おいしい店とのつきあい方。

014 シアワセな食べ方。 その5
お店の料理と家のゴハン。

「お店で食べる料理と家で食べるゴハンって、
何が違うと思う?」

子供の頃に
そんな質問を母からされたことがあります。

いろんな答えが思い浮かびました。

「プロが作ってくれるか、アマチュアが作るか‥‥?」

そう答えると、母は笑いながらこう言います。

「昔、お店で料理を作っていたワタシはプロ。
今でもプロの調理人を指導してるから、
プロ中のプロだけど、
ワタシが家で作る料理は<
お店の料理じゃなくて家のゴハン」

すんなり反論されました。

「じゃぁ、値段がついているか、
ついてないか、かな?」

するとまたもや即答。

「明日から、毎食、値段をつけてあげてもいいわヨ」

そう不敵に笑う。

「それにあなたはまだ子供。
お店に行っても値段を見て注文したりしないでしょう?
お父さんかワタシがいつもお代を払っているんだから、
値段がついているかいないかなんて関係ないはずよ」

とそう言われるとグウの音も出ない。

みんながおいしいと思うか、
家族だけがおいしいと思うか。
むつかしい料理か、それとも簡単なものか。
特別な素材を使っているか、普通の食材で作っているか。
‥‥、と、いろいろ答をあげるもどれもピンとこない。

母が言います。

「家のゴハンは、作った人も必ずいっしょに食卓で食べる。
でも、お店の料理は作った人が
お客様と同じテーブルで食べることをしない。
それが一番の違い」


父と母が最初にはじめた商売は、
カウンターだけの小さな店で、
父の実家の名代(なだい)の鰻を焼いて売ること。
最初は父が鰻を焼いて、母がサービス。
けれど負けず嫌いの母は
見よう見まねと試行錯誤で鰻の焼き方を身につけ、
父が忙しいときには厨房に立って
店を切り盛りするようになった。

「目の前で自分の作った料理を食べてもらうときってね、
口の中に自分の焼いた鰻の味がしてくるの。
お客様の表情を見ると大抵その人が、
どんな気持ちで食べているのかわかるから、
その評定がはげみになったり、叱咤になったりと
緊張するけどたのしいのネ。
まるで『料理を作りながら、
お客様と一緒に食べてる』ような感覚だった」

お店の経営は思いがけずも順調で、
支店を幾つか出した末、
事業をはじめた小さな店の隣に
本店ビルを持つまでになる。
4階建ての上から下が全部レストラン。
「パパは鰻にママは釜飯、ボクは寿司」
っていうキャッチフレーズの
テレビコマーシャルまで流すほどの
有名店になったのですネ。

当然、職人さんを何人も雇う。
鰻が焼けるカウンターの代わりに立派な寿司カウンター。
他の料理は隔離された厨房の中で作られて、
料理を作る人が、自分の料理を食べるお客様の顔を
直接見るようなことができなくなっちゃった。

お店が立派になるということが、
客席と厨房の距離が遠くなるということである。
それが飲食店の宿命だとしたら
お店を立派にしなければいい。

「だって、食べる人の顔が見えない厨房で調理する人は
『料理を作ること』を目的にするでしょう?
同じ料理を毎日毎日作り続けてたら、
どんな人でもあきあきしちゃう。
家で毎日、毎日ゴハンを作り続けて飽きない理由は、
料理を作ることが目的じゃなく、
あなたたちをシアワセにしようと思って作るから。
そうでなくちゃ、主婦なんて
やってられない仕事だわ」

そういう母が好んで行った飲食店は
寿司屋さんのカウンターとか、
厨房が見える小さなお店。
料理を作るおばちゃんが、
作った料理を笑顔で運んできてくれるような
大衆的なお店は大好物。

「作ってくれた人がいない食卓。
それってすごく寂しい食卓だって思わない?
作った人を感じることができないお店は、
それと同じくすごく寂しい。
『見える目の前』だけじゃなく、
『見えない目の前』。
さて、レストランという同じ空間にいる人、
すべてをシアワセにするために
しなくちゃいけないコトは何?」

来週、一緒に考えましょう。

2018-02-08-THU