029 たのしく味わう。その29
鰻のタレは、脂のおいしさ。

「タレの上澄みをもらっておいで」

そう、母から言われるのは
大抵、土曜日か日曜日の朝のコト。
するとランチタイムが終わる2時ちょっと前が
待ち遠しくてしょうがなくなる。
お店の営業に迷惑をかけぬよう。
いそがしくない時間になるまで待って
「タレの上澄みをいただきたいんですが」と電話する。
ちょっと待ってネ‥‥、と厨房に電話が回って
今日の鰻の焼き手がボソリ。
答えはその日によって変わります。

今日の昼は忙しかったから、今すぐおいで。
いい上澄みの状態だから‥‥、とか。
雨が降ってちょっと暇だったからなぁ‥‥、
夕方、5時くらいに来てくれると
いい上澄みになっていると思うんだけど‥‥、とか。

鰻のもとダレのおいしさは、鰻の脂のおいしさです。
炭の上で炙られた鰻。
その表面には脂がにじんで、
鰻そのものが沸騰しているんじゃないかと思うくらいに
細かな脂の泡が湧き上がる。
それをタレにザブンと浸すと、
脂はタレに移ってもとダレを入れた器の上に
ゆらりとたまる。
上澄みというのは、その脂をタップリ含んだタレのコト。
ならば営業を終える直前のモノが一番脂が多い。
それがおいしんじゃないかと思いがちだけれど、
それだと脂がきつすぎる。
一日の営業をはじめるときには新しいタレをくわえる。
それもなるべく上の方から注ぎ込み、
瓶の中に空気を含ませ使い続けたもとダレと、
新しいタレをなじませそれから使う。

だから朝一番のタレは薄味。
それがどんどん脂を帯びる。
脂を含むだけじゃなく、
焼いた鰻が勢いよく飛び込む度に空気が混じる。
混じった空気は瓶の中身を攪拌し、
眠った旨味を目覚ますのです。
しかも焼けたばかりの鰻の脂は当然高温。
タレに熱が入って香りや風味を整える。
それでおいしくなるのです。



さて、ほどよく脂がのった風味豊かな上澄みを使って
一体なにをつくるのか。

生の玉子を一個用意します。
パカンッと割って、
黄身と白身を別々にして
黄身だけを炊きたての熱々ご飯の上にのっける。
そこに上澄み。
好みの量を自分でかけて、グルンと軽くかき混ぜ食べる。
(ちなみに白身はメレンゲにして
 砂糖を混ぜて焼いてお菓子にしてました。)

つまり「卵かけ御飯」が料理の正体で、
これが本当においしかった。
鰻の脂が玉子の黄身をよりねっとりさせ、
タレの風味が香ばしくもあり甘やかでもあり。
すき焼きを食べた後の生卵。
そのより濃厚でフレッシュで、
どっしりとしていながら風味鮮やかなモノが
ご飯にかかったモノ。
生の玉子の生臭さとか、
エグミがすっかり消え失せるのも不思議なほどで、
なによりご飯の粒のひとつひとつがキラキラひかり、
見事な先味を作ってくれる、
子供ながらにこんなおいしいモノは
他にないんじゃないか‥‥、
と思えるようなゴチソウでした。

多分、その頃、卵かけ御飯を食べ過ぎたのでしょう。
今では生の玉子を食べることが
ほとんどできないボクが育った。
それでもこのときの卵かけ御飯のことを思い出すと、
もしかしたらあの上澄みを使えば
今でも生の玉子を食べることが
できるかもしれないなぁ‥‥、と、思ったりする。

大切に育てたタレ。
大切に育てることで、
生き続けているタレの力は偉大なんだ‥‥、
と思う他なしの思い出です。


そんなもとダレを父は先代から分けてもらった。
30年間、別れたことがないタレだから、
大切に育ててやるんだよ‥‥、
と言われてそれで商売をした。
次のお店の分までタレが育つのに2年から3年かかる。
その間に次のお店で働ける人を育てて、
彼にタレを分ければ絶対失敗しない。
そう言われて、お店が3つになるまで5年。
ところが会社が裕福になり、
店がどんどん増やせるようになったとき、
育たぬタレを補うために、
鰻の骨を焼いたものとか、
余分にみりんや油を足したりと
即席もとダレを作ってお店を増やした父。
味の低下は避けられず、
人気をなくしてお店をたたむキッカケの
ひとつとなってしまったのです。

タレが育つ速度はそのまま、人が育つ速度でもあり、
そういうペースに合わせて
事業は成長させるものなんだよ‥‥、と、
小さいながらに大切なことを教わりました。
さぁ、来週。




2015-09-24-THU



     
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN