028 たのしく味わう。その28
秘伝のタレと、公私混同。

小学校を終えるくらいまで、
ボクたちの家は父が経営するお店の近所にありました。
子供の足で10分もかからぬ距離で、
もっと小さい頃にはお店の2軒隣が家だった。
幼稚園から帰ってくると、家に戻るよりまずお店に入って、
休憩中のお店の人たちに遊んでもらう。
鰻を焼くということは、煙にまみれるというコトで、
一日お店に立っていると体が蒲焼きの匂いになっちゃう。
内風呂なんてまだまだ少ない昭和40年台のコトです。
お店の裏にはお風呂があって、一日、お湯が湧いていた。
夕食時前。
お店がまだ忙しくなる前に
お店のお風呂に浸かって家にとぼとぼ帰る。
それがボクの幼稚園時代。
当時、商売をするということは、飲食店に限らず
お店と家は渾然一体。お店の人は家族のような関係でした。



積極的にお店を増やし、
チェーン店のようになりはじめてから、
経営者は公私混同しちゃいけないからと、
それで家を徒歩10分の距離に移した父。
けれどときおり、小さな公私混同が続きました。

「シンイチロウ、タレをちょっともらってきて」
と、食事時に言われてテクテク、お店までいく。
小さな密閉式の容器にお店で浸かっているタレを少々。
大抵50ccくらいだったでしょうか。
使い切り分をもらって帰る。
家にタレはあるのですけど、
どうしてもお店で使っているタレでなくては
出せない味があるからと、それでお店にもらいに行く。

「もとダレ」と呼ばれるタレ。
鰻を焼くための炭場の横に置かれた
瓶の中に入った大切なタレ。
串にさした鰻を焼きます。
遠火の直火でジリジリ焼かれ、
脂が滲んだ鰻をタレに串ごとジューッ。
浸すと蒸気を上げながら、脂をタレに落として代わりに
タレをタップリまとわせ再び炭場にのっかる。
煙を浴びてこんがり焦げて、再びジューッ。
それを何度も繰り返し、
おいしい蒲焼きができていくのだけど、
同時に何度も鰻を浸されたタレも
どんどんおいしくなっていく。
脂の甘みや煙の香り。
鰻自体の旨みも混じったタレを使って
炒め物や焼き物を作る。
炊きたてのタレでは出せぬ旨みが手に入るのです。


何度ももらいに行くのじゃなくて、
まとめて沢山もらっておけばいいじゃない?
そういうボクに、「タレは生きているんだから」と。
毎日営業をしているお店で使っているからこそおいしい。
炊きたてのタレは香りも鮮やか。
醤油の味がくっきりしてる。
使い続けたタレは脂や煙で風味はつくけど、
味の輪郭がぼやけてしまう。
毎朝、新しい炊きたてのタレを注いで、
ぼんやりとした輪郭を思い出させる。
その繰り返しで、タレはおいしくなっていく。
うちのお店が定休日を持たない理由は、
一日でもタレの手間をとらないと、
旨味や風味が眠ってしまう。
それをもう一度、起こすのには
手間と時間がかかるから‥‥、と。

もとダレを使うときにも、
それをそのまま使うのじゃなく
新しいタレと合わせて一旦沸騰させる。
空気をすって味がまろやかになるんですね。
鶏胸肉のように脂の少ない素材のときには、
新しいタレを少なめに。
脂ののったぶりを焼く時は、新しいタレを多めに入れてと、
その分量の割合をかえることで、
まるで違った調味料のようになっていくのが不思議なほど。


さてそのもとダレ。
とある料理を作りたいので‥‥、
という時にだけ上澄み部分をすくってくれる。
脂をタップリたたえた上澄み。
それがもとダレのおいしさの「もと」。
だからお店の人は
「もったいないなぁ‥‥、ちょっとだけだよ」
と言いながら、器に大切に注いでくれる。
さぁ、その上澄みでできる料理は一体なぁに。
子どもたちが大好きな、料理というには簡単な、
けれど立派な料理の話。
来週させていただきます。




2015-09-17-THU



     
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN