわねぇ‥‥。
そんなときには、
どうやったらおいしく食べられるだろう‥‥、とか、
これをおいしく感じる人ってどういう人なんだろう?
って思いながら食べると、
きっと、たのしくなるんじゃないかしら。
どんなコトがあっても、おいしくないと思うのは負け。
今日のお客様の中で、
一番たのしくゴキゲンなお客様になるよう
みんなでがんばりましょう」

って。

また来週といたしましょう。

2018-02-01-THU